「52年も勤めれば、そりゃあ経験豊富ですよ」 ラジオの裏側はこんな感じ! By - grape編集部 公開:2017-08-23 更新:2017-08-23 ニッポン放送ラジオ書籍 Share Post LINE はてな コメント テレビや雑誌と違い、音だけで情報を伝えるラジオ。耳だけで楽しめるので、何か作業をしながら聞いている人も多いのではないでしょうか。 ※写真はイメージ テレビが登場した当初、ラジオを聴く人は減っていくと予想されていました。 しかし最近では、インターネットで多数の局のラジオが聴ける『radiko.jp』が登場し、ラジオ人気に再び火が付いています。 ラジオを聴いていると、番組を好きになることもあれば、声や話の運び方から、パーソナリティを気に入ることも。 「どうしてこの人は、ラジオに人生を捧げたんだろう」 パーソナリティの人生を掘り下げたら、面白い話が出てきました。 TVのような、映像の補完はイヤだった パーソナリティ歴52年の高嶋秀武さんは、子どものころからラジオ一筋! 「テレビが登場したから、ラジオはそろそろ終わりだぞ」といわれても動じず、ラジオに情熱を注ぎ続けてきました。 ニッポン放送の人気ラジオ番組『オールナイトニッポン』で、複数回パーソナリティを勤めたこともある高嶋さん。現在は、同じくニッポン放送で『高嶋ひでたけのあさラジ!』という冠番組を持っています。 そんな高嶋さんが、書籍『高嶋ひでたけの読むラジオ』を出版しました。 高嶋さんの、ラジオを愛する気持ちが伝わってくる一冊となっています。 本の中で、高嶋さんは「ラジオを好きになり、アナウンサーという職種があることを知ったのは、父親の影響だった」と語ります。 復員後、米軍基地で働いていた父親の楽しみは、帰宅後のラジオでした。子どものころの高嶋さんは、ラジオから流れてくる実況のモノマネをしたり、人気アナウンサーの声帯模写を披露して遊んでいたそうです。 父親から「好きな仕事をやれ。それが一番だよ」といわれて育った高嶋さんは、迷うことなくラジオ放送局の入社試験を受け、男子だけでも1300人いた受験者の中から、合格しました。 そこから、ラジオパーソナリティとしての人生が始まります。 実況に必要なのは下調べ? 高嶋さんが忘れられないのは、入社1年目に経験した、富士山5合目からの『新年のご来光』を中継した時のことです。 「はたして自然の織りなす荘厳な現象を、自分の貧しい言葉で表現できるのか」と心配した高嶋さんは、図書館に通い、ご来光に関する書籍を夢中になって読みました。 残念ながら新年のご来光中継は、天候が悪くてできませんでした。しかし、前日の大晦日に、日の出の実況はすることができて、結果は大好評! 他人の表現を繰り返し見たり、読んだりすることで、自分の言葉にすることができたのです。 場面に適した言葉を知ることが、言葉で描写する力を高める近道でした。 外見でしゃべり方が変わる 高嶋さんは30代のころ、『大入りダイヤル!まだ宵の口』というラジオ番組のパーソナリティになりました。 当時、高嶋さんの外見はスポーツ刈りの真面目少年。それを見たプロデューサーから、こんなアドバイスをもらいます。 「ラジオは姿が見えないから外見なんかどうでもいいは間違いで、人は見た目でものの言い方も変わる。それなりの格好でリスナーの兄貴分のような感じでしゃべらないとだめだ」 書籍『高嶋ひでたけの読むラジオ』 ーより引用 このプロデューサーに厳命され、口ひげを生やし、長髪にGパンをはいてキャラクター付けを行います。そして『ヒゲ武』という愛称をもらうと、とても人気が出ました。 『ヒゲ武』の外見に合ったしゃべり方に、自然となって、リスナーを楽しませるトークができたのです。 これからもしゃべり続けたい 高嶋さんは、これからも、言葉で人を楽しませることを続けていきたいと語ります。 「何か面白いことに出会って、または面白いことを聞いて、これをしゃべりたい!と思ってもその機会がなければ、相当つまんないじいさんになるだろうなと思うんですよ。 だから新規のFMでもいいし、老人ホームでお年寄り10人の前で語りかけるとかね。なんでもいい、どこかでおしゃべりの機会がいつも持てているような、そんな元気なじいさんでいたいですね」 『月刊 Hanada』2017年9月号 ーより引用 現在はフリーで活躍している高嶋さん。1度も「仕事に行きたくない」と思ったことがないそうです。 しゃべることが生きがいであるからこそ、ラジオ人生を歩むことができたのでしょう。高嶋さんは、まだまだ精力的に、ラジオに取り組んでいきます。 小学館 高嶋秀武 著 『高嶋ひでたけの読むラジオ』 Amazon:『高嶋ひでたけの読むラジオ』 参考文献:『月刊 Hanada』2017年9月号 [文・構成/grape編集部] 「やす子の才能ほんとすごい」 猫を描いたアクリル画がプロレベル!『画家・やす子』の描く絵が話題に!モデルは愛猫?猫の大きなあくびを描いたところ…。 「嘘でしょ!?きれいすぎ!」50歳オーバーで『ミニスカ』を披露した女性芸能人たちクールなイメージの吉瀬美智子さんも!?50代でも『ミニスカ』を着こなす女性芸能人たちをまとめて紹介します。 Share Post LINE はてな コメント
テレビや雑誌と違い、音だけで情報を伝えるラジオ。耳だけで楽しめるので、何か作業をしながら聞いている人も多いのではないでしょうか。
※写真はイメージ
テレビが登場した当初、ラジオを聴く人は減っていくと予想されていました。
しかし最近では、インターネットで多数の局のラジオが聴ける『radiko.jp』が登場し、ラジオ人気に再び火が付いています。
ラジオを聴いていると、番組を好きになることもあれば、声や話の運び方から、パーソナリティを気に入ることも。
「どうしてこの人は、ラジオに人生を捧げたんだろう」
パーソナリティの人生を掘り下げたら、面白い話が出てきました。
TVのような、映像の補完はイヤだった
パーソナリティ歴52年の高嶋秀武さんは、子どものころからラジオ一筋!
「テレビが登場したから、ラジオはそろそろ終わりだぞ」といわれても動じず、ラジオに情熱を注ぎ続けてきました。
ニッポン放送の人気ラジオ番組『オールナイトニッポン』で、複数回パーソナリティを勤めたこともある高嶋さん。現在は、同じくニッポン放送で『高嶋ひでたけのあさラジ!』という冠番組を持っています。
そんな高嶋さんが、書籍『高嶋ひでたけの読むラジオ』を出版しました。
高嶋さんの、ラジオを愛する気持ちが伝わってくる一冊となっています。
本の中で、高嶋さんは「ラジオを好きになり、アナウンサーという職種があることを知ったのは、父親の影響だった」と語ります。
復員後、米軍基地で働いていた父親の楽しみは、帰宅後のラジオでした。子どものころの高嶋さんは、ラジオから流れてくる実況のモノマネをしたり、人気アナウンサーの声帯模写を披露して遊んでいたそうです。
父親から「好きな仕事をやれ。それが一番だよ」といわれて育った高嶋さんは、迷うことなくラジオ放送局の入社試験を受け、男子だけでも1300人いた受験者の中から、合格しました。
そこから、ラジオパーソナリティとしての人生が始まります。
実況に必要なのは下調べ?
高嶋さんが忘れられないのは、入社1年目に経験した、富士山5合目からの『新年のご来光』を中継した時のことです。
「はたして自然の織りなす荘厳な現象を、自分の貧しい言葉で表現できるのか」と心配した高嶋さんは、図書館に通い、ご来光に関する書籍を夢中になって読みました。
残念ながら新年のご来光中継は、天候が悪くてできませんでした。しかし、前日の大晦日に、日の出の実況はすることができて、結果は大好評!
他人の表現を繰り返し見たり、読んだりすることで、自分の言葉にすることができたのです。
場面に適した言葉を知ることが、言葉で描写する力を高める近道でした。
外見でしゃべり方が変わる
高嶋さんは30代のころ、『大入りダイヤル!まだ宵の口』というラジオ番組のパーソナリティになりました。
当時、高嶋さんの外見はスポーツ刈りの真面目少年。それを見たプロデューサーから、こんなアドバイスをもらいます。
このプロデューサーに厳命され、口ひげを生やし、長髪にGパンをはいてキャラクター付けを行います。そして『ヒゲ武』という愛称をもらうと、とても人気が出ました。
『ヒゲ武』の外見に合ったしゃべり方に、自然となって、リスナーを楽しませるトークができたのです。
これからもしゃべり続けたい
高嶋さんは、これからも、言葉で人を楽しませることを続けていきたいと語ります。
現在はフリーで活躍している高嶋さん。1度も「仕事に行きたくない」と思ったことがないそうです。
しゃべることが生きがいであるからこそ、ラジオ人生を歩むことができたのでしょう。高嶋さんは、まだまだ精力的に、ラジオに取り組んでいきます。
小学館 高嶋秀武 著 『高嶋ひでたけの読むラジオ』
Amazon:『高嶋ひでたけの読むラジオ』
参考文献:『月刊 Hanada』2017年9月号
[文・構成/grape編集部]