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「わしは大橋ができるまで生きとれるかのう?」 亡き父の言葉

By - 産経新聞  公開:  更新:

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産経新聞大阪版、夕刊一面で毎日連載中。一般の方から寄せられた600字のエッセー『夕焼けエッセー』。

さまざまな年齢、職業の人々がつづった等身大のエッセーをご覧ください。

故郷への架け橋

今年開通20周年を迎えた明石海峡大橋は私が生まれるずっと前から“夢の架け橋”と呼ばれて淡路島民にとっての念願でした。昔、本州と島を結んだ航路は幾つかありましたが、お盆やお正月の帰省ラッシュ時には、3、4時間の乗船待ちはざらでした。

それが橋の開通後は、待ち時間も無くとても快適に行き来できるようになり、高校卒業後、進学、就職、結婚とずっと淡路を離れていた私にとっても故郷はぐんと近くなりました。明石側から淡路に向かう時には、まるで緑の森の中に吸い込まれていくような、そして夜、淡路から明石側に帰るときには街の光の中に吸い込まれていくような錯覚を覚えます。

淡路の亡父はよく言っていました。「わしは大橋ができるまで生きとれるかのう?」。父は82歳まで生きて、3年ほど大橋の恩恵にあずかることができました。父の晩年、何度か私の運転で新居を構えた我が家へ送り迎えができたことは、ささやかな親孝行だったと思います。父の危篤に駆けつけたとき、姪の結婚式に行った時、橋を見るたびに悲喜こもごもさまざまな思い出がよみがえります。またその思い出が大橋からのその時々の風景へと繋がります。

今でも故郷に向かう橋の上で、私の顔は知らず知らずのうちにほころび、心も言葉も懐かしい淡路モードに変わります。そして故郷を離れる橋の上では少し淋しさを感じながらまた明日への覚悟をし、いつもの私に戻っていきます。

兵庫県 59歳

産経新聞 2018年09月20日 ーより

[提供/産経新聞 ・ 構成/grape編集部]

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