沢田研二は曲も映画もすごかった! 今でもライブで活躍中
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- 出典
- 沢田研二 オフィシャル
歌手、俳優として活躍している沢田研二(さわだけんじ)さん。高い歌唱力と時代を切り開いてきた才能で、男女問わず多くの人から支持されています。
そんな沢田研二さんの曲や出演作、関わった人といったさまざまな情報をご紹介します!
昔からジュリーはすごかった 元祖ビジュアル美形
沢田研二さんは、音楽ユニット『ザ・タイガース』のボーカルとして1967年にデビューデビューしました。『ザ・タイガース』はデビュー前の名前を『ザ・ファニーズ』といいます。
『ザ・ファニーズ』の演奏を聞いたミュージシャンの内田裕也さんが、「上京してデビューしないか」と誘ったことでデビューが決定しました。デビュー曲は『僕のマリー』です。
『ザ・タイガース』のメンバーは沢田研二さんを始めとして、後に俳優となった岸部一徳(当時は岸部おさみ)さんといった、そうそうたるメンバーでした。
次にリリースした『シーサイド・バウンド』は、ゲーム『ドラゴンクエスト』の音楽を手がけたことでも知られる作曲家・すぎやまこういちさんが製作しています。
人気絶頂となり、多忙を極めた『ザ・タイガース』は方向性の違いから1971年に解散しました。沢田研二さんが次に結成したバンドが『PYG(ピッグ)』です。
沢田研二 1971年
『PYG』に参加していたのは、当時人気だったグループからのえりすぐりでした。沢田研二さんを始めとして、故・萩原健一さんに井上堯之(いのうえたかゆき)さんといったメンバーです。
井上堯之さんは後に刑事ドラマ『太陽にほえろ!』のテーマ曲を演奏したことで知られる実力派ギタリストでした。萩原健一さんが俳優活動に専念するに従い、『PYG』は沢田研二さんをリーダーにしたグループへ変わっていきます。
沢田研二さんは1971年に『君をのせて』でソロ活動をも開始しました。人気はさらに上昇し、『危険なふたり』ではオリコン1位を獲得しています。
実は、沢田研二さんは1975年にイギリスとフランスでもレコードデビューしました。『MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE(和訳・「巴里にひとり」)』はフランスでチャート上位を記録しています。
同年にはドラマ『悪魔のようなあいつ』(TBS系)で主演を務めました。劇中歌として発表された『時の過ぎゆくままに』は、91.6万枚という驚異的な売り上げを記録しています。
1970年代後半に入ると、沢田研二さんはステージに化粧をして上がるようになります。当時人気だったグラム・ロックから影響されたそうで、ヴィジュアル系の元祖といわれることがあります。
沢田研二さんは作曲も行い、『コバルトの季節の中で』や『ラ・セゾン』を手掛けています。『ラ・セゾン』はアン・ルイスさんが歌い、作詞は山口百恵さんという豪華な曲となりました。
レコード大賞に輝いた名曲、『勝手にしやがれ』は1977年にリリースされました。日本有線大賞の栄冠も得ています。
1980年、元日にリリースされた『TOKIO』は、作詞をコピーライターの糸井重里さんが手がけた名曲でした。
沢田研二は俳優としても超一流
映画『太陽を盗んだ男』は、原子爆弾を自分で作ってしまった中学教師の物語です。原爆という強大な力を持ちながら、警察へ「ナイターを最後まで中継しろ」という利己的な要求をする主人公が「新しい」といわれました。
同作で沢田研二さんは第4回『報知映画賞』主演男優賞に輝いています。
沢田研二さんの出演映画といえば外せないのが1981年の『魔界転生』でした。監督は深作欣二さんで、原作は作家・山田風太郎さんの同名小説です。
柳生十兵衛がよみがえってきた宮本武蔵や柳生但馬守宗矩と戦う物語で、沢田研二さんが演じたのは天草四郎時貞でした。
沢田研二さんが演じた美しい天草四郎時貞はとても評判の役となっています。
また、映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』では、妖艶な天草四郎時貞とは全く変わって、二枚目なのになぜかモてない三郎を演じ高い演技力を見せました。
沢田研二さんは、同作で共演した田中裕子さんと1989年に結婚しています。
沢田研二のパフォーマンスがすごい
沢田研二さんは、昔からステージ上のパフォーマンスで評判を呼んできました。
『カサブランカ・ダンディ』ではウィスキーの小瓶を空中で投げてキャッチし、一口飲んでから霧のように吹いて歌い出しています。ステージ上で雨を降らせて熱唱したことも。
人工雨にうたれながら歌う沢田研二 1985年
『恋のバッド・チューニング』においては、カラーコンタクトを付けて登場し、話題を集めました。そして『TOKIO』では、小さなライトがついた衣装にパラシュートを背負って登場。
2018年に日本武道館で開催した『沢田研二 70YEARS LIVE OLD GUYS ROCK』は、2時間あまりのステージを沢田研二さんとギタリスト・柴山和彦さんのたった2人だけで行いました。
沢田研二さんは70歳という年齢にも関わらず、電飾が付いた衣装やウィスキーを吹くパフォーマンスで観客を楽しませていました。
沢田研二の現在・これから
沢田研二さんは、2019年3月にシングル『shout!』をリリースしています。同曲はツイッターやブログでも「声量がすごい」「のりやすそう」と好評。
同月にはCD『1974 ワンステップ・フェスティバル』が発売されました。1974年に行われたコンサート『ワンステップ・フェスティバル』のライブ盤となります。
沢田研二さんは、常に時代の最先端を走り続けてきました。積み上げてきたキャリアも実績も、歴史に残ることでしょう。沢田研二さんのこれからに注目です。
沢田研二プロフィール
生年月日:1948年6月25日
出身地:京都府(出生地は鳥取県)
血液型:A型
身長:171㎝
所属事務所:CO‐CoLO Corporation
1948年、鳥取に生まれ、京都で育つ。『ジュリー』の愛称は俳優のジュリー・アンドリュースからといわれる。岸部おさみ(後の岸部一徳)らと音楽ユニット『ザ・ファニーズ』を結成したところ、演奏を聴いた内田裕也に誘われ『ザ・タイガース』と名前を変えて『僕のマリー』でデビュー。人気絶頂となったが方向性の違いで解散。萩原健一やギタリスト井上堯之とともに『PYG(ピッグ)』を結成する。萩原健一が俳優業で多忙になったことから『沢田研二と井上堯之バンド』やソロ活動へ移行していく。『勝手にしやがれ』や『危険なふたり』『TOKIO』などのヒット曲を持つ。俳優としても活躍しており、ドラマ『悪魔のようなあいつ』や映画『太陽を盗んだ男』の主演、映画『魔界転生』の天草四郎時貞役で知られる。私生活ではアイドルデュオ『ザ・ピーナッツ』の伊藤エミと結婚、息子に恵まれるが離婚。俳優の田中裕子と再婚し妻にしている。平成末期に神奈川県横浜市内に自宅を持つ。
[文・構成/grape編集部]