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1985年4月22日、小泉今日子「常夏娘」がオリコン・シングルチャート1位を獲得

By - ニッポン放送  公開:  更新:

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1985年(昭和60年)の本日4月22日、オリコン・シングルチャート1位の座に輝いたのは、小泉今日子の(イレギュラー発売盤を除くと)第12弾、「常夏娘」である。今日は同作のチャート動向を中心に、激動の1985年大衆音楽事情を振り返ってみたいと思う。

83年の第6作「半分少女」辺りから、アイドル界の革命児の如く大胆な個性で快進撃を始め、同期の中森明菜と並ぶトレンドセッターの座をゆるぎないものとした小泉。84年には「渚のはいから人魚」「迷宮のアンドローラ」「ヤマトナデシコ七変化」「The Stardust Memory」と、発表したレギュラーシングル全てをチャート1位に押し上げている。85年の第一弾「常夏娘」は、それら快進撃を象徴する楽曲群と比較すると、一歩後退したというか、ビートルズに於ける「レディ・マドンナ」的位置付けにあるという印象だ。作詞を担当した緑一二三の名前は、4枚目のシングル「春風の誘惑」の作曲者として以来の登場だが、実は森まどかが既にリリース(「ねえ・ねえ・ねえ」)していたデビュー曲「私の16才」の作曲者、たきのえいじの別名義である。怒涛の進撃を象徴する筒美京平作品群の中に置かれると、あまりの王道アイドル楽曲色の濃さにかえって手堅いという印象を抱いてしまうのも仕方ないところ。

とは言え、7インチシングル時代に於いては自己最高に迫る売り上げを記録した高見沢俊彦作品、「The Stardust Memory」の余波を受け、4月10日のリリースと共に快調な滑り出しを見せた「常夏娘」。ところが、その独走を前に予期せぬ好敵手が出現する。アフリカ難民救済を目的に、米国を代表するトップ・アーティストが結束したUSA for Africaの、あの「ウィ・アー・ザ・ワールド」だ。
同曲は「常夏娘」の2日後、12日に7インチと12インチ、それぞれのシングルでリリースされている。22日付のオリコンチャートを見ると、12インチ盤が4位、7インチ盤が21位にそれぞれ初登場しており、それらの「推定売り上げ枚数」を合算すると、2位だったチェッカーズ「あの娘とスキャンダル」をわずかに上回る。「常夏娘」はその追随をわずかに躱し、1位を勝ち取ったことになる。

1タイトルのシングルを異なるコンフィギュレーションで発売するというトレンドは、この頃特に英国では当たり前のようなものになりつつあり、現にチャート集計はそれらの売り上げの合算となっていたが、「それぞれの商品の個性を尊重」していた日本のチャートのシステムは、それを受け入れる体勢にまだ入っていなかったのだ。実は、小泉作品にも前例がある。前年のNo.1ヒットの一つ、「ヤマトナデシコ七変化」の12インチ・リミックス盤だ。KYON2名義でリリースされ、幾分実験的なアプローチも取られたこのイレギュラー盤は、通常のシングル盤とは別個の売り上げ集計がなされた結果、シングルチャート最高5位に食い込んでいる。とは言え、このヴァージョンがテレビの歌番組で歌唱されることは、全くなかったのであるが。

翌86年あたりから、市場にカセットシングルが登場し始め、さらに88年に8cmCDシングルが発売開始されると、このポリシーは崩れるのを余儀なくされ、シングルチャートはCD、レコード、カセットの売り上げ枚数合算で集計されることになる。今やCDリリース一つとっても初回限定DVD付きやら推しメン別ジャケ違いやら、とんでもなくややこしい状況になり、さらに配信リリースの売り上げやストリーミング再生回数を合算だ何だで、かつてに比べるとはるかに現状を把握しづらくなっているが、今85年のチャートを眺めていると、音楽的には激動期だった割に非常に長閑だなという印象を受ける。

「常夏娘」に話を戻すと、翌週29日付のシングルチャートでは辛うじて1位を死守。しかし、「ウィ・アー・ザ・ワールド」の12インチ盤は2位、7インチ盤は10位に上昇しており、両者の売り上げを合算するとぶっちぎりで上回る。公式記録には残らなかったとは言え、この週の真の1位曲は「ウィ・アー・ザ・ワールド」として記憶しておきたいところだ。ちなみに、筆者は当時7インチと12インチ、両方買いました。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットで、改めてその存在意義が見直されることとなった「ライヴ・エイド」の開催がこの年の7月13日。特定のチャリティとは関係なかったものの、「連帯」を大きなテーマに掲げ6月15日開催された「ALL TOGETHER NOW」では、伝説のはっぴいえんど再結成が実現し、大瀧詠一が生前最後のライヴ演奏を行った。社会に激動が続く中、何とか熱いものを生み出そうとする空気は、阪神タイガース優勝が別の面で象徴したあの年の音楽界特有のものだったと言える。そんな85年を、小泉今日子は「魔女」で、そして永遠のアンセム「なんてったってアイドル」で、より奔放に駆け抜けた。そのスタンスは《昭和》が幕を閉じ《平成》に入ってもずっと不変。8cmシングル時代には「あなたに会えてよかった」、パッケージから配信に至る過渡期には「潮騒のメモリー」と、さらなる代表曲を産み落としたのがその証である。いよいよ目前に迫ってきた《令和》の女神もきっと、新たな奇跡を彼女にもたらしてくれると信じて。

小泉今日子「半分少女」「常夏娘」「なんてったってアイドル」Kyon2「ヤマトナデシコ七変化」12インチ・リミックス盤ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』3タイトルが2017年5月に、その続編として、新たに2タイトルが10月に発売された。

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ニッポン放送1985年4月22日、小泉今日子「常夏娘」がオリコン・シングルチャート1位を獲得

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