「クーデターを一喝!」 一夜にして沈静化させた、プミポン国王の尊さが伝わるエピソード
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ダルビッシュ有が日本に帰国 向かった先は…?2024年11月12日、メジャーリーグの『サンディエゴ・パドレス』に所属するダルビッシュ有選手が、自身のブログを更新。日本に一時帰国していたことを明かしました。
俳優・火野正平さんが逝去 腰痛の治療に励むも腰部骨折に火野正平さんが亡くなったことが分かりました。ご冥福をお祈りいたします。
grape [グレイプ] society
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ダルビッシュ有が日本に帰国 向かった先は…?2024年11月12日、メジャーリーグの『サンディエゴ・パドレス』に所属するダルビッシュ有選手が、自身のブログを更新。日本に一時帰国していたことを明かしました。
俳優・火野正平さんが逝去 腰痛の治療に励むも腰部骨折に火野正平さんが亡くなったことが分かりました。ご冥福をお祈りいたします。
2016年10月13日、タイ王国のラーマ9世(プミポン・アドゥンラヤデート国王)が88歳で崩御されたと報じられました。
1946年に即位して以来、国家元首としてタイ国民から愛され、尊敬されて来たプミポン国王。
タイ王室と日本の皇室は歴史的にも縁が深く、1963年にはプミポン国王が初来日し、昭和天皇と会談を行っています。
また、タイを訪れることの多い秋篠宮文仁親王を「我が子と同様」であるとして、懇意にされていたとも言われています。
スゴさが一発で伝わるエピソード
タイ国民から敬愛され、尊敬されてきたプミポン国王。
農業を始めとする地方経済の活性化プログラムを自ら指導し、土地改革運動のために王室所有の土地を提供するなど、数多くのエピソードが残されていますが、中でも世界中を驚かせたエピソードがあります。
基本的に、プミポン国王は国内政治に関して、直接的には干渉せず、官僚や軍などの利害関係の調整役として振る舞ってきました。
その象徴とも言うべき事件が、1992年の暗黒の5月事件。
暗黒の5月事件
1992年に起こったタイの軍事クーデター。軍を背景に首相となったスチンダーと、それに反発し、民主化を望む人民の対立。バンコク市内で行われたデモを、軍が武力で鎮圧するなど300人以上の死者が出た事件
この国家の危機とも言うべき事態に、プミポン国王が動きます。
軍部のボスとも言うべきスチンダー首相と、民主化運動グループの指導者チャムロンを王座の前に等しく正座させると、次のように一喝します。
「そんな事で国民のためになると思うか、双方ともいい加減にせよ」
出典:YouTube
タイ国民が敬愛するプミポン国王にこう言われては、いくら強弁を振るっても民衆の心を掴むことはできません。双方、矛を収め、騒乱は一夜にして沈静化しました。
当時のニュース映像を見ても、その威厳と人徳の高さがよく分かります。
日本でも、プミポン国王の崩御が報じられると、Twitterなどでこの一件が大きな話題となりました。
約70年という在位期間は、歴史的に見ても非常に長いと言われます。
その間、タイ国民のみならず、世界中の人々から愛され、尊敬されてきたプミポン国王。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。