押阪忍、ラジオのデビューはニッポン放送 懐かしい収録の思い出
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こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。
ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言』にお付き合いください。
ラジオの思い出 その1
放送の仕事に携わって、今年で64年になります。入社はテレビ局ですが、フリーになってから、すぐにラジオの仕事を始めるようになりました。
これまで各局のラジオ局は体験して来ましたが、今でもラジオのレギュラーを、もう30年務めさせて頂いております。
ところで、当方のラジオのデビューは、有楽町のニッポン放送(LF)でした。1965年(昭和40年)のことです。
テレビ朝日を辞し、フリーになってからすぐに、ラジオの仕事もするようになり、その1つがニッポン放送でした。『東芝オーケストロン』という5分のミニ音楽番組でした。
電子オルガンは、ヤマハが主流でしたが、東芝は、東芝音楽工業(後の東芝EMI)を設立し、坂本九、水原弘、黛ジュン、奥村チヨといったスター歌手が活躍し始めました。
そして東芝は、電子オルガンも開発したのです。
ニッポン放送1階の第1スタジオの左前方の、片隅にピアノが置かれていましたが、その隣に、東芝の電子オルガン『オーケストロン』が置かれ、番組名もそのまま『オーケストロン』だったと記憶しております。
そのオーケストロンの傍に机が置かれ、マイクがセットされています。広いスタジオに、オーケストロンの演奏者と喋り手の当方だけ…。
2階の録音室の窓ガラス越しに、ディレクターが手を上げスタートのサインを出すと、それを演奏者が確認して音出しをして、当方のお喋りが始まります。
ガランとした広いスタジオに、演奏者と喋り手の2人だけの殺風景な収録…。でも、懐かしいラジオの思い出であります。
次回は坂本九さんとご一緒した『ワイドワイドサンデー』のお話しをご披露させて頂きます。どうぞ、お楽しみに。
<2022年3月>
フリーアナウンサー 押阪 忍
1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2022年現在、アナウンサー生活64年。
日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。