桑田佳祐と原由子の絆から生まれた曲 サザンディレクターが語る『シャ・ラ・ラ』の物語 By - ニッポン放送 作成:2017-12-20 更新:2017-12-20 サザンオールスターズニッポン放送八木亜希子八木亜希子 LOVE&MELODY桑田佳祐 Share Tweet LINE 毎週土曜日朝8時から放送しているニッポン放送『八木亜希子LOVE&MELODY』。 10時からは『10時のグッとストーリー』として、番組が取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしています。 今回は、「真冬の桑田・達郎・ユーミン オールリクエスト」にちなみまして、サザンのクリスマスソング『シャ・ラ・ラ』の創作秘話を取材しました。苦悩の時期に生まれたこの曲は、桑田さんと原由子さんの深い絆から生まれたのです。 10時のグッとストーリーはradikoからもお聴きいただけます。 1978年にデビューして、来年でちょうど40周年を迎えるサザンオールスターズ。青山学院大学で結成された学生バンドで、まったく無名だった彼らを発掘したのが、レコード会社・ビクターのディレクターだった 高垣健(たかがき・たけし)さん・69歳です。 現在の高垣健さん 「私は洋楽担当だったんですが『新レーベルを作って、日本のロックも売り出していこう』という話が社内で出て、新しいバンドを探すことになったんです」 そんな時、ヤマハ勤務の友人から「面白いバンドがいるよ」という話を聞きつけた高垣さん。早速、彼らが出場するコンクールを観に、渋谷の会場へ足を運びました。 「初めて観たサザンは、ステージがとにかく面白くて元気だし、ブルースをやったかと思ったら、コミカルな曲もやったりと、音楽の幅も広くてね。すぐに声を掛けました」 当時の高垣健さん まだ学生だった桑田さんたちと、すっかり意気投合した高垣さん。年は高垣さんが8つほど上でしたが、同じ20代の気安さもあって「ミーティング」と称しては、青学とビクターに近い原宿の居酒屋へ飲みに行き、酔っ払ったメンバーが、高垣さんの家に泊まることもしばしば…。 「音楽の趣味が合うし、とにかく、いい奴らだったんですよ。そうやって毎日のように逢っているうちに『じゃあ一枚、レコードを出そうか?』という話になったんです」 高垣さんによると、売ろうという打算はまったくなく、あくまで「記念」のつもりでした。 『勝手にシンドバッド』 / サザンオールスターズ 1978年6月、『勝手にシンドバッド』で、サザンオールスターズはレコードデビュー。最初はあまり反響がありませんでしたが、人気番組『ザ・ベストテン』の注目曲コーナーにライブハウスから出演した作戦が当たり、翌日から注文が殺到。大ヒットになりました。 翌79年には、第3弾のシングル『いとしのエリー』もヒット。TVにも引っ張りだこに…。しかし一方で、桑田さんの疲弊ぶりは、だんだん深刻になっていきました。「このままでは、せっかくの才能が潰れてしまう…」と考えた高垣さんたちスタッフは、メンバーと話し合い、1980年、サザンはTV出演を控え、スタジオにこもって、レコーディングに専念することに。 露出が減ったことでこの年、シングルの売り上げは低迷し、まさに苦悩の時期になりましたが、メンバーたちが今後やりたい音楽を見つめ直すためには、必要な時間でした。 『いとしのエリー』 / サザンオールスターズ 「この頃、私がディレクターとして心掛けていたのは、自分が知っているミュージシャンをどんどん桑田君に紹介していくことでした」という高垣さん。特に、年が2回りも離れた有名ジャズピアニスト・八木正生さんと桑田さんは、聴いていた音楽の趣味が合って、世代を超えて親しくなり、この出会いは、その後の桑田さんの曲作りに大きな影響を与えました。 そんな八木さんが弦楽器のアレンジを手掛け、ジャズ風のテイストも加わった『シャ・ラ・ラ』は、今までと違った色を出す一曲となっていきます。 そしてもう一人、この苦しかった時期の桑田さんを楽曲面で支えたのが、原由子さんでした。高垣さんによると、幼い頃からピアノを習い、譜面も読めた原さんは、独学で音楽をやって来た桑田さんにとって頼れる「音楽の先生」でもあり、陰でいろいろアドバイスを受けていたそうです。 一方、ボーカリストとしての原さんの魅力に、早くから気付いていたのも桑田さんでした。苦悩の時期にあった1980年のある日、桑田さんは新しく書いた曲をメンバーに披露すると、「これにもっと、原坊のボーカルを入れていきたいんだけど…」と提案。はじめは桑田さんが一人で歌う曲でしたが、要望を受けてメンバーが意見を出し合っていくうちに、原さんの歌うパートがだんだん増えていき、「サザン初のデュエットソング」になったのです。 「二人の絆もより深まっていきましたがまさか、結婚するとは思いませんでした」 こうして『シャ・ラ・ラ』は、サザンの歴史の上でも、転機となる重要な一曲になりました。 『シャ・ラ・ラ』をradikoで聞いてみる。 『シャ・ラ・ラ / ごめんねチャーリー』 / サザンオールスターズ 【10時のグッとストーリー】八木亜希子 LOVE&MELODY 2017年12月16日(土) より 下の画像をクリックすると『10時のグッとストーリー』をradikoタイムフリーでお聞きいただけます。 ※画像をクリックしても再生されない人はこちら。 ※ 2017年12月24日 午前5時までお聴きいただけます。 ※ ニッポン放送radikoは関東地方でのみ視聴可能です。そのほかの地域の人はエリアフリーをご契約いただくと視聴が可能です。 八木亜希子LOVE & MELODY 毎週土曜日 朝8:30~10:50 AM1242 FM93 ニッポン放送にて生放送。あなたからのリクエストと、いろんな「愛」を感じるお話で織りなす2時間20分。 ⇒八木亜希子LOVE & MELODY 公式サイト 出典ビクターのディレクター・高垣健が語るサザンのクリスマスソング『シャ・ラ・ラ』の創作秘話 Share Tweet LINE
毎週土曜日朝8時から放送しているニッポン放送『八木亜希子LOVE&MELODY』。
10時からは『10時のグッとストーリー』として、番組が取材した「聴いて思わずグッとくるGOODな話」を毎週お届けしています。
今回は、「真冬の桑田・達郎・ユーミン オールリクエスト」にちなみまして、サザンのクリスマスソング『シャ・ラ・ラ』の創作秘話を取材しました。苦悩の時期に生まれたこの曲は、桑田さんと原由子さんの深い絆から生まれたのです。
10時のグッとストーリーはradikoからもお聴きいただけます。
1978年にデビューして、来年でちょうど40周年を迎えるサザンオールスターズ。青山学院大学で結成された学生バンドで、まったく無名だった彼らを発掘したのが、レコード会社・ビクターのディレクターだった 高垣健(たかがき・たけし)さん・69歳です。
現在の高垣健さん
「私は洋楽担当だったんですが『新レーベルを作って、日本のロックも売り出していこう』という話が社内で出て、新しいバンドを探すことになったんです」
そんな時、ヤマハ勤務の友人から「面白いバンドがいるよ」という話を聞きつけた高垣さん。早速、彼らが出場するコンクールを観に、渋谷の会場へ足を運びました。
「初めて観たサザンは、ステージがとにかく面白くて元気だし、ブルースをやったかと思ったら、コミカルな曲もやったりと、音楽の幅も広くてね。すぐに声を掛けました」
当時の高垣健さん
まだ学生だった桑田さんたちと、すっかり意気投合した高垣さん。年は高垣さんが8つほど上でしたが、同じ20代の気安さもあって「ミーティング」と称しては、青学とビクターに近い原宿の居酒屋へ飲みに行き、酔っ払ったメンバーが、高垣さんの家に泊まることもしばしば…。
「音楽の趣味が合うし、とにかく、いい奴らだったんですよ。そうやって毎日のように逢っているうちに『じゃあ一枚、レコードを出そうか?』という話になったんです」
高垣さんによると、売ろうという打算はまったくなく、あくまで「記念」のつもりでした。
『勝手にシンドバッド』 / サザンオールスターズ
1978年6月、『勝手にシンドバッド』で、サザンオールスターズはレコードデビュー。最初はあまり反響がありませんでしたが、人気番組『ザ・ベストテン』の注目曲コーナーにライブハウスから出演した作戦が当たり、翌日から注文が殺到。大ヒットになりました。
翌79年には、第3弾のシングル『いとしのエリー』もヒット。TVにも引っ張りだこに…。しかし一方で、桑田さんの疲弊ぶりは、だんだん深刻になっていきました。「このままでは、せっかくの才能が潰れてしまう…」と考えた高垣さんたちスタッフは、メンバーと話し合い、1980年、サザンはTV出演を控え、スタジオにこもって、レコーディングに専念することに。
露出が減ったことでこの年、シングルの売り上げは低迷し、まさに苦悩の時期になりましたが、メンバーたちが今後やりたい音楽を見つめ直すためには、必要な時間でした。
『いとしのエリー』 / サザンオールスターズ
「この頃、私がディレクターとして心掛けていたのは、自分が知っているミュージシャンをどんどん桑田君に紹介していくことでした」という高垣さん。特に、年が2回りも離れた有名ジャズピアニスト・八木正生さんと桑田さんは、聴いていた音楽の趣味が合って、世代を超えて親しくなり、この出会いは、その後の桑田さんの曲作りに大きな影響を与えました。
そんな八木さんが弦楽器のアレンジを手掛け、ジャズ風のテイストも加わった『シャ・ラ・ラ』は、今までと違った色を出す一曲となっていきます。
そしてもう一人、この苦しかった時期の桑田さんを楽曲面で支えたのが、原由子さんでした。高垣さんによると、幼い頃からピアノを習い、譜面も読めた原さんは、独学で音楽をやって来た桑田さんにとって頼れる「音楽の先生」でもあり、陰でいろいろアドバイスを受けていたそうです。
一方、ボーカリストとしての原さんの魅力に、早くから気付いていたのも桑田さんでした。苦悩の時期にあった1980年のある日、桑田さんは新しく書いた曲をメンバーに披露すると、「これにもっと、原坊のボーカルを入れていきたいんだけど…」と提案。はじめは桑田さんが一人で歌う曲でしたが、要望を受けてメンバーが意見を出し合っていくうちに、原さんの歌うパートがだんだん増えていき、「サザン初のデュエットソング」になったのです。
「二人の絆もより深まっていきましたがまさか、結婚するとは思いませんでした」
こうして『シャ・ラ・ラ』は、サザンの歴史の上でも、転機となる重要な一曲になりました。
『シャ・ラ・ラ』をradikoで聞いてみる。
『シャ・ラ・ラ / ごめんねチャーリー』 / サザンオールスターズ
【10時のグッとストーリー】
八木亜希子 LOVE&MELODY 2017年12月16日(土) より
下の画像をクリックすると『10時のグッとストーリー』をradikoタイムフリーでお聞きいただけます。
※画像をクリックしても再生されない人はこちら。
※ 2017年12月24日 午前5時までお聴きいただけます。
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