小林幸子、機材トラックに物資をのせ福島へ 『当時の決断』と『現在の想い』を語る【震災から15年】 By - grape芸能編集部 公開:2026-03-09 更新:2026-03-09 チャリティーボランティア小林幸子東日本大震災災害福島被災地震災 Share Post LINE はてな コメント 2011年3月11日、大きな津波や建物の倒壊など、甚大な被害が発生した『東日本大震災』。 2026年3月現在、被災地の復興は、住民をはじめとした多くの人の尽力により、今もなお進められています。 歌手の小林幸子さんもその1人で、被災直後からさまざまな支援を行ってきました。 画像を見る(全21枚) grapeでは、小林さんに『東日本大震災』の支援活動についてインタビュー。 現地でのエピソードや被災地への想いについて、うかがいました。 小林幸子、『東日本大震災』の被災地を訪問 『東日本大震災』は、東北地方のみならず、広範な地域にわたって被害をおよぼしました。 発生当日、小林さんは東京都内のレコーディングスタジオで音楽制作をしていたと言います。 この日は、都内のビルの6階でレコーディングをしていて、作詞・作曲をしてくれた、タレントの所ジョージさんも一緒でした。 大きく揺れた時、所さんと2人でデスクの下にもぐり、とっさに私は所さんの手を握りました。 その後、「倒壊の恐れがあるので、すぐにビルから出てください」というアナウンスがあり、みんなで階段を降りることに。 自動車で自宅に戻る時には、ものすごい時間がかかって、道路を走っている間も、揺れを感じましたね。 震源地から離れた首都圏にいた小林さんも、地震による影響を受けたそうです。 その後、太平洋三陸沖が震源で、東北地方が大変な状況に陥っていることを知りました。 被災地でボランティアを受け入れる体制が整った頃、小林さんは行動を起こします。 機材トラックに支援物資をのせ福島へ 2011年4月7日に、福島県相馬市内の避難所を9か所訪問した、小林さん。 とある理由から、福島県の人たちに恩返しをしたいという思いが芽生えたそうです。 ――なぜ『東日本大震災』の支援をしようと思ったのでしょうか。 故郷で『中越地震』や『中越沖地震』が起こった時に、被災地でたくさんのボランティアの方を見かけました。 東北地方からも、たくさんの方々がいらっしゃったようです。 みなさんがゼッケンをつけて、一生懸命ボランティア活動をしてくださっていた姿を鮮明に覚えていて、今度は私たちが被災地へ行く番だと思いました。 小林さんが生まれ育ったのは、新潟県新潟市。 デビューした年の1964年に『新潟地震』、2004年に『新潟県中越地震』、2007年に『新潟県中越沖地震』が起こり、何度も故郷が被災してきました。 だからこそ、なるべく早く『東日本大震災』の被災地に赴き、現地で支援活動を行いたいと思ったのでしょう。 そんな小林さんに、最初に立ちはだかった壁が、物資を運ぶトラックの確保でした。 しかし、小林さんには、自身のコンサートの機材を運ぶトラックがあったのです! ――このアイディアはどのようにして思いついたのでしょうか。 すでに被災地支援のために使われていたり、福島に向かうには原発事故による風評被害があったりして、なかなかトラックが手配できませんでした。 そのような中で、「コンサートで使用しているトラックがある!!」と思いついたんです。 ただ、豪華な衣装を着た私の写真がラッピングしてありましたので、場違いだったり、みなさんが嫌な思いをされたりするのではないかと、心配ではありました。 ――福島で被災者の方々と交流して、どんなことを感じられたでしょうか。 みなさんの本当のつらさは分かりません。 でも、トラックを見て、笑顔になってくれました。 サインが欲しいと言われたものの、色紙はもちろん白い紙がない時に、ボランティアの方が配給の白いパンツを持って来てくださって、そこに私がサインをしたら、みんなが笑ってくれたのですが、その後に泣くんです。 「こんなに笑ったの久しぶり。さっちゃんありがとう」って。 笑顔になることの大切さを感じると同時に、「本当に壮絶な日々だったんだろうな」と思いました。 少しだとしても、私たちができることに取り組んで、そして忘れないことが大切だと痛感しましたね。 自身が避難所を訪れることを、福島県の人たちがどのように感じるのだろうかと、小林さんは悩んだに違いありません。 それでも、訪問先で被災者の手を握り、視線を合わせながら、一人ひとりと心を通わせていきました。 小林さんと交流する中で、多くの人が、少しずつ心も身体も癒されていった様子が目に浮かんでくるようです。 小林さんが、かつて被災した新潟県でボランティアから受け取った優しさが、今度は福島県の人たちの『心の拠り所』になったと言えるでしょう。 避難所で歌のパフォーマンス 機材トラックに無洗米10トンとまんじゅう1万2千個を詰め込み、小林さんは避難所を訪れました。 実は、食料を届けるだけではなく、被災者の前で歌のパフォーマンスも行ったそうです。 ――支援先で歌を披露した時の様子を教えていただけますか。 最初は、歌わないつもりでした。 でも、みなさんが「さっちゃん、歌ってくれないの?」と言ってくれたんです。 「歌っていいの?」と聞くと、「歌って!歌って!」と答えてくれたので、避難所にあった拡声器とカセットデッキを使って、急きょ歌いました。 みんな、笑顔で聞いてくれて、最後には泣いていましたね。 私の『雪椿』という楽曲の3番に『つらくても がまんをすれば きっと来ますよ 春の日が』という歌詞があり、頷きながら涙を流していたのが印象的で、私も涙があふれました。 避難所にいるのは、地震の被害で自宅に帰れなくなった人たちばかりです。 「いつ自宅に帰れるのか」「元の生活に戻りたい」と不安を感じ、眠れない日々を過ごしていたかもしれません。 非常時、「必要か不要か」を問われることがある、音楽。しかし、疲弊した人たちの心に希望の灯が宿るきっかけの1つも、音楽です。 小林さんの強く優しい歌声は、福島県の人たちの心を温かく包み込んだことでしょう。 震災発生から15年、復興への想い 2011年以降、小林さんは『東日本大震災』で被災した人たちのために、数々のチャリティイベントに参加してきました。 同年4月20日には、東京都港区の『サントリーホール』で開催された『第1回 全音楽界による音楽会 3.11 チャリティコンサート』で歌を披露。 以来、同イベントを継続して支援しており、2025年3月11日開催の『第12回 全音楽界による音楽会 3.11 チャリティコンサート』で出演5回目を迎えました。 コンサートに限らず、チャリティイベントには、子供から大人まで幅広い世代が来てくれるのだとか。 長年、支援活動を続けられたのは、その人たちとの交流が大きかったようです。 ――「チャリティイベントを続けてよかった」と思える瞬間はどのような時でしょうか。 やっぱり、笑顔になってくれることです。 子供も含めて、ほんの一瞬でも、つらい時期に笑顔の瞬間を作れたら嬉しいです。 ――2026年現在もなお、被災地に寄り添い続けている小林さん。福島の方々にメッセージをいただけますでしょうか。 まだ、完全な復興にはいたっていないと思います。 もちろん、私たちは忘れません。 福島には、これからも花は咲きます! これからも花を、笑顔を一緒に咲かせていきましょう!! 福島のみなさんに幸あれ! 『東日本大震災』の発生から15年となる、2026年3月現在。少しずつ震災を知らない世代が増えてきました。 震災を知る人たちが復興に携わり、次の世代に伝えていくことが大切です。 小林さんの支援活動、そして温かな想いは、現在も復興に尽力する人たち、そして未来の子供たちに受け継がれていくことでしょう。 この記事の画像(全21枚) [文・構成・取材/grape芸能編集部 写真提供:幸子プロモーション] Share Post LINE はてな コメント
2011年3月11日、大きな津波や建物の倒壊など、甚大な被害が発生した『東日本大震災』。
2026年3月現在、被災地の復興は、住民をはじめとした多くの人の尽力により、今もなお進められています。
歌手の小林幸子さんもその1人で、被災直後からさまざまな支援を行ってきました。
grapeでは、小林さんに『東日本大震災』の支援活動についてインタビュー。
現地でのエピソードや被災地への想いについて、うかがいました。
小林幸子、『東日本大震災』の被災地を訪問
『東日本大震災』は、東北地方のみならず、広範な地域にわたって被害をおよぼしました。
発生当日、小林さんは東京都内のレコーディングスタジオで音楽制作をしていたと言います。
この日は、都内のビルの6階でレコーディングをしていて、作詞・作曲をしてくれた、タレントの所ジョージさんも一緒でした。
大きく揺れた時、所さんと2人でデスクの下にもぐり、とっさに私は所さんの手を握りました。
その後、「倒壊の恐れがあるので、すぐにビルから出てください」というアナウンスがあり、みんなで階段を降りることに。
自動車で自宅に戻る時には、ものすごい時間がかかって、道路を走っている間も、揺れを感じましたね。
震源地から離れた首都圏にいた小林さんも、地震による影響を受けたそうです。
その後、太平洋三陸沖が震源で、東北地方が大変な状況に陥っていることを知りました。
被災地でボランティアを受け入れる体制が整った頃、小林さんは行動を起こします。
機材トラックに支援物資をのせ福島へ
2011年4月7日に、福島県相馬市内の避難所を9か所訪問した、小林さん。
とある理由から、福島県の人たちに恩返しをしたいという思いが芽生えたそうです。
――なぜ『東日本大震災』の支援をしようと思ったのでしょうか。
故郷で『中越地震』や『中越沖地震』が起こった時に、被災地でたくさんのボランティアの方を見かけました。
東北地方からも、たくさんの方々がいらっしゃったようです。
みなさんがゼッケンをつけて、一生懸命ボランティア活動をしてくださっていた姿を鮮明に覚えていて、今度は私たちが被災地へ行く番だと思いました。
小林さんが生まれ育ったのは、新潟県新潟市。
デビューした年の1964年に『新潟地震』、2004年に『新潟県中越地震』、2007年に『新潟県中越沖地震』が起こり、何度も故郷が被災してきました。
だからこそ、なるべく早く『東日本大震災』の被災地に赴き、現地で支援活動を行いたいと思ったのでしょう。
そんな小林さんに、最初に立ちはだかった壁が、物資を運ぶトラックの確保でした。
しかし、小林さんには、自身のコンサートの機材を運ぶトラックがあったのです!
――このアイディアはどのようにして思いついたのでしょうか。
すでに被災地支援のために使われていたり、福島に向かうには原発事故による風評被害があったりして、なかなかトラックが手配できませんでした。
そのような中で、「コンサートで使用しているトラックがある!!」と思いついたんです。
ただ、豪華な衣装を着た私の写真がラッピングしてありましたので、場違いだったり、みなさんが嫌な思いをされたりするのではないかと、心配ではありました。
――福島で被災者の方々と交流して、どんなことを感じられたでしょうか。
みなさんの本当のつらさは分かりません。
でも、トラックを見て、笑顔になってくれました。
サインが欲しいと言われたものの、色紙はもちろん白い紙がない時に、ボランティアの方が配給の白いパンツを持って来てくださって、そこに私がサインをしたら、みんなが笑ってくれたのですが、その後に泣くんです。
「こんなに笑ったの久しぶり。さっちゃんありがとう」って。
笑顔になることの大切さを感じると同時に、「本当に壮絶な日々だったんだろうな」と思いました。
少しだとしても、私たちができることに取り組んで、そして忘れないことが大切だと痛感しましたね。
自身が避難所を訪れることを、福島県の人たちがどのように感じるのだろうかと、小林さんは悩んだに違いありません。
それでも、訪問先で被災者の手を握り、視線を合わせながら、一人ひとりと心を通わせていきました。
小林さんと交流する中で、多くの人が、少しずつ心も身体も癒されていった様子が目に浮かんでくるようです。
小林さんが、かつて被災した新潟県でボランティアから受け取った優しさが、今度は福島県の人たちの『心の拠り所』になったと言えるでしょう。
避難所で歌のパフォーマンス
機材トラックに無洗米10トンとまんじゅう1万2千個を詰め込み、小林さんは避難所を訪れました。
実は、食料を届けるだけではなく、被災者の前で歌のパフォーマンスも行ったそうです。
――支援先で歌を披露した時の様子を教えていただけますか。
最初は、歌わないつもりでした。
でも、みなさんが「さっちゃん、歌ってくれないの?」と言ってくれたんです。
「歌っていいの?」と聞くと、「歌って!歌って!」と答えてくれたので、避難所にあった拡声器とカセットデッキを使って、急きょ歌いました。
みんな、笑顔で聞いてくれて、最後には泣いていましたね。
私の『雪椿』という楽曲の3番に『つらくても がまんをすれば きっと来ますよ 春の日が』という歌詞があり、頷きながら涙を流していたのが印象的で、私も涙があふれました。
避難所にいるのは、地震の被害で自宅に帰れなくなった人たちばかりです。
「いつ自宅に帰れるのか」「元の生活に戻りたい」と不安を感じ、眠れない日々を過ごしていたかもしれません。
非常時、「必要か不要か」を問われることがある、音楽。しかし、疲弊した人たちの心に希望の灯が宿るきっかけの1つも、音楽です。
小林さんの強く優しい歌声は、福島県の人たちの心を温かく包み込んだことでしょう。
震災発生から15年、復興への想い
2011年以降、小林さんは『東日本大震災』で被災した人たちのために、数々のチャリティイベントに参加してきました。
同年4月20日には、東京都港区の『サントリーホール』で開催された『第1回 全音楽界による音楽会 3.11 チャリティコンサート』で歌を披露。
以来、同イベントを継続して支援しており、2025年3月11日開催の『第12回 全音楽界による音楽会 3.11 チャリティコンサート』で出演5回目を迎えました。
コンサートに限らず、チャリティイベントには、子供から大人まで幅広い世代が来てくれるのだとか。
長年、支援活動を続けられたのは、その人たちとの交流が大きかったようです。
――「チャリティイベントを続けてよかった」と思える瞬間はどのような時でしょうか。
やっぱり、笑顔になってくれることです。
子供も含めて、ほんの一瞬でも、つらい時期に笑顔の瞬間を作れたら嬉しいです。
――2026年現在もなお、被災地に寄り添い続けている小林さん。福島の方々にメッセージをいただけますでしょうか。
まだ、完全な復興にはいたっていないと思います。
もちろん、私たちは忘れません。
福島には、これからも花は咲きます!
これからも花を、笑顔を一緒に咲かせていきましょう!!
福島のみなさんに幸あれ!
『東日本大震災』の発生から15年となる、2026年3月現在。少しずつ震災を知らない世代が増えてきました。
震災を知る人たちが復興に携わり、次の世代に伝えていくことが大切です。
小林さんの支援活動、そして温かな想いは、現在も復興に尽力する人たち、そして未来の子供たちに受け継がれていくことでしょう。
この記事の画像(全21枚)
[文・構成・取材/grape芸能編集部 写真提供:幸子プロモーション]