蜷川幸雄さん逝去 世界的に活躍した演出家 娘の蜷川実花さんもコメントを発表 By - grape編集部 公開:2016-05-12 更新:2019-01-29 訃報 Share Post LINE はてな コメント 藤原竜也さんのデビュー作となった舞台【身毒丸】など、数多くの舞台演出を手掛けた、蜷川幸雄さんが、2016年5月12日に亡くなったことがわかりました。 舞台以外にも、嵐の二宮和也さんが主演した【青の炎】や、女優の吉高由里子さんの名前を一躍世間に広めた【蛇にピアス】など、映画の演出も手がけ、多岐に渡る活動を展開。 数多くの俳優を育てあげた演出家 蜷川さんは、厳しい舞台稽古でもよく知られる演出家。「稽古中に灰皿を投げつける」という逸話は、特に有名です。 しかし、そんな強烈な舞台稽古により、確かな演技力を築き上げた役者さんも多く、芸能界の第一線で活躍する俳優さんたちからの信望が厚いことで知られています。 過去のインタビューにおいて、舞台【NINAGAWAマクベス】に出演した小栗旬さんは蜷川さんに対して下記のようなコメントを残しています。 「蜷川さんは、僕の知的レベルを上げてくれたんです。言葉の大切さやアートと人間の関わりなど、一つひとつ教えてもらった時間は、僕の財産です」 zakzak ーより引用 また、「蜷川幸雄の秘蔵っ子」とまで言われた藤原竜也さんも、過去のインタビューで蜷川さんの人となりに対して語っています。 蜷川さんは深いところで俳優を見てくれるし、ダメ出しもしてくれます。稽古の時からレベルが高くて、俳優としてだけではなく人間としても成長させてもらえます。 zakzak ーより引用 一度舞台に入れば、演出家として激しい指導を行ってきた蜷川さん。しかし、それ以上に俳優、そして舞台への「愛情」をもって真摯に打ち込んできたことが、起用された俳優さんたちのコメントから伝わってきます。 娘の蜷川実花さんもコメントを発表 今回の蜷川さんの訃報に、実の娘であり写真家・映画監督として活躍中の蜷川実花さんもコメントを発表。 今日、父が逝ってしまいました。 最期まで闘い続けたかっこいい父でした。 父の娘でいられたことを誇りに思います。 ninagawamikaさん(@ninagawamika)が投稿した写真 – 2016 5月 12 2:20午前 PDT 今日、父が逝ってしまいました。最期まで闘い続けたかっこいい父でした。父の娘でいられたことを誇りに思います。 蜷川さんは、2015年12月に軽度の肺炎で入院。その後、治療とリハビリを続けていました。 もちろん舞台への熱は失われることがなく、吸入器に車いすという出で立ちでなおも稽古場に向かい、実花さんの言葉通り、最期まで闘い続けていたのでした。 「世界のニナガワ」と呼ばれた演出家 生前、紫綬褒章や文化勲章など授章し、輝かしい功績を残し続けてきた蜷川さん。 また、多くの海外公演を成功に導き「世界のニナガワ」と呼ばれるほど、海外からの評価も高い、日本を代表する演出家の一人。 もう蜷川さんが手がける作品を目にすることができないことが悔やまれてなりません。しかし、彼が残した多くの伝説は今後も語り継がれ、演劇界で生き続けていくことでしょう。心からお悔やみ申し上げます。 出典 zakzak Share Post LINE はてな コメント
藤原竜也さんのデビュー作となった舞台【身毒丸】など、数多くの舞台演出を手掛けた、蜷川幸雄さんが、2016年5月12日に亡くなったことがわかりました。
舞台以外にも、嵐の二宮和也さんが主演した【青の炎】や、女優の吉高由里子さんの名前を一躍世間に広めた【蛇にピアス】など、映画の演出も手がけ、多岐に渡る活動を展開。
数多くの俳優を育てあげた演出家
蜷川さんは、厳しい舞台稽古でもよく知られる演出家。「稽古中に灰皿を投げつける」という逸話は、特に有名です。
しかし、そんな強烈な舞台稽古により、確かな演技力を築き上げた役者さんも多く、芸能界の第一線で活躍する俳優さんたちからの信望が厚いことで知られています。
過去のインタビューにおいて、舞台【NINAGAWAマクベス】に出演した小栗旬さんは蜷川さんに対して下記のようなコメントを残しています。
また、「蜷川幸雄の秘蔵っ子」とまで言われた藤原竜也さんも、過去のインタビューで蜷川さんの人となりに対して語っています。
一度舞台に入れば、演出家として激しい指導を行ってきた蜷川さん。しかし、それ以上に俳優、そして舞台への「愛情」をもって真摯に打ち込んできたことが、起用された俳優さんたちのコメントから伝わってきます。
娘の蜷川実花さんもコメントを発表
今回の蜷川さんの訃報に、実の娘であり写真家・映画監督として活躍中の蜷川実花さんもコメントを発表。
今日、父が逝ってしまいました。最期まで闘い続けたかっこいい父でした。父の娘でいられたことを誇りに思います。
蜷川さんは、2015年12月に軽度の肺炎で入院。その後、治療とリハビリを続けていました。
もちろん舞台への熱は失われることがなく、吸入器に車いすという出で立ちでなおも稽古場に向かい、実花さんの言葉通り、最期まで闘い続けていたのでした。
「世界のニナガワ」と呼ばれた演出家
生前、紫綬褒章や文化勲章など授章し、輝かしい功績を残し続けてきた蜷川さん。
また、多くの海外公演を成功に導き「世界のニナガワ」と呼ばれるほど、海外からの評価も高い、日本を代表する演出家の一人。
もう蜷川さんが手がける作品を目にすることができないことが悔やまれてなりません。しかし、彼が残した多くの伝説は今後も語り継がれ、演劇界で生き続けていくことでしょう。心からお悔やみ申し上げます。