明石家さんまってどんな人? 今さら聞けないアレコレをチェック!
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お笑い界の大御所でありながら、常にトップを走り続ける、明石家さんまさん。
60歳を越えてもなお笑いをとるのに貪欲なことから『お笑い怪獣』と呼ばれています。
そんな明石家さんまさんのユニークな芸名の由来、いまさら聞けない伝説のエピソードなど、さまざまな情報をご紹介します!
明石家さんまってどんな人?
まずは明石家さんまさんのプロフィールをチェックしていきましょう。
生年月日:1955年7月1日
出身地:和歌山県
血液型:B型
身長:172cm
趣味:テニス、ゴルフ、サッカー、スポーツ観戦
所属事務所:よしもとクリエイティブ・エージェンシー
明石家さんまさんは本名を『杉本高文(すぎもとたかふみ)』さんといい、和歌山県で生まれ、奈良県で育ちました。
中学時代は1週間だけ相撲部に在籍したことがあり、高校時代はサッカー部に所属していたそうです。
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高校生の時は、おこづかいが少なかったため、パチンコでお金を稼いでいたのだとか。
最初は落語家として芸能の世界へ
高校3年生の時、新作落語が面白かったという理由で、2代目笑福亭松之助さんに弟子入りします。
この時、笑福亭松之助さんが自分の弟子になることを決めた理由をたずねると「師匠、センスありますさかい」とかなり失礼な返答をしたのだとか。
このことについて、明石家さんまさんは2016年4月9日に放送されたトークバラエティ番組『さんまのまんま』(フジテレビ系)で、このように釈明しています。
高校を卒業してすぐ入門し、内弟子生活を開始。明石家さんまさんの実家が水産加工業を営んでいたことから『笑福亭さんま』という芸名を笑福亭松之助さんから与えられます。
入門してすぐ頭角をあらわし、半年も経たずに落語家として初舞台に立ちますが、19歳の時に突然修行を放り出し、当時の恋人と東京へ駆け落ち。
高校生の時のようにパチンコで生計を立てていたそうですが、半年ほどしてまた大阪へと戻ります。
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本来なら破門されていてもおかしくないはずですが、明石家さんまさんが上京している間、笑福亭松之助さんは周りに「また帰ってくるんでよろしく」と頭を下げてくれていたそうです。
そして帰ってきた明石家さんまさんを責めることも、詳しく話を聞くこともなく「ラーメン食べに行くか」と声をかけてくれたのだとか。
ここまで懐の深い師匠には、明石家さんまさんも未だに頭が上がらないようです。
『明石家さんま』としてTV番組に初出演
落語家の道へと戻った明石家さんまさんは、1976年1月に初めてTV番組に出演します。
深夜のワイドショー番組『11PM』(日本テレビ系)の、20歳を迎える落語家たちを集めた『落語家の成人式』という企画に、明石家さんまさんも呼ばれたのです。
この時、明石家さんまさんは笑福亭松之助さんにアドバイスされた通り、着物ではなく赤いブレザーを着ていき、名前も笑福亭さんまではなく『明石家さんま』で出演。
番組では下ネタを披露し、司会の藤本義一さんに本気で怒られるという一幕もありましたが、共演した横山やすしさんにはこれをきっかけに気に入られ、吉本興業に売り込んでくれるようになったそうです。
その後、うめだ花月などの前座でプロ野球の小林繁選手の投球フォームなどを真似した芸を披露するようになり、明石家さんまさんは落語家よりも漫談家として徐々に知名度を上げていきます。
まるでアイドルのような人気に
当時大人気だったバラエティ番組『ヤングおー!おー!』(毎日放送)に出演すると、司会の桂三枝さんの目に留まり、1978年ごろからはレギュラー出演するようになります。
1981年からは『ヤングおー!おー!』を卒業することになった桂三枝さんの指名で番組司会に抜擢され、番組終了まで務め上げました。
関西を中心にアイドルのような人気を集めていた明石家さんまさんは、このころからドラマにも出演するように。
1986年にはトレンディドラマの元祖とも呼ばれるドラマ『男女7人夏物語』(TBSテレビ系)で主演を務めています。
この時期にレコードデビューもしており、1984年に主演を務めたコントドラマ『心はロンリー気持ちは…』(フジテレビ系)の主題歌や、バラエティ番組『あっぱれさんま大先生』(フジテレビ系)のオープニング曲などを歌っています。
歌手デビューをした時の明石家さんまさん 1979年
また、ビートたけしさんや島田紳助さんらと一緒に大人気のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)にレギュラー出演し始めたのも1981年。
人気芸人として活躍するようになり、東京と大阪を往復する生活を送っていました。
座右の銘が生まれたきっかけ
明石家さんまさんの座右の銘といえば「生きてるだけで丸もうけ」。娘であるIMALU(いまる)さんの名前の由来でもあります。
この言葉が生まれるきっかけとなったのが、1985年8月12日に起きた日本航空123便墜落事故です。
ちょうどこの日、東京から大阪に戻るのに日本航空123便を予約していたのですが、収録が早く終わったこともあり、1便早い飛行機に変更したため事故を免れたという明石家さんまさん。
大阪に着いてすぐの仕事である生ラジオ番組『MBSヤングタウン』(MBSラジオ)に出演した明石家さんまさんは、この事故を知り「いつも使ってる便やから…」とショックを隠せなかったそうです。
それから東京と大阪の移動には、新幹線を使うようになったとか。
お笑い界の大御所へ
1989年に大人気だった『オレたちひょうきん族』が終了し、1995年には1984年からレギュラー出演していたバラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)を卒業します。
このころにはタモリさん、ビートたけしさんらと3人で『お笑いビッグ3』と呼ばれており、その人気は不動のものに。
クイズバラエティ番組『さんまのからくりTV』(TBSテレビ系)やトークバラエティ番組『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)など、ゴールデンタイムにいくつも冠番組を持つようになります。
恋愛トークバラエティ番組『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)や、クイズトークバラエティ番組『痛快!明石家電視台』(TBSテレビ系)といった深夜番組でも活躍。
しかし、どれだけ人気者になってもお笑いには貪欲で、2000年代に韓国ドラマが流行し、俳優のぺ・ヨンジュンさんが『ヨン様』と呼ばれていることを知ると、髪型を似せて『サン様』と称すネタを始めるなど、時代に合わせた笑いの取りかたをしています。
2017年4月には、29年ぶりにニッポン放送でのパーソナリティに復帰したほか、2018年7月には34年間ぶりにテレビ東京の番組に出演し、話題になりました。
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2011年7月2日に放送された『さんまのまんま』で、明石家さんまさんは「60歳ぐらいでテレビを引退しようと思っている」と話していましたが、2014年にこれを撤回。
60歳を超えた現在でも、テレビで見ない日はないというほど、CMやTV番組で大活躍しています。
明石家さんまの性格は? ファンへの神対応がすごい
明石家さんまさんといえば、ファンサービスが旺盛なことで有名ですね。
その理由として『人に好かれたい病』だと語ったこともあります。誰にもいい顔をするタイプで、元妻の大竹しのぶさんにも怒られたことがあるのだとか。
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また、他人に対して腹を立てることがなく、これだけの活躍を見せているにも関わらず、自分について「偉い人間ではない」と謙虚な姿勢を見せたことも。
そんな考えを持っているからこそ、神対応と呼ばれるファンサービスができるのかもしれません。
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明石家さんまの元奥さんは、女優の大竹しのぶ
明石家さんまさんは、1988年9月に女優の大竹しのぶさんと結婚。当時、大竹しのぶさんは2度目の結婚で、前夫はガンで亡くなっています。
大竹しのぶさんの前夫は明石家さんまさんとも交流があり、亡くなる直前に「しのぶをよろしくお願いします」と手紙を送っていたそうです。
そのこともあってか、前夫が亡くなった後の大竹しのぶさんや、前夫の子供である二千翔(にちか)さんを、明石家さんまさんは優しく支えたのだとか。
大竹しのぶの亡き夫 亡くなる直前に明石家さんまに手紙 「ドラマみたい」
1992年に2人は離婚しましたが、その後も交流は続いており、イベントやTV番組でたびたび共演しています。
2人は現在でも、親しい友人のような間柄なのかもしれませんね。
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明石家さんまの娘は、タレントのIMALU
明石家さんまさんと大竹しのぶさんの間に生まれた娘のIMALUさんは、モデルや歌手、タレントとして活躍しています。
IMALUさんのことを明石家さんまさんは溺愛しており、後輩芸人たちには日ごろから「結婚式にも出えへん、彼氏には会いたない、会ったらどついてまう」といっているのだとか。
IMALU、父・明石家さんまに彼氏ができたことを報告すると「わざわざ…」
また、2018年12月1日に放送された旅バラエティ番組『さんま・女芸人お泊まり会』(フジテレビ系)では、同じ芸能界で働く娘に「お前、いろんな番組出るやろうけど、トークの手土産だけは絶対忘れるなよ」と話したことを明かしました。
共演した女芸人たちが「すっごいいい子です」と話すも、明石家さんまさんは「いやいや、それが心配で心配で」と、娘への気持ちを語っています。
明石家さんま、娘・IMALUへの気持ち覗かせる「心配で心配で」
明石家さんまの現在、これからについて
明石家さんまさんは、『踊る!さんま御殿!!』やお笑いトークバラエティ番組『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ系)などで、MCとして活躍しています。
後輩芸人たちが驚いてしまうほど、いつまでもお笑い界のトップを全力で走り続ける、明石家さんまさん。
今後もどんな『お笑い怪獣』ぶりを見せてくれるのか、楽しみですね。
[文・構成/grape編集部]