いつが最後になるのか誰もわからない だからこそ、「いま、ここ」にしっかりと立ち、味わう
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吉元由美の『ひと・もの・こと』
作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。
たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。
最後に何を……
母は最後に何を食べたのだろう。お線香をあげながら、ふと思う。
5年前のクリスマスイブの朝、介護ホームの部屋で脳梗塞を起こして倒れ、病院へ。翌日に意識が戻ったとき、母は言葉と右半身の自由を失っていました。
話しかけてもきょとんとした顔をして、(この子はいったい誰だろう)と探るように私を見る。そんな母の姿を目の前にし、母の人生はまったく違う次元へ行ってしまったのだと思いました。
倒れる前日、母はどんな夕食を取ったのだろう。それを妹は確認していました。ホームで出されたのは鯖の味噌煮だったそうです。母は鯖の味噌煮が好きでした。
でも、ふと何だかかわいそうな気がしました。おそらく、そんなに話し相手もいなく、ひとりで食べていたのではないか。おいしく食べられたのだろうか。
亡くなって5年も経ってからそんなことを思い出してもどうにもならないことはわかっていますが、それが人生最後のちゃんとした食事だったのかと思うと、胸の奥からやりきれなさが湧き起こるのです。
きょとんとした顔をして私を見ているとき、何を思っていたのか。何も、ものを言わない母に責められているような気になり、後悔ばかりが次々と波のように心に打ち寄せたのでした。
最後に……誰もが、いつかはこの言葉に出会います。そして、いつが最後になるのか誰もわからない。だからこそ、「いま、ここ」にしっかりと立ち、味わう。
母も、その人生のシナリオを味わって生ききったのだと。若くして逝った友人たちも、神様と約束してきた時間を味わい尽くしていたのだと。
そう思うことで、私は大好きな人たちの死を受け入れることができたのです。
やれることを、やる。精一杯、やる。ただこれだけです。そして、命をつなぐ食事を、美味しくいただく。白いご飯とお味噌汁と梅干しだけでも、おいしく、ありがたく。
そんなささやかなことも、人生という物語のひとつの支えになるような気がしてなりません。
脳梗塞の治療を終え、母は療養型の病院に転院しました。しかし2ヶ月後、その病院でもできることはなくなり、老人病院へ移りました。そのときは、もう何も受け付けない状態になっていました。
「でも……最後の最後に口にしたのは、千疋屋のマスクメロンのジュースだった」
母は、妹が持っていったメロンのジュースを少し飲んだのでした。このことを聞き、ほっとしたのです。母はメロンが好きでした。おいしく、少しだけでも味わっていたのではないかと。
最後に何を……思いをめぐらせながら、母に会いたくてたまらなくなりました。
※記事中の写真はすべてイメージ
作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー
[文・構成/吉元由美]
吉元由美
作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。
⇒ 吉元由美オフィシャルサイト
⇒ 吉元由美Facebookページ
⇒ 単行本「大人の結婚」