野際陽子の過去について娘・真瀬樹里が語ったことは? ヒロシが「あの人は…」と人柄を明かす
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女優として活躍していた故・野際陽子さん(享年81)。
凛とした美貌と存在感のある演技力で、男女問わず多くの人から支持されていました。
そんな野際陽子さんの家族や闘病生活、交友関係など、さまざまな情報をご紹介します。
野際陽子ってどんな人?
まずは野際陽子さんのプロフィールをチェックしていきましょう。
生年月日:1936年1月24日
没年:2017年6月13日
出身地:富山県
血液型:A型
身長:163cm
所属事務所:ラヴァンス
野際陽子さんは1936年に富山県で生まれました。立教大学に進学し、在学中にミス立教に選ばれています。1学年上の先輩に芸能リポーターの東海林のり子(しょうじのりこ)さんがいて、一緒にESS(英語研究会)で英語劇をしていました。
東海林のり子さんがニッポン放送に入社すると、野際陽子さんが職場に遊びに来たことがあったそうです。「アナウンサーもいいわね」と東海林のり子さんにいった野際陽子さんは、1958年にNHKへ入局。アナウンサーとなりました。
ところが、入局してたった4年でNHKを退職。理由はフランス留学の資金のためでした。NHKでは留学資金が稼げないと思っていたところ、3倍の給料を出してくれるという広告代理店から誘われて転職したそうです。
フリーとなった後は、トーク番組『女性専科』(TBSテレビ系)の司会を務めました。女優としてもドラマ『悲の器』(TBSテレビ系)でデビュー。
1966年には、念願だったフランスのソルボンヌ大学に留学し、フランス文学を学んでいます。
帰国時には、当時最先端ファッションのミニスカートをはいて話題に。翌1968年に代表作の1つとなった、ドラマ『キイハンター』(TBSテレビ系)に出演しました。主題歌『非情のライセンス』も歌い、一躍人気女優となります。
『キイハンター』では、後の夫となる俳優・千葉真一さんと出会いました。結婚は1973年、人気俳優同士とあって取材が押し寄せています。
1975年、野際陽子さんは38歳で娘・真瀬樹里(まなせじゅり)さんを授かりました。当時は、「芸能界最高齢での出産だ」と注目されました。
その後も野際陽子さんは育児と仕事を両立しつつ、1979年の映画『日蓮』や、翌年公開された『二百三高地』に出演していました。
存在感のある女優として欠かせない存在になりましたが、さらに一世を風靡した役柄が、1992年のドラマ『ずっとあなたが好きだった』(TBSテレビ系)での姑役です。
野際陽子さんは、息子に対して異常な愛着を持つ母親を熱演しました。最終回の視聴率は34.1%を記録し、社会現象にもなっています。
息子役の佐野史郎さんが演じた『冬彦さん』は、マザコン男の代名詞として流行語になりました。野際陽子さんの熱演もあってのことでしょう。
人気が上がり多忙になっていた1994年、千葉真一さんと離婚します。アメリカへ進出したい千葉真一さんと日本で仕事がしたい野際陽子さんとの間で意見が違い、円満離婚へ。「妻であることが下手な女房だった」と、野際陽子さんは離婚会見で述べています。
その後も野際陽子さんの人気は衰えず、多数の映画やドラマに出演していました。野際陽子さんが演じた中でも異彩を放つ役が、1997年にドラマ化された、少女漫画の名作『ガラスの仮面』の月影先生こと『月影千草』です。
片方の顔をウェーブのかかった髪で隠し、黒いドレスを着た元名女優『月影千草』を野際陽子さんが演じると、「そっくり」「瓜二つ」と絶賛されました。
野際陽子の娘は真瀬樹里 親子秘話
野際陽子さんは、とてもきちんとした母親であろうと務めたそう。娘の真瀬樹里さんによれば「怖かった」ほどの接しかただったといいます。娘が芸能界を志望しても、「義務教育を終えるまでは学業に専念して欲しい」と、なかなか認めませんでした。
そんな真瀬樹里さんが芸能界デビューしたのは1994年、19歳の時です。しかし母親である野際陽子さんの厳しい態度は変わらず、衝突することもしばしばでした。
野際陽子さんが考えを改めたのが、真瀬樹里さんからのある言葉です。2018年7月12日の情報バラエティ番組『直撃!シンソウ坂上SP』(フジテレビ系)で、真瀬樹里さんは次のように語っていました。
娘の言葉に「間違ってたかもしれない」とVTRで語る野際陽子さんでしたが、その後は犬を一緒に育てたり交換日記したりするなどして関係は改善。
真瀬樹里さんは女優としてキャリアを積み、父の千葉真一さんや異母兄弟である新田真剣佑(あらたまっけんゆう)さんとも仲がよく、時折食事をしているそうです。
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野際陽子の闘病生活 演技が「生きた証」
野際陽子さんと娘である真瀬樹里さんは、意見の違いも乗り越え仲のよい親子でした。ところが2014年に野際陽子さんに肺のがんが発見されます。初期だったこともあり、野際陽子さんは公表せずに手術を受けました。
しかし、野際陽子さんの声が明らかに衰えているのは、視聴者にも分かりました。仕事をしながら治療を続けていましたが、がんは再発。
野際陽子さんのがんが再発した時のことを、娘である真瀬樹里さんは『直撃!シンソウ坂上SP』で語りました。
家族の心配もよそに、着替えをする部屋に酸素ボンベを置いてまで仕事に励む野際陽子さん。病気でもそれは変わらず、「女優とはいつも毅然としていて、笑顔で現場を盛り上げるもの」という信念を貫いていました。
たび重なる手術を重ねたせいでもう手術ができないという時になっても、相性のいい抗がん剤がみつからず、苦労したといいます。
やっと合う抗がん剤が見つかったのですが、肺炎を併発して入院。2017年6月13日に亡くなりました。
ドラマ『花嫁のれん』(フジテレビ系)で共演した山本圭さんに「役を演じるということが生きる証」といわれた野際陽子さん。享年81歳でした。
「花嫁のれん」制作発表 野際陽子(左端) 2014年12月08日
葬儀は密葬でしたが、亡くなったことを知った多数の人が大女優の最後を悼みました。
俳優の佐藤二朗さんは、野際陽子さんの知られざる一面を告白しています。
佐藤二朗、野際陽子との思い出を語る しんみりとしたツイートに涙
野際陽子がヒロシにくれたプレゼントとは?
お笑い芸人のヒロシさんが、生前の野際陽子さんから受けた温かいふるまいについて、2018年11月6日のトーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で話してくれました。
2005年ごろから、「ヒロシです…」で始まる自虐的なネタで人気が爆発したヒロシさん。一時期は最高月収が4000万円となりましたが、その後は仕事が激減。自分で「一発屋」と自嘲するように。
立場が急に変わったことから、ヒロシさんは「一発屋であることがこんなにつらいとは思わなかった」そうです。ところが野際陽子さんだけは違っていたと、次のように語ってくれました。
さらに野際陽子さんは、ヒロシさんの誕生日にスカーフをプレゼントしてくれたといいます。
ヒロシさんの話に対し、MCの黒柳徹子さんは「あの人(野際陽子さん)はそういう人ですよね。いい人」と答えていました。
野際陽子さんと黒柳徹子さんは、若いころから60年間の友人であったそう。昔、NHKに同期で入社した時から仲がよく、『徹子の部屋』にも野際陽子さんは多数出演しています。
「徹子の部屋」30周年記念会見 右端に野際陽子 2006年
2019年1月10日に放映されたバラエティ番組『突撃!しあわせ買取隊』(テレビ東京)には、娘の真瀬樹里さんが登場。野際陽子さんの遺品を整理する様子が放映されました。生前、ほかにも出たい番組があった野際陽子さんですが、意外な形でいろいろな番組に影響を与えています。
野際陽子が生前出たがっていた『番組』は、まさかの? ネットで驚きの声広がる
亡くなってもなお、メディアで取り上げられることがある野際陽子さん。その毅然として美しい姿は、多くの人の心に残り続けることでしょう。
[文・構成/grape編集部]