オードリー・ヘップバーンの名言【13選】その美しさの理由は生き方にあった? By - grape編集部 公開:2019-02-07 更新:2019-11-26 オードリー・ヘップバーン Share Post LINE はてな コメント 『永遠の妖精』とさえいわれた名優、オードリー・ヘップバーン(享年63歳)。軽やかな美しさとスタイル、そして数々の名映画での演技は歴史に残り続けることでしょう。 晩年は人道支援活動に力を尽くし、ユニセフ親善大使として、子供たちのために働きました。オードリー・ヘップバーンの外見だけでない美しさに、亡くなった後も多くの人々が憧れ、尊敬しています。 そんなオードリー・ヘップバーンのキャリア、名言についてなど、さまざまな情報をご紹介します。 オードリー・ヘップバーンはどんな人? オードリー・ヘップバーンは、世界大恐慌真っただ中の1929年、ベルギーに生まれます。6歳の時に両親が離婚し、母親に引き取られました。バレエを始めたのもこのころです。 1939年、第2次世界大戦が始まり、オランダへ移住します。間もなくオランダはナチス・ドイツに占領され、オードリー・ヘップバーンはナチスへのレジスタンス活動に参加しました。 戦争が終わり、20歳になったオードリー・ヘップバーンは、身長が高くなりすぎてバレリーナの道を断念。舞台女優としての道を歩み始めます。 1952年に公開された映画『モンテカルロへ行こう』の撮影ロケで見いだされ、ブロードウェイ・ミュージカル『ジジ』の主役に選ばれました。 立て続けにチャンスをつかみ、映画『ローマの休日』で主演。1953年、オードリー・ヘップバーンが24歳の時のことです。『ローマの休日』で、オードリー・ヘップバーンはアカデミー賞主演女優賞に輝きました。 1954年には映画『麗しのサブリナ』に出演、同時に12歳年上の俳優で演出家のメル・ファーラーと結婚しています。 その後も1956年の『戦争と平和』や、翌年には『昼下がりの情事』などの映画に立て続けに出演。1959年には『尼僧物語』に主演し、高い演技力を評価されました。 オードリー・ヘップバーン主演『尼僧物語』プレビュー 翌1960年には、長男ショーンを出産します。続いて、1961年に公開された、オードリー・ヘップバーン主演映画が『ティファニーで朝食を』でした。 オードリー・ヘップバーン出演『ティファニーで朝食を』予告編 オードリー・ヘップバーンが出演した作品でもひときわ有名な作品が、1964年のミュージカル映画『マイ・フェア・レディ』です。第37回アカデミー賞・作品賞を受賞しました。 人気絶頂にあったオードリー・ヘップバーンですが、1968年に離婚します。再婚したのは翌年の1969年、相手はアンドレア・マリオ・ドッティという精神科医でした。1970年には第2子を授かっています。 女優としてのキャリアも再開し、1976年に映画『ロビンとマリアン』に出演しました。ショーン・コネリーとの共演です。 1980年にはアンドレア・マリオ・ドッティと離婚し、俳優のロバート・ウォルターズと交際を始めました。ロバート・ウォルターズと結婚はしませんでしたが、2人は終生のパートナーであり続けています。 オードリー・ヘップバーンの人生を一変させたのが、ユニセフ(国連児童基金)の活動です。彼女自身も、10代の時に第2次世界大戦を経験しました。自身の経験と重ねて、困っている子供たちを見過ごせなかったのではないかといわれています。 1988年に58歳でユニセフ親善大使に任命され、世界各地を飛び回ったオードリー・ヘップバーンは、1993年に末期のがんで亡くなりました。 オードリー・ヘップバーンの名言13選 愛、美、そして… 女優として頂点を極め、晩年は福祉に生涯をささげたオードリー・ヘップバーン。 彼女の素晴らしい精神がこめられた名言を『オードリー・ヘップバーンの言葉』(山口路子著・だいわ文庫)からご紹介します。 オードリー・ヘップバーンの言葉 (だいわ文庫)山口路子715円(04/20 06:25時点)Amazon楽天市場YahooAmazonの情報を掲載しています 美について View this post on Instagram 写真展オードリー・ヘプバーンさん(@audrey_photoexhibition)がシェアした投稿 – 2018年 1月月16日午後11時38分PST 私は自分を美人だと 思ったことがありません。 オードリー・ヘップバーンの言葉 ーより引用 自分自身に対して 100パーセント率直になって、 欠点から目をそらさずに 正面から向かい合い、 欠点以外のものに 磨きをかけるのです。 オードリー・ヘップバーンの言葉 ーより引用 自分を客観的に見なくてはなりません。 ひとつの道具のように 自分を分析するのです。 オードリー・ヘップバーンの言葉 ーより引用 ハリウッドで主演作を何本も務め、世界中の女性たちのファッションや髪型に影響を与えたオードリー・ヘップバーンでも、コンプレックスはありました。ただ、劣等感に向き合い、目をそらすことはありません。 仕事について View this post on Instagram 写真展オードリー・ヘプバーンさん(@audrey_photoexhibition)がシェアした投稿 – 2017年12月月27日午後7時25分PST 私はこの不安や劣等感を どうにかして プラスに転じたかった。 そのためには、強い精神力を 養う以外に方法はないと思い、 努力したのです。 オードリー・ヘップバーンの言葉 ーより引用 きっぱりと 決断する人だけが 成功するのです。 オードリー・ヘップバーンの言葉 ーより引用 女優の道に進んだのは偶然からでした。 私は無名で、自身も経験もなく、痩せっぽちでした。 だから全身全霊で努力しました。 その点では自分を褒めることができます。 オードリー・ヘップバーンの言葉 ーより引用 ハリウッド女優として頂点に登りつめた女優としての一面が伝わってくる言葉です。 戦争について 戦争学はあるのに 平和学がないなんて、 おかしな話です。 オードリー・ヘップバーンの言葉 ーより引用 オードリー・ヘップバーン自身も、第2次世界大戦を経験しています。戦争中の飢えで栄養失調になっていたとも。戦争経験が、人道支援活動へ向かう原動力だといわれています。 人を助けることについて 私は、ユニセフが子どもにとって どんな存在なのか、 はっきり証言できます。 なぜなら、私自身が 第二次世界大戦の直後に、 食物や医療援助を受けた子どもの ひとりだったのですから。 オードリー・ヘップバーンの言葉 ーより引用 私は自分自身に問いかけます。 あなたは何ができるか? あの国へ行って何をするのか? はっきりとは言えないけれど、 誰にでもできる何かがあるはずです。 千人の人の世話ができないことは事実です。 けれど、ひとりでも救うことができるなら、 私は喜んでそうします。 オードリー・ヘップバーンの言葉 ーより引用 オードリー・ヘップバーン /日本ユニセフ協会 危険なソマリアの紛争地帯に行くことさえ、ひるまなかったオードリー・ヘップバーン。アメリカは彼女に大統領自由勲章を贈り、人道支援への功績を称えました。 恋愛について View this post on Instagram 写真展オードリー・ヘプバーンさん(@audrey_photoexhibition)がシェアした投稿 – 2018年 2月月8日午後10時36分PST 「一緒にいなければならない」 からではなく 「一緒にいたい」から、 そうしているのです。 これはほんの小さな違いだけど、 すてきな違いです。 オードリー・ヘップバーンの言葉 ーより引用 私たちには生まれたときから 愛する力が備わっています。 それは筋肉と同じで、 鍛えなくては 衰えていってしまうのです。 オードリー・ヘップバーンの言葉 ーより引用 愛は心の奥深くにある 感情、生命力の 最も大切なものです。 オードリー・ヘップバーンの言葉 ーより引用 すばらしい歌は歌詞だけではなく 曲も大切でしょう。 だからあなたが 何を言ったかだけではなく、 どのように言ったかが大切なの。 オードリー・ヘップバーンの言葉 ーより引用 没後、年月が過ぎ去っても、オードリー・ヘップバーンを敬愛する人は絶えません。人を愛するオードリー・ヘップバーンの言葉も永遠に残っていくでしょう。 オードリー・ヘップバーン 現在の評価 オードリー・ヘップバーンは、2019年に生誕90周年を迎えました。スターチャンネルでは、オードリー・ヘップバーンの特集が組まれ、彼女の出演した映画が放送されています。 【生誕90年特別企画】麗しのオードリー また、孫娘のエマ・ファーラーは、モデルとしてデビューしたのち、ユニセフの活動も行っています。 オードリー・ヘップバーンの孫娘 エマ・ファーラー 2010年 2017年から2019年1月にかけて、オードリー・ヘップバーンの写真展が開かれました。京都から始まり、日本各地を巡って行われ、オードリー・ヘップバーンの衰えない人気が分かります。 View this post on Instagram 写真展オードリー・ヘプバーンさん(@audrey_photoexhibition)がシェアした投稿 – 2017年12月月14日午後8時13分PST それからも、写真展や『ティファニーで朝食を』のシネマ・コンサートなど、オードリー・ヘップバーンに関連するイベントは定期的に開催されています。 永遠の名女優として、そしてユニセフの親善大使として人々のために尽くしたオードリー・ヘップバーン。オードリー・ヘップバーンの作品と人生は、忘れられることはないでしょう。 オードリー・ヘップバーン プロフィール 生年月日:1929年5月4日 没年:1993年1月20日 出身地:ベルギー・ブリュッセル 身長:170㎝ [文・構成/grape編集部] 出典 尼僧物語(字幕版) (プレビュー)/ティファニーで朝食を - 予告編/オードリー・ヘップバーンの言葉 (文庫)/audrey_photoexhibition/オードリー・ヘップバーン 子どもより大切な存在ってあるかしら?/日本ユニセフ協会/【生誕90年特別企画】麗しのオードリー<2月作品> Share Post LINE はてな コメント
『永遠の妖精』とさえいわれた名優、オードリー・ヘップバーン(享年63歳)。軽やかな美しさとスタイル、そして数々の名映画での演技は歴史に残り続けることでしょう。
晩年は人道支援活動に力を尽くし、ユニセフ親善大使として、子供たちのために働きました。オードリー・ヘップバーンの外見だけでない美しさに、亡くなった後も多くの人々が憧れ、尊敬しています。
そんなオードリー・ヘップバーンのキャリア、名言についてなど、さまざまな情報をご紹介します。
オードリー・ヘップバーンはどんな人?
オードリー・ヘップバーンは、世界大恐慌真っただ中の1929年、ベルギーに生まれます。6歳の時に両親が離婚し、母親に引き取られました。バレエを始めたのもこのころです。
1939年、第2次世界大戦が始まり、オランダへ移住します。間もなくオランダはナチス・ドイツに占領され、オードリー・ヘップバーンはナチスへのレジスタンス活動に参加しました。
戦争が終わり、20歳になったオードリー・ヘップバーンは、身長が高くなりすぎてバレリーナの道を断念。舞台女優としての道を歩み始めます。
1952年に公開された映画『モンテカルロへ行こう』の撮影ロケで見いだされ、ブロードウェイ・ミュージカル『ジジ』の主役に選ばれました。
立て続けにチャンスをつかみ、映画『ローマの休日』で主演。1953年、オードリー・ヘップバーンが24歳の時のことです。『ローマの休日』で、オードリー・ヘップバーンはアカデミー賞主演女優賞に輝きました。
1954年には映画『麗しのサブリナ』に出演、同時に12歳年上の俳優で演出家のメル・ファーラーと結婚しています。
その後も1956年の『戦争と平和』や、翌年には『昼下がりの情事』などの映画に立て続けに出演。1959年には『尼僧物語』に主演し、高い演技力を評価されました。
オードリー・ヘップバーン主演『尼僧物語』プレビュー
翌1960年には、長男ショーンを出産します。続いて、1961年に公開された、オードリー・ヘップバーン主演映画が『ティファニーで朝食を』でした。
オードリー・ヘップバーン出演『ティファニーで朝食を』予告編
オードリー・ヘップバーンが出演した作品でもひときわ有名な作品が、1964年のミュージカル映画『マイ・フェア・レディ』です。第37回アカデミー賞・作品賞を受賞しました。
人気絶頂にあったオードリー・ヘップバーンですが、1968年に離婚します。再婚したのは翌年の1969年、相手はアンドレア・マリオ・ドッティという精神科医でした。1970年には第2子を授かっています。
女優としてのキャリアも再開し、1976年に映画『ロビンとマリアン』に出演しました。ショーン・コネリーとの共演です。
1980年にはアンドレア・マリオ・ドッティと離婚し、俳優のロバート・ウォルターズと交際を始めました。ロバート・ウォルターズと結婚はしませんでしたが、2人は終生のパートナーであり続けています。
オードリー・ヘップバーンの人生を一変させたのが、ユニセフ(国連児童基金)の活動です。彼女自身も、10代の時に第2次世界大戦を経験しました。自身の経験と重ねて、困っている子供たちを見過ごせなかったのではないかといわれています。
1988年に58歳でユニセフ親善大使に任命され、世界各地を飛び回ったオードリー・ヘップバーンは、1993年に末期のがんで亡くなりました。
オードリー・ヘップバーンの名言13選 愛、美、そして…
女優として頂点を極め、晩年は福祉に生涯をささげたオードリー・ヘップバーン。
彼女の素晴らしい精神がこめられた名言を『オードリー・ヘップバーンの言葉』(山口路子著・だいわ文庫)からご紹介します。
オードリー・ヘップバーンの言葉 (だいわ文庫)
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美について
ハリウッドで主演作を何本も務め、世界中の女性たちのファッションや髪型に影響を与えたオードリー・ヘップバーンでも、コンプレックスはありました。ただ、劣等感に向き合い、目をそらすことはありません。
仕事について
ハリウッド女優として頂点に登りつめた女優としての一面が伝わってくる言葉です。
戦争について
オードリー・ヘップバーン自身も、第2次世界大戦を経験しています。戦争中の飢えで栄養失調になっていたとも。戦争経験が、人道支援活動へ向かう原動力だといわれています。
人を助けることについて
オードリー・ヘップバーン /日本ユニセフ協会
危険なソマリアの紛争地帯に行くことさえ、ひるまなかったオードリー・ヘップバーン。アメリカは彼女に大統領自由勲章を贈り、人道支援への功績を称えました。
恋愛について
没後、年月が過ぎ去っても、オードリー・ヘップバーンを敬愛する人は絶えません。人を愛するオードリー・ヘップバーンの言葉も永遠に残っていくでしょう。
オードリー・ヘップバーン 現在の評価
オードリー・ヘップバーンは、2019年に生誕90周年を迎えました。スターチャンネルでは、オードリー・ヘップバーンの特集が組まれ、彼女の出演した映画が放送されています。
【生誕90年特別企画】麗しのオードリー
また、孫娘のエマ・ファーラーは、モデルとしてデビューしたのち、ユニセフの活動も行っています。
オードリー・ヘップバーンの孫娘 エマ・ファーラー 2010年
2017年から2019年1月にかけて、オードリー・ヘップバーンの写真展が開かれました。京都から始まり、日本各地を巡って行われ、オードリー・ヘップバーンの衰えない人気が分かります。
それからも、写真展や『ティファニーで朝食を』のシネマ・コンサートなど、オードリー・ヘップバーンに関連するイベントは定期的に開催されています。
永遠の名女優として、そしてユニセフの親善大使として人々のために尽くしたオードリー・ヘップバーン。オードリー・ヘップバーンの作品と人生は、忘れられることはないでしょう。
オードリー・ヘップバーン プロフィール
生年月日:1929年5月4日
没年:1993年1月20日
出身地:ベルギー・ブリュッセル
身長:170㎝
[文・構成/grape編集部]