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「タケ、僕たちはプロができる前から…」Jリーグ発足当時、武田修宏と三浦知良の間でかわされた会話

By - ニッポン放送  作成:  更新:

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毎日、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーターは女優の黒木瞳さんです。

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、元サッカー日本代表でサッカー解説者の武田修宏が出演。Jリーグ発足当時の環境の変化について語った。

黒木)今週のゲストは元サッカー日本代表、サッカー解説者の武田修宏さんです。
Jリーグが発足したのが平成5年、もう25年になるのですね。

武田)あっという間ですね。

黒木)その初代93年の開幕戦のピッチにいらっしゃるという。

武田)本当に幸せでしたね。当時の国立競技場のピッチを歩いたときに、思わず涙が出て来て、「俺サッカーやって良かったな」というものを思い出しますね。

黒木)それまでアマチュアでいらして。それがプロになるわけですよね。

武田)僕たちの時代はプロを目指してやっていなかったのですよ。それが急に92年位かな、プロができるのではないかということになった。良い時代でしたし、プロではなくて、日本代表を目指して頑張っていましたから、それで丁度良く開幕戦でプロができたので。

黒木)でも環境もがらりと変わったのではないですか?

武田)そうですね、変わりましたね。注目度も変わりましたし、給料も月何百万になって、もう周りが変わりましたね。

黒木)やはり自分もそうやって何か変わって行ったのですか?

武田)ファッション雑誌に出たり、ビデオが出たり、CDが出たりと、もうすごかったですね。

黒木)それは自分のなかでどのようにして対処したのですか? ご自分の信念はぶれませんでしたか?

武田)ぶれなかったですね。なぜかと言うと、プロになる前5年間、日本サッカーリーグというところでやっていたので、何年かして三浦知良選手と話したときに、「タケ、僕たちはプロができる前からサッカーのプロの意識でやって来たから、プロになってもやって行けるよね」という話をしました。その前の5年間そういう時代もあったので、その意味ではサッカーに対するぶれない姿勢というものはありました。周りが変わって注目されたので、ちょっと調子に乗りましたけれども(笑)。でも軸はぶれていなかったですね。

黒木)そうやって自分を信じて、自分がやりたいことを続けて行くことができたから、自分の自信にもつながったのでしょうね。

武田)そうですね。ただ、逆にプロになったことで結果がすべてだから、1年でクビになったり、結果を出せなかったら友達もいなくなったり。そういう意味では強くなりましたね。

武田修宏/元サッカー日本代表、サッカー解説者

■1967年・静岡県浜松市出身。
■小学校1年生からサッカーを始め、中学校3年生でジュニアユース日本代表に選出。
■サッカーの名門・清水東高校に進学し、1年生で出場した全国高校サッカー選手権で準優勝。類まれなるセンスと技術で一躍注目を浴びる。
■高校卒業後、読売クラブ(現:東京ヴェルディ)に入団。
19歳で日本代表に選出され、名実ともに日本を代表する選手として活躍。
■1993年(平成5年)のJリーグ発足時には、その甘いルックスもあり、時代を象徴するモテ男として世の女性たちを夢中にさせた。
1993年のサッカーW杯予選では「ドーハの悲劇」を経験。
■2000年にはパラグアイのチームに移籍。
■2001年に現役引退。現役通算で、新人王、MVP、4度のベストイレブンを受賞。
■引退後はサッカー解説者として活動。タレントとしても数多くのメディアで活躍。
■2006年には日本サッカー協会公認S級ライセンスを取得。
(※サッカー指導者の最高位の資格。日本代表でもJリーグでも監督ができる)

ENEOSプレゼンツ あさナビ
FM93AM1242 ニッポン放送 月-金 6:43-6:49

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出典
ニッポン放送自分も周りも変わったJリーグ発足当時の武田修宏

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