マリリン・モンローが来日した時の名言って何!? Tシャツやイラストでも人気
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俳優として知られているマリリン・モンロー。金髪でグラマラスな俳優として、男女問わず多くの人から支持されました。
そんなマリリン・モンローの生い立ちや出世作、ケネディ大統領の誕生日に歌った歌といったさまざまな情報をご紹介します!
マリリン・モンローの生い立ち、そして出演作
マリリン・モンローはロサンゼルスで生まれました。母親が精神的な問題を抱えていたため、9歳から養護施設で育つこととなります。
16歳で最初の結婚をしますが、4年で離婚しています。モデルを務めた後、映画『嵐の園』でデビュー。この頃、髪を金髪に染めています。
本格的にブレイクしたのは映画『イヴの総て』でした。端役ではあったのですが、強い印象を残したマリリン・モンローは次に映画『ナイアガラ』で不倫する悪女を演じます。有名な『モンロー・ウォーク』は同作で始めて披露されました。
腰を振りながら歩く『モンロー・ウォーク』の秘密は、左右でヒールの高さが違う靴を履くことです。マリリン・モンローが思いついたアイデアでした。
1953年はマリリン・モンローが大スターとなった年。映画『紳士は金髪がお好き』や『百万長者と結婚する方法』といったマリリン・モンローの代表作が発表されています。
また、同年には雑誌『PLAYBOY』の創刊号に写真が掲載されました。マリリン・モンローは世界的なシンボルとなっていった年でもあります。
マリリン・モンロー来日! あの名言には続きが…
マリリン・モンローは大リーガーであるジョー・ディマジオと、1954年に結婚します。同年に新婚旅行先として来日。この来日は、読売ジャイアンツがジョー・ディマジオを招待したことで決まりました。
マリリン・モンローは日本で熱狂的な歓迎を受けることとなります。東京や福岡を巡り、記者会見でも質問が集中。「あなたは、なにを着て寝ているのですか?」という質問に、マリリン・モンローは次のように答えました。
「シャネル・ナンバーファイブ」
当時流行だった香水「シャネル・ナンバーファイブ(シャネルの5番)」という名言は、令和の若い世代にも語り継がれています。
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ちなみに、報道陣はこの会見の後も「何を着けて寝ているのですか」としつこく訪ねています。マリリン・モンローはこれに、香水以外の言葉で返しました。
「私が付けるのは… ラジオだけよ」
マリリン・モンローはセクシーな俳優としてとらえられていますが、知性も優れていた証拠といわれています。
日本からの帰国後、マリリン・モンローは映画『七年目の浮気』に出演しました。同作はマリリン・モンローが風で舞い上がる白いスカートを抑える姿が有名。
マリリン・モンローの演技で映画は大ヒットしましたが、夫との仲は悪化。短い結婚生活は終わりとなりました。セクシーな俳優というイメージを変えるべく、マリリン・モンローはニューヨークで演技を学び始めます。
努力の甲斐あって、1956年の映画『バス停留所』は成功。マリリン・モンローはさらに劇作家アーサー・ミラーと再婚をします。
俳優としても好調で、映画『王子と踊り子』や『お熱いのがお好き』といった作品に出演。『お熱いのがお好き』では、『ゴールデングローブ賞』主演女優賞に輝きました。
しかし私生活では、流産や夫との不仲に悩まされていました。1961年には、夫であるアーサー・ミラーが脚本を手がけた映画『荒馬と女』に出演します。
同作では映画『風と共に去りぬ』でレット・バトラーを演じた名優クラーク・ゲーブルと共演。
映画の撮影と共にアーサー・ミラーとの仲も終わり、1961年に離婚しています。
マリリン・モンロー、その死
※写真はイメージ
1961年から、マリリン・モンローは映画『女房は生きていた』の撮影に入りました。
交際をウワサされていたジョン・F・ケネディ大統領の誕生日パーティに出演し、『ハッピー・バースデー』を歌ったのは1962年。このパーティでマリリン・モンローが着たドレスは、2016年に約5億3千万円で落札されました。
1962年6月には誕生日を迎えたマリリン・モンロー。しかし、同年8月5日、マリリン・モンローは自宅で亡くなりました。
マリリン・モンローの葬儀を取り仕切ったのは2番目の夫、ジョー・ディマジオです。彼はマリリン・モンロー亡き後にその墓へ週3回バラを捧げ続けました。
マリリン・モンローは絵の中で…
マリリン・モンローは亡くなった後も影響を与え続けています。ミュージシャンのマドンナも、自らのMV『Material Girl』でマリリン・モンローをオマージュしました。
令和の時代でも多くの人に知られているマリリン・モンローのイラストは、アーティストのアンディ・ウォーホルによる『マリリン・モンロー(マリリン)』でしょう。
1967年に描かれたこの絵は、金髪に青いアイシャドウと真っ赤な口紅のメイクをしたマリリン・モンローを描いています。
ウォーホルの「モンロー」競売へ 2007年
アンディ・ウォーホルの『マリリン・モンロー(マリリン)』は高い人気で、Tシャツやポスターイラストとして採用されています。パソコンやスマホの壁紙にする人も。
また、2015年には見る距離によって変わる『ハイブリッド・イメージ』が話題となりました。イラストを見ると、マリリン・モンローに見えたり、アインシュタイン博士に見えたりするというものです。
マリリン・モンローの『ハイブリッド・イメージ』についてくわしくは、次の記事をご覧下さい。
アインシュタイン?マリリンモンロー?近視かどうかで見える絵が変わる不思議
マリリン・モンローは死後もポップ・カルチャーのアイコンとして、多くの人に親しまれています。白いドレスを着たファッションや金髪は忘れられることはないでしょう。
マリリン・モンロー プロフィール
本名:Norma Jeane Mortenson
生年月日:1926年6月1日
没年:1962年8月5日
出身地:アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
身長:166㎝
ロサンゼルスで生まれる。母親が精神的に不安定なため養護施設で育った。16歳で最初の結婚をするが離婚。モデルデビューした後、映画『嵐の園』に出演した。出世作『ナイアガラ』でモンロー・ウォークを披露。1954年には大リーガーのジョー・ディマジオと結婚するが1年経たずに破綻した。同年には来日している。映画『七年目の浮気』でのスカートを抑える姿も有名。1956年に劇作家アーサー・ミラーと再婚したが1961年離婚。1962年に自宅で死亡しているところが発見された。死後、アンディ・ウォーホルのイラストや大衆文化のアイコンとして知られるようになる。
[文・構成/grape編集部]