ネタをパクったことも!? 綾小路きみまろ、毒舌漫談を始めたきっかけ
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「こういう人になりたい」 横でアナウンサーが倒れ、谷原章介がとった行動に称賛の声生放送中に小室アナウンサーが体調不良で突然倒れると、谷原章介さんが咄嗟に受け止めました。その行動に称賛の声が上がっています。
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- 出典
- 1周回って知らない話
grape [グレイプ] entertainment
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「こういう人になりたい」 横でアナウンサーが倒れ、谷原章介がとった行動に称賛の声生放送中に小室アナウンサーが体調不良で突然倒れると、谷原章介さんが咄嗟に受け止めました。その行動に称賛の声が上がっています。
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漫談家の綾小路きみまろさんが、2017年11月29日に放送された日本テレビ系バラエティ番組『1周回って知らない話』に出演。
毒舌を武器にした漫談で、中高年から絶大な人気を誇っているきみまろさん。実は、その芸風は「ある人物」から多大な影響を受けて始めたものだったそうです。
日本を代表する漫談家の1人、綾小路きみまろのルーツ
番組では再現VTRを交え、きみまろさんが毒舌ネタをスタートさせたルーツが紹介されました。
これまでリリースした漫談CDやDVDなどがトータル520万枚を超えるセールスを記録。きみまろさんは、日本を代表する漫談家の1人です。
そんなきみまろさんですが、1979年に漫談家デビューを果たすも、ブレイクしたのは約15年前。それは52歳のころで、なかなかの遅咲きです。
きみまろさんは高校卒業後、司会者を目指して地元・鹿児島から上京。
人気司会者への第一歩としてキャバレーなどのステージに立ち、酔った客やホステスなどを相手にしていました。当初は、大苦戦の連続だったとのこと。
店では誰もショーに関心を向けてくれず、「どうすればいいのか」当時はものすごく悩んだそうです。
しかし、あるキャバレーで、きみまろさんは自身の人生を大きく変えた人物と出会います。
それは、現在は業界のトップに君臨する超大御所、ビートたけしさん。
まだブレイク前だったツービート時代のたけしさんが、同じキャバレーのステージに立って、漫才を披露していたのだそうです。
当時のツービートの漫才について、きみまろさんはこのように語っています。
ツービートが展開する毒舌漫才に、一目で魅了されたというきみまろさん。毒舌漫才を熱心に研究し、そこから現在の漫談の原型を作り上げます。
毒舌を取り入れるようになったころから、キャバレーでのショーも注目してもらえるようになったそうです。
尊敬のあまり、ネタをそのままパクってしまったことも…
また、地方のキャバレーに呼ばれた際、「たけしさんはここにはこない」と踏み、ネタをそのまま拝借してしまったこともあったそうです。
これは若気の至りとはいえ、完全にアウト。
ですが、それだけたけしさんへのリスペクトが強かったのでしょう。
また、きみまろさんはブレイク後にたけしさんと何度も共演する機会があり、その一件について思い切って謝罪したそうです。
謝罪を受けて、たけしさんはきみまろさんにこんな言葉をかけました。
自身の人生を変えた、憧れの人からの寛大な言葉。この言葉にきみまろさんは「ジーンと来ました」と語ります。
視聴者の反応は?
・さすがたけしさんだな。
・ふところも深いし、やっぱりたけしさんは偉大な人だよな。
・きみまろさんはたけしさんに感謝しきれないだろうな。
・きみまろさんの毒舌は共感できるし、幸せな気分になれるから今後も頑張ってほしい。
・毒舌漫談はきみまろさんの努力のたまものだったんですね。
また、番組では世間の若者の声として、「年配のかたたちが大爆笑する意味が分からない」「お母さんとか笑ってるけど、私全然分からない」などといったきみまろさんにとっては耳をふさぎたくなるような意見も紹介されていました。
しかし、きみまろさんはこういった意見があることに対して「こういう若者がいるとまた燃えますね」と、落ち込むどころか、むしろ燃えてきたと話していました。
そんなきみまろさんなら、いまの若者が中高年になるまで現役バリバリで頑張っているはずです!
[文・構成/grape編集部]