日本人初の夏冬パラリンピックメダル獲得!車いすアスリート・土田和歌子を支える家族の愛
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ダルビッシュ有が日本に帰国 向かった先は…?2024年11月12日、メジャーリーグの『サンディエゴ・パドレス』に所属するダルビッシュ有選手が、自身のブログを更新。日本に一時帰国していたことを明かしました。
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1998年、長野冬季パラリンピックではアイスレッジスピードレースに出場し、金2銀2、計4つのメダルを獲得。
2000年のシドニー夏季パラリンピックでは車いすマラソンで銅メダル、2004年 アテネパラリンピックでは車いす陸上5000mで金メダルと車いすフルマラソンで銀メダルを獲得‥等。
20歳で障がい者スポーツの世界に入って以来、常に世界トップレベルの選手として活動を続ける土田和歌子選手。
両足が不自由な彼女の活躍の陰には、常に家族の愛とサポートがありました。
出典:YouTube
土田選手が車いす生活を余儀なくされるようになったのは、高校2年生、17歳のとき。友達とドライブに出かけたときに事故に遭って脊髄を損傷してしまったのです。
実は、その前年に父を病気で亡くしていた土田選手。
「父の死に続いて、私の大けが…。当時の母は本当につらかったと思いますが、すごく気丈な人で、私が二度と歩けないことを宣告されたときも、私の前では涙一つ見せませんでした。でも後で姉に聞いたら、病院近くの公園でずっと泣き続けていたらしいです。悲しんでいる姿を私に見せたくなかったんでしょうね」
※画像はイメージです
そんなお母さんの気持ちをわかってはいるものの、まだ10代の土田さんはことあるごとにお母さんに反発、感情をぶつけてしまうこともよくありました。
「でも、母はいつもしっかり、私の言い分を聞いてくれました。私と考え方が違うときは『それは間違ってるよ』ときっぱりと意見してくるのですが、必ず『何があっても、お母さんはあなたの味方だよ』と言い添えてくれました。今にして思えば、その言葉にどんなにか救われ、勇気づけられてきたかわかりません」と土田選手は振り返ります。
「何があっても、お母さんはあなたの味方だよ」
この言葉を胸に、土田選手はつらいトレーニングや重圧の中での競技生活に耐え、前に進むことができたのです。
そして2006年、土田選手は長男を出産。子育てと競技生活を両立するハードな日々が始まりました。
「子育ては初めてのことの連続。特に乳幼児のころは本当に大変でした。気管支炎になった息子の看病をしている間に自分も体調を崩してしまい、出場予定だったレースを欠場したこともあります」と土田選手。
※画像はイメージです
「自分が母親になって思うのは、見守ることって本当に難しいんだなということ。母が私を見守ってくれたように、息子が困難に立ち向かっていく姿を見守る『強さ』を持ちたいと思います」
今も家を空けることが多い土田選手ですが、その間、ご主人がしっかり息子さんを見ていてくれるため、安心してレースやトレーニングに集中することができるそうです。
「息子も『ママ、頑張ってきてね』と見送ってくれます。母と姉、夫と息子が私を見守ってくれるからこそ、今の私があるのです」
そんな息子さんも、もう10歳。「これから、息子もいろんな困難に出会うと思います。私もいろんな困難に出会い、その度になんとか乗り越えながら生きてきましたし、今もそうです。苦しみながらも頑張って困難に立ち向かう私の姿を息子の記憶に残せたらいいな…、そんな想いで頑張っています」
42歳になったいまも、世界の舞台で勝負に挑む土田選手の次なる夢は、車いすマラソンで世界一のメダルを手にすること。どんな姿を息子さんに、そして私たちに見せてくれるのか、期待が高まります!