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認知症で私を「お母さん」と呼ぶ祖母 諦めかけた時、2歳の娘が口を開き…【grape Award 2018 入賞作品】

By - grape編集部  公開:  更新:

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※ 写真はイメージ

grapeでは2018年にエッセイコンテスト『grape Award 2018』を開催。『心に響く』をテーマにした多くのエッセイが集まりました。

今回はそんな心に響くエッセイの中から、応募作品の中から特に幸せを感じる作品に送られるタカラレーベン賞に選ばれた『新しい「おともだち」』をご紹介します。

新しい「おともだち」

麦わら帽子を被った娘の手を引いて建物の中に入ると、外の暑さとは打って変わって快適な涼しさに迎えられた。ここは老人福祉施設で、私の祖母が6年前から入所している。

祖母の姿を窓際のテーブル席に見つけ、私は娘とそこに歩み寄った。

「おばあちゃん、元気にしていた?ほら、今日もゆきを連れて来たよ。」

隣に座って声をかけるも、反応はない。祖母は重い認知症を患っていて、ここ数年はずっとこんな状態だ。何も話さないし、顔すら見てくれない。最後に言葉を発したのは5年前だ。自身を幼い子供だと思い込み、私のことを『おばさん』と呼んだ。

「今日は良い写真を持ってきたよ。ゆきちゃん、ひいおばあちゃんに『お写真どうぞ』して。」

私がそう促すと、2歳の娘が「ひいおばあちゃん、どーじょ」と言って、祖母の膝に写真を乗せた。過去の写真を見ることが認知症のリハビリに良いとどこかで聞いて、しばしば試みているのだ。何とか昔のことや、家族のことや、私のことを思い出して欲しかった。長年一緒に暮らした祖母に忘れ去られた寂しさ、悔しさ。仕方がないことだと頭では分かっていても、私はどうしても諦めきれなかった。

「みんなで京都に旅行した時の写真だよ。楽しかったよね。」

明るく話しかけるが、祖母は微動だにしない。そのうち写真は膝からすべり落ち、私はそっと拾い上げてバッグにしまった。

今日も無反応か…。 つい出そうになるため息を飲み下す。そしてバッグからクレヨンと紙を取り出し、そろそろ飽きてきた娘に与えた。

宙の1点を見つめて動かない祖母と、一心にお絵描きを始めた娘。結局いつもこうだ。お互いに良い刺激になればと思い娘を連れては来るが、何か交流が生まれるわけでもない。

「次からは、1人で来ようかな…。」

そう考えながら、私は窓の外の大きな庭をぼんやりと眺めた。庭の花壇には夏の花が咲き誇っている。そういえば梅雨前にはバラが綺麗だった。あの時は祖母を車いすで連れ出し、バラの近くで娘としゃぼん玉を飛ばしたのだった。

「もう少し涼しい季節になったら、またお庭でしゃぼん玉しようねえ…。」

どちらに向けてというわけでもなく、私はつぶやいた。すると娘が唐突に歌い出した。 「しゃーぼん玉、とんだ。やねまで、とんだ。」

私は驚いて娘を見たが、すぐに合点がいった。彼女は保育園でこの歌を習ったばかりなのだ。だから『しゃぼん玉』というフレーズに、この歌を連想したのだろう。 「やねまで、とんで、こわれて、きえた。」

ここまで聴いて、私はふと娘以外の声が混ざっていることに気付いた。 まさか、と思って隣を見ると、祖母が歌っていた。 「かーぜかーぜ、ふくな。しゃーぼん玉、とばそ。」

歌詞が無いハミングではあったが、祖母は確かに歌っていた。祖母の声を聞くのも、ましてや歌を聴くのなんて、本当に久しぶりのことだった。すっかり忘れていたが、祖母は昔から歌が大好きだったのだ。思い出させることばかりに捉われて、そんな大事なことが私の頭から抜け落ちてしまっていた。

胸が詰まって私が何も言えないままでいると、娘がまた最初から歌いだした。すると祖母も再び一緒に口ずさんだ。

2人の歌は調子こそ少し外れていたけれど、その旋律は私の胸を打った。92歳と2歳が歌う『しゃぼん玉』。こんなにも美しいハーモニーは、きっと他にないな、と思った。祖母の目はもはや虚空を見つめてはおらず、かすかな光を宿しているように見えた。

そのあとしばらく3人で童謡をいくつか歌い、いつもより温かな気持ちで娘と施設を後にした。空はすっかり夕暮れ色に染まり、暑さは随分と和らいでいた。

それから少し離れた駐車場に向かって歩いていると、娘が私を見上げて言った。 「ひいおばあちゃん、ゆきちゃんの『おともだち』だね。」

その言葉に、はっとした。ずっと探していた答えを見つけたような気がした。 そうか、祖母は元の私の『おばあちゃん』ではなくなってしまったけれど、娘の新しい『おともだち』になったのだ。胸の奥につかえていたものが、すとん、と腹の底に落ちたような感覚だった。

きっとそれでいいのだ。それは悲しいことなんかじゃない。だって、そう言った娘は、こんなにも嬉しそうな顔をしている。

もう、無理に思い出させようとするのはやめよう、と思った。それよりも、今の祖母が楽しめることを探そう。まずは童謡の本を買って、3人でたくさん歌おう。 あとは、祖母が幼い頃に好きだった、お手玉やお人形なんてどうだろうか。頭の中に次々とアイデアが浮かぶ。私が祖母のためにできることは、まだまだたくさんあるのだ。

歩きながらそんなことを考えていると、今度は娘が不思議そうに、 「ママ、笑ってるね。」 と言った。

「そうだよ、笑ってるよ。」

そう言って娘を夕空高く抱き上げると、彼女はキャッキャッと歓声を上げた。その屈託のない笑顔を見つめながら、今度は祖母も笑ってくれるといいなあ、と考えていた。

grape Award 2018 タカラレーベン賞
タイトル:『新しい「おともだち」』
作者:建内 真由子

『心に響く』エッセイコンテスト『grape Award 2018』

grapeでは2017年よりエッセイコンテスト『grape Award』を開催しています。2018年には昨年を大きく超える695本のエッセイが集まりました。

その中から最優秀賞・1作品、タカラレーベン賞・1作品、優秀賞・2作品、佳作・4作品が選ばれました。

入選したその他の作品は、こちらからご確認いただけます。

『grape Award』に関して詳細はこちら。


[構成/grape編集部]

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