マインドフルネスでも瞑想でもない…静かな京都で体験した『ゆる坐禅』とは?
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『時を重ねる』のではなく『時を削る』 28歳の詩人が気づかせてくれる『生きる』ということ吉元由美の『ひと・もの・こと』 作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。 たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会っ...

「昔の歌はよかった」そんな批判は的外れだった…教え子のライブで感じた『今』を生きる力吉元由美の『ひと・もの・こと』 作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。 たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会っ...






吉元由美の『ひと・もの・こと』
作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。
たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。
『ゆる坐禅』でゆるく悟る
まだ紅葉には少し早い京都にて、『ゆる坐禅』を体験してきました。
これは大徳寺の塔頭の一つである大慈院で行われている1時間ほどの本当にゆるい座禅会です。
終了後、希望者はお精進の朝食をいただけるというものです。
JR東海新幹線の車内誌『ひととき』で俳優の井浦新さんが体験されている記事を読み、京都に行く機会があればやってみたいと思っていました。
インバウンドでカオスのような京都ですが、大徳寺は静かで落ちついたお寺さんです。
朝8時、総門から石畳の小道を左に折れながら奥へ進むと、大慈院に行きあたります。
本堂には小さな椅子が11脚。丸く円になって並べられており、ひとり、またひとりと参加者がやってきます。
僧侶の坐禅についての説明があり、体をほぐすための軽い体操をします。
身体と心はつながっている。坐禅は自然な在り方に戻る方法であること。
呼吸をゆるやかにすることで身体が緩み、心が緩んでくる。
そして禅の静かな境地を味わう。
「坐禅をしても、何もいいことはありません。メディテーションとか、マインドフルネスとはまったく異なります。何かメッセージを得られるとか、宇宙とつながるとか、そんなことはありません。そんなことを坐禅に期待しても、何もないです」
「私は10年以上坐禅をしていますが、最近になってやっと(自分にはこんなところがあるなあ。もういらないなあ)と気づき、手放すことができました。そんなものです」
坐禅をすることで自分を変えたい、などと期待している人にとっては衝撃的な言葉ですが、私は大いに共感しました。
坐禅において(何かを得たい)と思うことは『我』『エゴ』なのですね。身体と心をつなげたところには、『我』は介在しない。
『ただ在る』ということが大切なのではないか。それは究極の境地なのだと思います。
縁側に座っての『ゆる坐禅』の終わりを告げるお鈴がなりゆっくり目をあけます。
そこにある苔庭が緑鮮やかにみずみずしく見えました。
ああ、これでいいのだ。ほんの少しの時間でも頭の中の雑念を遠ざけ、身体と心がつながることで、世界は美しく見えるのだ。
時に殺伐としたこの社会の中で、自分のいる場所を穏やかなものにする。
ゆるくてもこんな時間を持つことの大切さを痛感しました。
大慈院ではお食事もついた『夜空の坐禅』も月に一度開催しているとのこと。
本格的な坐禅はハードルが高いですが、入門編として京都の旅の一コマに素敵です。
『ただ在る』
そんな『ゆるい悟り』が、忙しい毎日の中で立ち止まるきっかけになってくれました。
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※記事中の写真はすべてイメージ
[文/吉元由美 構成/grape編集部]