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駅のホームで手をつなぐ父子 それだけなのに周囲が目を離せなくなった理由【grape Award 2018 入選作品】

By - grape編集部  公開:  更新:

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※ 写真はイメージ

grapeでは2018年にエッセイコンテスト『grape Award 2018』を開催。『心に響く』をテーマにした多くのエッセイが集まりました。

今回はそんな心に響くエッセイの中から、佳作に選ばれた『大きな左手と小さな右手』をご紹介します。

大きな左手と小さな右手

もう十年も前のことである。ポカポカと穏やかな日差しが駅のホームに降り注ぎ、いやが応でも春という季節を感じさせられる五月の午後だった。

私と主人は神戸の街中に買い物に出掛け、その帰りに普通列車に乗り換えるために降りた駅のホームでのことだった。改札のある上階から降りてきたと思われる親子が、ふと私たちの視界の中に入った。楽しそうに親子で会話をする二人の後ろ姿はとても微笑ましかった。どこにでもある、ありふれた風景だ。父親に向かって楽しそうに話しかけるその小さな男の子のあどけない横顔を見ると、小学校の一年生くらいだろうか……。

その時、新快速列車の通過を注意するアナウンスが警告のチャイムとともに流れた。すると男の子は父親とつないでいた右手をキュッと握り、
「パパ、電車が通過するから、ちょっと下がろうか……。」

二人は一歩下がった。あっ、その時私は初めて気付いた。その父親の右手には白杖があった。ちょうど杖が体の向こう側に隠れていて、私からは見えなかったのだ。いや、それだけではない。父親は全幅の信頼をまだ幼い自分の息子に託し、ホームでは杖を地面についてはいなかったのだ。だから私は気付かなかったのだ。

まもなくして通過列車は轟音と風圧をホームに残して去った。予想以上の風圧に前髪がサラサラと風になびいた男の子は、思わず目をつむった。男の子はすぐさま目を開けると父親の方を向いて笑いながら、「すごかったね!」と。父親はつないでいた自分の左手を一瞬離し、その大きな手で息子の頭を優しく撫でた。満面の笑みの男の子は、すぐさまその父親の大きな左手をしっかりと自分の右手で握り直した。

手をつなぐ。

たったそれだけの行為にこれほど心を奪われたことがあっただろうか。普通列車の到着を知らせるアナウンスが流れ、私は我に返った。そばにいた主人に目をやると、主人もその親子を見つめていた。周りにいた人々も皆、優しい面立ちで彼らを見守っていた。「同じ気持ちなんだ」私はそう思った。

普通列車が到着すると、男の子は父親の手をしっかり握り、父親の足元を目で確認しながら二言、三言声をかけながら父親を促し、無事に二人は車内へ乗り込んだ。同じドアから乗車した私たちや他の乗客も、二人を見守るようにゆっくりと乗車した。車内ではその駅から乗った乗客だけがなぜかホッとしたような、そして幸せな気持ちを味わっていた。

「やっぱり子どもなんだな……。」

主人がふと私の耳元で言った。白杖を持つ父親の右手の腕には有名なおもちゃ屋さんのロゴが印刷された白い袋があった。当時、幼い子どもたちが事あるごとに親たちに連れて行けと騒いだ、あのおもちゃ屋さんの袋だった。きっと、男の子が父親にせがんだのだろう。それを見て思わず口元が緩み、ちょっと安堵した気持ちもあった。大人顔負けのしっかりした男の子が、急に普通の子どもに見えた。

すると主人が、
「あのくらいの歳の男の子なら、落ち着きなくチョロチョロしたり、駄々をこねたりしても不思議じゃないのになぁ。あんなに小さくても責任感なのかね。子どもって凄いな。大人から見ても立派だよ。」
私たちは親子を見た。笑顔で父親に話しかける男の子の右手は、車内でもしっかりと父親の左手を握っていた。

あっという間に隣りの駅に着いた。私は電車から降りる前に、反対側のドアのそばに立つ親子をもう一度見た。「頑張れ!」と心の中で男の子にエールを送った。

今思えば、彼にとっては特別なことではなく、ごく普通の日常だろう。でも自分の息子の同じ歳の頃を思い出すと、本当に彼の見事なエスコートぶりは拍手に値する。

今でも同じ駅のホームに行くことがあると、ふとあの親子を思い出す。幼かったあの男の子も、もう高校生くらいだろうか。おもちゃ屋さんはあの出来事の後、時代の流れとともに閉店してしまい、二度と彼らを見かけることもなかった。時は流れ街の様子が変わっても、強い絆で結ばれたあの親子の大きな左手と小さな右手を、私は決して忘れることはない。

grape Award 2018 佳作
タイトル:『大きな左手と小さな右手』
作者:遠藤 浩子

『心に響く』エッセイコンテスト『grape Award 2018』

grapeでは2017年よりエッセイコンテスト『grape Award』を開催しています。2018年には昨年を大きく超える695本のエッセイが集まりました。

その中から最優秀賞・1作品、タカラレーベン賞・1作品、優秀賞・2作品、佳作・4作品が選ばれました。

入選したその他の作品は、こちらからご確認いただけます。

『grape Award』に関して詳細はこちら。


[構成/grape編集部]

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