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大仁田厚の引退回数は?現在はプロレス界に『復帰』したという噂の真相をリサーチ

By - grape編集部  公開:  更新:

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日本のプロレスラーとしてキャリアをスタートし、無骨で荒々しい感情むき出しのスタイルから『炎の稲妻』と呼ばれ人気を博した大仁田厚(おおにたあつし)さん。

プロレス関連の振興に寄与する活動を継続しながら、政界にも進出するなどエネルギッシュに活動しています。

そんな大仁田厚さんの活動とエピソードなど、さまざまな情報をご紹介します!

大仁田厚は日本を代表するプロレスラー

大仁田厚さんは、1973年に『全日本プロレス』に入門。ジャイアント馬場(じゃいあんとばば)さんの付き人を経て、1982年にはNWAインターナショナル世界Jr.ヘビー級王座にも輝きました。

世間からは『邪道』『涙のカリスマ』などと呼ばれ活躍していたものの、左膝蓋骨粉砕骨折という大怪我に見舞われ、プロレスを一度引退します。

その後、タレントや女子プロレスコーチを経て、プロレスに復帰。1989年に、プロレス団体『FMW』を旗揚げしました。

設立当初の『FMW』は、財産が10万円にも満たない団体であり、毎週テレビで放映される新日本プロレスや全日本プロレスと比較しても有名な選手もいませんでした。

しかし、大仁田厚さんが生み出した『ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ』で一躍脚光を浴びます。

WJプロレス ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ 大仁田厚と越中詩郎

ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチでの大仁田厚(右)さんと越中詩郎(左)さん。撮影は2003年

数々のライバルたちと過激な闘いを繰り広げたことから、それまでまったくプロレスに興味がなかった人たちを振り向かせるなど、プロレス界の成長に尽力しました。

大仁田厚さんは現在もプロレス界の振興に携わっており、日本を代表するプロレスラーとしての地位を確実なものにしています。

大仁田厚の感動的な引退セレモニー

引退と復帰を繰り返していた大仁田厚さんでしたが、2017年10月31日に、『大仁田厚ファイナル』と題した7度目の引退試合を開催。試合に先立って、引退セレモニーも行われました。

大仁田厚さんは、赤のレザージャケット姿で登場し、客席から声援を浴びてリングイン。母親の松原巾江(まつばらきぬえ)さんを迎え入れると、「俺、弟よりバカ息子だからさ、この人に心配ばかりかけてんだよ。母ちゃん。母ちゃん。母ちゃん!本当にできの悪い息子ですいません」と頭を下げて感きわまる場面も。

そのほかにも、原口一博(はらぐちかずひろ)衆院議員や、デイリースポーツを含む報道各社からの花束、写真パネルなど惜別の品が贈られ、会場は感動的な雰囲気に包まれました。

破天荒に見えるスタイルでありながらも、母への感謝の気持ちを忘れない大仁田厚さんの人柄に心が熱くなりますね。

大仁田厚7回目の引退試合

2017年10月31日に大仁田厚さんは、7度目の引退大会と引退式を行っています。

場所は1974年4月14日に佐藤昭雄(さとうあきお)さんとの一戦でデビューした思い出の地、東京の『後楽園ホール』。

1985年に後楽園ホールで初めての引退式を行ってから、その引退回数は今回を含めて7回にも及びます。

大仁田厚さんは「プロのレスラーとしてリングに上がることは絶対にない。神に誓って、やらない」と話しており、今回が最後の引退だと断言。

過去になんども引退と復帰を繰り返してきましたが、多くの人が『プロレスラー・大仁田厚』としての最後を目に焼き付けました。

大仁田厚がリングに復帰したって本当?

2017年10月に7度目の引退式を行ったものの、およそ1年後の2018年9月にファイトマネーを貰わないボランティアとして現役に復帰しました。

2019年2月には両膝の人口関節置換手術を行っており、復帰戦である2019年7月に電流爆破マッチに挑んだのです。

試合開始早々から、巨漢の橋本友彦(はしもとともひこ)さんをブレーンバスターで投げ捨てた大仁田厚さん。また、大仁田厚さんの真骨頂とも言える得意技『パイルドライバー』を繰り出し、復活をアピールしました。

その後も、一進一退の攻防を繰り広げ、最後はバックドロップで、3カウントを奪取。5か月ぶりの復帰戦と45周年を自らの白星で飾ったのです。

両足にメスを入れながらも、不屈の闘志で復活した大仁田厚さんは、まだまだ現役のレスラーとして活躍し続けるでしょう。

大仁田厚の名言に心が熱くなる!

大仁田厚さんは、その破天荒に見える生き様から多くの名言を残しています。特に有名な名言は「夢は見るもの、掴むもの」という言葉。一時期は敗血症によって危篤状態だった大仁田厚さんは、生存確率30%という中で奇跡的に生還しました。

日本の未来を担う子どもたちに対して、どんなに遠回りでもがむしゃらに夢を追い続ける生き方があってもいいことを大仁田厚さんは体現し続けています。決めた夢に向かって走り、泥臭くても掴もうとする生き様に、心が打たれますね。

大仁田厚の現在・これから

大仁田厚さんは、2019年9月に奈良県で『電流爆破デスマッチ in 西和物流』に参戦したほか、2019年10月には新木場1st RINGで行われた『谷口裕一〜デビュー25周年興行〜』にも参戦。

現在もレスラーとして熱い闘志を魅せ続ける大仁田厚さんの、これからの更なる活躍に期待です。

大仁田厚 プロフィール

生年月日:1957年10月25日
出身地:長崎県長崎市
血液型:A型
身長:181㎝
所属事務所:フリー

15歳で夢を描き、日本一周徒歩旅行を敢行するも、実家が火事で全焼したことにより断念する。その後、全日本プロレスに入門。ジャイアント馬場の付き人を経て、NWAインターナショナル世界Jr.ヘビー級王座に就く。2001年に明治大学に入学と同時に、第19回参議院議員選挙比例区にて46万票で初当選。文部科学委員会理事、災害対策委員会理事を歴任する。2018年4月には、佐賀県神埼市長選挙に出馬するも惜敗。敗戦時のスピーチの中で、再度挑戦することを高らかに宣言。宣言後に市内に会社を設立し、来期の出馬に向けて、生活の基盤を築いた。2019年4月14日に、プロレスラーデビュー45周年を迎え、現在もなお進化するレジェンドとして目が離せません。


[文・構成/grape編集部]

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出典
大仁田厚オフィシャルサイト

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