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漫画家・鳥山明さんが逝去 『ドラゴンボール』生みの親に「ありがとう」の声

By - grape編集部  公開:  更新:

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鳥山明の写真

2024年3月8日、漫画家の鳥山明さんが亡くなったことが分かりました。68歳でした。

漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』の代表作の1つといえる、『ドラゴンボール』をはじめ、多くの名作をこの世に生み出してきた、鳥山さん。

人気ゲーム『ドラゴンクエスト』ではキャラクターデザインを担当しており、世界中でイラストレーターとしても高い評価を得ていました。

日本の漫画界の巨匠・鳥山明さんが逝去

この日、『週刊少年ジャンプ』はウェブサイトを更新し、鳥山さんの逝去を報告。

鳥山さんのプロダクションである株式会社バード・スタジオによると、鳥山さんは同月1日、急性硬膜下血腫によって息を引き取ったといいます。

同社は、全世界のファンに向けて、このように想いを明かしました。

熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはずで、残念でなりません。

ただ、故人は漫画家としていくつもの作品を世に残して参りました。

多くの世界中の方々に支持していただき、45年以上にわたる創作活動を続けることができました。

これからも鳥山明唯一無二の作品世界が、末長く皆様に愛され続けることを切に願います。

生前のご厚誼に深く感謝し、ここに謹んでお知らせいたします。

集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト ーより引用
鳥山明の写真

日本の漫画界をけん引するクリエイターとして、長年活躍してきた鳥山さん。あまりにも突然の旅立ちは、多くの人に衝撃を与えたようです。

同じクリエイターとして鳥山さんに影響を受けたり、ともに作品を生み出してきたりした人たちが、追悼のコメントを寄せています。

『ドラゴンクエスト』ゲームデザイナー・堀井雄二コメント

本当に、あまりに突然な鳥山さんの訃報で、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。

鳥山さんとは、ボクが少年ジャンプのライターをやっていた頃からの知り合いで、担当編集者の鳥嶋さんの勧めもあり、ドラゴンクエストを立ち上げる時に、彼にゲームの絵を頼むことにしました。

あれから37年余り、登場人物のキャラクターデザイン、モンスターデザイン、とても数えきれないほどの魅力的なキャラを描いていただきました。

ドラゴンクエストの歴史は、鳥山さんのキャラデザインとともにありました。

鳥山さん、故すぎやま先生は、ドラゴンクエストを長きに渡って作ってきた仲間でした。

亡くなってしまうなんて‥‥。

これ以上、なんて言えばいいのか言葉になりません。本当に、本当に、残念です。

集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト ーより引用

漫画家・桂正和コメント

力がぬけて気力が出ません。こんな事のコメントはしたくないですね。

けど、何か書きます。書き出したら、言いたい事だらけなんで、めちゃくちゃ長文になりそうだけど、できるだけ、コンパクトにまとめます。ただ、気持ちがまとまらないので、乱文お許しを。

思い返しても。大袈裟でなく、お宅に遊びに行った時、うちに泊まりに来てもらった時、遊びに出掛けた時、全部が楽しい思い出しかなくて、電話をする度に、疲れるほど笑ってました。

面白い人だった。すけべで、可愛くて、毒舌で、謙虚で。

本職の漫画では、合作とかもしたけど、あれも楽しかった。でも、99%漫画の話をした事はない付き合いでしたね。

漫画家として、見てる風景、作家のレベルも違いすぎて、偉大さを意識した事が無かったです。わかってはいます。

けど、本人と接する時は微塵もそれは感じなかった。人柄ですね。だから偉大な漫画家というより、今も友人としてとしか考えられない。

去年の夏、私が手術をする前に、どこかで聞いたらしく、メールくれました。本当ーーに、メールなんて珍しく、心配そうに私の体を気遣う内容。

40年来の付き合いだけど、鳥山さんから、あんなに優しくされたのは初めてだったかも。雪が降るかと思いましたよ。いつもは冗談か、くだらない話しかしないっすからね。なんすか、人の心配してる場合じゃないじゃん、全く。

そのちょっと前だったか電話した時、その頃、色々具合が悪かった私は「多分先に逝くんで、お別れ会とかやってくださいね、鳥山さん仕切りで!あと、箔がつくからスピーチして下さいね!」と約束したのに、守ってもらえなかった。

メールをくれた後、なんで電話しなかったのか、それが、すごく後悔です。もうくだらない話で長電話ができない事が、残念でしかたないです。

話したい事が沢山溜まってます。いろんな話があるんです。興味のない話は、いつものように、うわの空に聞いてもらってもいいんで、もう一度話したいです。

私の、また連絡くださいとのメールの返事に、軽くOKって書いてあったのが最後なんて、ダメです。心底辛いです。

集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト ーより引用

漫画家・尾田栄一郎コメント

あまりに早すぎます。空いた穴があまりに大きすぎます。

もう二度と会えないと思うと、悲しみが押し寄せてきます。子供の頃から憧れすぎていて初めて名前呼んで貰えた日の事も覚えています。

我々に「友達」という言葉を使ってくれた日の帰り道岸本さんと盛大にはしゃいだ日も懐かしいです。最後に交わした会話も覚えています。

漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり漫画ってこんな事もできるんだ世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。突き進むヒーローを見ているようでした。

漫画家に限らずあらゆる業界で活躍するクリエイター達の少年時代にドラゴンボール連載当時の興奮と感動が根付いているでしょう。その存在は、大樹です。

同じ舞台に立った僕ら世代の漫画家にとって鳥山作品は近づく程により大きな存在と気づかされました。怖いくらいに。

でもまた、飄々としたご本人に会えるとただ嬉しい。僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。

鳥山先生の残された創造性豊かな世界に敬意と感謝を込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。

天国が先生の想い描いた通りの愉快な世界でありますように。

集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト ーより引用

漫画家・岸本斉史コメント

突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います。

小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。

嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!

大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。

でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。

僕も先生のような作品を作りたい!先生のようになりたい!と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。

漫画作りが楽しかったからです。先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。先生はいつも僕の指針でした。憧れでした。

先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした。

初めてお会いした時、緊張し過ぎて一言も喋れませんでした。ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました。

ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません。

今、先生のご訃報を受けたばかりです。ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ…まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。今は大好きなドラゴンボールも読めません。先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません。

世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…すみません…それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生。

鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした。

残された家族のみなさまにおかれましては今はまだ深くご傷心のことと思われます。ご自愛くださいませ。

鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます。

集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト ーより引用

追悼のコメントから伝わってくるのは、鳥山さんへの尊敬の念や親愛。同じクリエイターとして、そして1人の人間として、鳥山さんには人を引き付ける魅力があったのでしょう。

令和の時代になってもなお、『ドラゴンボール』をはじめ、鳥山さんの作品は全世界で愛されています。今後も長きにわたって、人々に笑顔を届け続けるに違いありません。

鳥山さんのご冥福をお祈りいたします。


[文・構成/grape編集部]

出典
集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト

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