再注目される『志村けんの芸名』 悲劇的な背景に、涙
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- 出典
- ファミリーヒストリー
世界中で猛威を振るい、数多くの死者を出している新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)。2020年3月29日には、コロナウイルスを発症し肺炎で入院していたお笑いタレントの志村けんさんが亡くなり、日本中に衝撃が走りました。
ファンや関係者から悲しみの声が相次ぐとともに、多くの人々がコロナウイルスの危険性を再認識しています。
同月30日には急きょ追悼番組として、2018年5月に放送されたドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』(NHK)が再放送されました。
『志村けん』の芸名の由来は父親
番組内容は、志村さんのルーツを祖先や両親などから探っていくとうもの。
その中で、志村けんは芸名で本名は志村康徳(やすのり)であることを紹介し、さらに志村さん自身が芸名の由来を明らかにしました。
交通事故に遭って記憶を失った父親
東京都東村山市の出身である志村さんは、小学校教諭の父親・志村憲司さんと、地元の寺の初代踊り子を務めた母親・小山和子さんの間に3男として誕生。「徳川家康のように立派な人間になってほしい」との願いから、『康徳』と父親に名付けられました。
そんな志村さんがお笑いに目覚めたきっかけは、厳格でいつも難しい顔をしていた父親が、テレビの舞台中継を見て大笑いしたこと。
当時を振り返って、志村さんは次のように語っています。
小学生だった志村さんは影響を受け、学校でコントを披露するように。
そんなある日、父親はバイク通勤の帰り道で交通事故に遭ってしまいます。当初は骨折などで済んだように見えたのですが、3年後に異変が。
志村さんのことを見ても「あの、どちらさまですか」というようになったのです。
精密検査の結果は脳内出血による記憶障害。入退院を繰り返すようになり、そのうち街を徘徊するようになってしまいました。
志村さんは、音楽ユニットおよびコントグループの『ザ・ドリフターズ』に見習いとして入る際、「父親の世話を家族に押し付けていいのか」と悩んだとのこと。しかし、家族は誰一人、志村さんが家を離れることに反対しませんでした。
『ザ・ドリフターズ』に入った志村さんは、父親の名前である『憲司』の『憲』から芸名をつけ、『志村けん』に。
その後、父親は54歳で他界。後遺症のため、最後まで息子が『ザ・ドリフターズ』に入ったことを理解できずに逝ってしまったそうです。
【ネットの声】
・若くして亡くなられたお父様の名前から名付けたのか…胸がキュッてなった…。
・本名に込められた意味も、今知ると胸に迫るものがある。息子さんは本当に偉大な人でした。
・「末っ子が早く来たもんだな」と、お父様は志村さんのことを天国で温かく迎えてくださることでしょう。
・家族への深い愛が伝わるエピソードですね。コロナウイルスに奪われて、本当に心が苦しい。お悔やみ申し上げます。
家族への愛を胸に、芸に生きた志村さん。多くの人に笑顔を届けた功績を人々は決して忘れません。
志村さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。
[文・構成/grape編集部]