瀬戸内寂聴さん、文芸誌からボイコットされ子宮作家と落とされた日々を手紙で語る
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尼僧であり作家の瀬戸内寂聴さん。
多くの文学賞を受賞し、94歳の今もまだまだ精力的に活動する寂聴さんですが、若かりし頃、発表した作品が過激であるとして批評家より「子宮作家」とレッテルを貼られ、長く文壇的沈黙を余儀なくされたことが有るのは知っていますか?
そのキッカケとなった作品、『花芯』が60年以上の時を経て、2016年に映画として公開されました。
出典:プレスリリースより
その初日舞台挨拶に、寂聴さんご自身が送った手紙が、今とは異なり激情を持った寂聴さんが垣間見れるとして話題となっています。
瀬戸内寂聴さんの手紙 全文
映画「花芯」を観に当館へ御来場くださいましたお客様皆々様に、心からの感謝のご挨拶を申し上げます。
私は小説「花芯」の作者、瀬戸内寂聴です。今から59年前、1957年(昭和32年)の雑誌「新潮」10月号にそれは掲載されました。
当時の私のペンネームは戸籍名の瀬戸内晴美でした。60枚余りの短編小説でした。前年、「女子大生・曲愛鈴(ちゅあいりん)」という小説で、「新潮社同人雑誌賞」を受賞して、はじめて注文されて書いた小説なので、私はひどく張り切って書きあげ、自信作のつもりでした。ところが、それが雑誌に載るや否や、新聞の書評欄で、平野謙という批評の大家に、こてんぱんにやっつけられました。
たまたま他の雑誌に載った石原慎太郎さんの「完全な遊戯」という小説と並べて、エロで時流に媚びていると言うのでした。
私の「花芯」は、特に子宮という字が多すぎるとありました。中国語で子宮のことを花芯と言います。私の小説の中心に据えた言葉だったので、それが繰り返し出てきて当然です。
さあ、その後が大変です。匿名批評家がこぞって、「花芯」の悪口を書きました。「作者は男と寝ながら書いたのだろう」とか「作者は自分の性器の自慢をしている」とか、全く下品なものばかりでした。
私は新潮社に出かけ、編集長の斉藤十一という偉い人に、新潮に反ばく文を書かせてくれと頼みました。玄関に仁王立ちのまま中にも入れてもらえず一喝されました。
「小説家は自分の恥を書きちらかして銭(ぜに)を稼ぐ者だ。読者にどう悪口言われようと反論などするべきでない。そんなお嬢さんのような物腰でどうする。小説家ののれんをかかげた以上、どんな悪評も受けるべきだ。顔を洗って出直して来い。」
とまで言われました。私は収まらず、ほかのところに「あんなことを言う批評家はみな、インポテンツで、女房は不感症だろう。」と書きましたが、それで、他の批評家までが怒ってしまい、私はその後五年間、文芸雑誌からボイコットされ、苦杯をなめました。
その後、「花芯」を二百枚に書き改め、三笠書房から出版しました。その広告に「子宮作家の傑作」とあり、うんざりしました。それでもまあまあの売れ行きでした。
私は私小説を書いたのではありません。本格小説のつもりで、すべて頭の中で作り上げた小説でした。ヒロインの外形だけは阿刀田高さんのお姉さんで同級生のとし子さんを借りました。性における肉体と精神の求離を私は書きたかったのです。
そうした苦い歴史を持つ「花芯」はその後、映画になど一度も話がありませんでした。
あれから大方60年も過ぎた今、こうして魅力あるすてきな映画にして下さって、夢のようです。かかわってくださったすべての方々に深く深く感謝申し上げます。捨て身の特に全力で熱演してくださったヒロイン役の村川絵梨さんありがとう。
まさかというこの思いがけない幸運を冥途の土産に、94歳の私は、やがてあの世への旅に発つことでしょう。
その前に、自分の目で、この映画を観ることが出来、観て下さるあなたた方のいることを知らされ、本当に幸せです。
すべてのお客さまに深く深くお礼を申し上げます。有難うございました。
瀬戸内寂聴
瀬戸内寂聴さん自身も60年も前の作品が、再び世に出て動き始めるなど想像もしていなかったことでしょう。
不思議な巡り合いから生まれた作品、夏の夜に映画館へ観に行ってみてはいかがでしょうか?
映画『花芯』 2016年8月6日公開
(C)2016「花芯」製作委員会