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日本人にこそ知って欲しい!6000人を救った「命のビザ」の発給者・杉原千畝さん

By - grape編集部  公開:  更新:

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出典:Facebook

世界各地に伝わる古文書などを保護する、ユネスコの「記憶遺産」に杉原千畝(すぎはらちうね)さんの活動「命のビザ」が推薦されることになりました。

日本ユネスコ国内委員会は、2017年の登録を目指して2016年3月に申請予定とのこと。

でも…杉原千畝さんて誰?という人のために、「命のビザ」エピソードについてまとめました。

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出典:Wikipedia

ナチス・ドイツとユダヤ人

第二次世界大戦中の1939年から、杉原さんはリトアニアのカウナス領事館に赴任しました。

杉原さんが在カウナス日本領事館領事代理になった頃、ナチス・ドイツによるユダヤ人の迫害が激化。ナチス・ドイツから逃れてきたユダヤ人への対処が、国際的に問題になっていたのです。

出典:Wikipedia

迫害が始まった当初、リトアニアに暮らしていたユダヤ人たちは、とても平和な毎日を送っていました。そのため、隣国ポーランドから逃げ延びてきた人たちの話を信じる人は多くありませんでした。

けれども、1940年に起こったリトアニア侵攻を機に、状況は一変。

多くのユダヤ人が逃げ出そうとしましたが、避難は困難を極めます。そんな中、ソビエト連邦は「避難先の国の入国許可を得ていること」を条件に、ユダヤ人がソビエトを通過する許可を出します。

そこでユダヤ人たちが最終手段として注目したのが、日本の通過ビザでした。

これが手に入れば、ソビエトを経由しつつ日本を通過でき、その先の亡命国行きが叶うと考えたのです。そのため、杉原さんのいたカウナスの領事館前には、連日100人を超すユダヤ人が通過ビザの発行を求めて押しかけました。

厳しい現実が待ち受ける

当時、日本の通過ビザを発行するには「避難先の入国許可を得ていること」や「避難先までの十分な旅費を持っていること」などの条件が定められていました。しかし、領事館前に集まった人たちは条件をクリア出来ない人がほとんどで、日本政府からビザ発行の許可を得ることはできませんでした。

それでも、杉原さんは自身の判断で日本通過ビザ発行を決断。正式な書類を持たない人にも、ビザを発行することに。

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出典:Wikipedia

けれども、これはもちろん上層部の判断や命令に「違反」した行為。

増加する避難民の中には「避難先の国で入国許可を取れる」と偽って、日本の通過ビザを得ていても、実際には行き先がなく、それを理由に日本にとどまろうとする人が多くいました。また、日本までの乗船券しか持っていないうえに、避難国に行くための費用もない人がいたりと、取り締まる側にとっては困った事態になっていたのです。

それでも、命の危険が目前に迫るヨーロッパから脱出できたことは、彼らの「命」を救いました

出典
杉原千畝と「命のビザ」 ~東洋のシンドラーと呼ばれた外交官~NPO 杉原千畝命のビザWikipedia -杉原千畝-Wikipedia -アウシュビッツ-

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