命尽きようとする妻を懸命に看護してくれた病院のスタッフへ 夫が書いた手紙 By - grape編集部 公開:2016-11-12 更新:2016-11-13 手紙病院 Share Post LINE はてな コメント 僕が友達や家族に、若くしてこの世を去った妻、ローラ・リーバイスにの最期の7日間について話すとき、病院でお世話になった15人の人たち…医者、看護婦、呼吸器専門医、ソーシャル・ワーカーや清掃スタッフなど…の話を始めると、彼らは必ず私の話をさえぎっって同じ質問をします。 「どうして彼らの名前を憶えているの?」と、友達や家族は尋ねます。 「どうしたら忘れられるというんだい?」と、僕は答えます。 Peter DeMarcoさんの投稿 2016年5月7日 ローラのことを世話してくれた一人ひとりすべての人がプロ意識を持ち、親切で尊厳を持って、意識不明の彼女の最期の治療を行ってくれました。 ローラが注射をしなくてはならない時、ローラには意識がないのに「ちょっと痛いわよ」と言葉をかけてくれましたね。また聴音器を通してローラの心音や肺機能を検査する際も、彼女の肌がはだけないように丁寧にガウンをずらして診察してくれました。毛布を掛ける時も、ローラの体温調節が必要だという理由だけでなく、部屋が少し寒いからと、少しでも彼女が快適に眠れるように気を配ってくれましたね。 あなたたちはローラの両親にも気を配ってくれました。部屋の中にある厄介なリクライニング・チェアをセットしてくれたり、ほぼ一時間おきにお水を持ってきてくれたり、診療、医療に関する質問の一つひとつに嫌な顔せずに答えてくれました。 Following that time-old marriage tradition, I carried Laura Levis into Quebec!Peter DeMarcoさんの投稿 2014年8月25日 僕自身にもとてもよくしていただきました。 あなたたちの存在なくして、どうやって僕はこのつらい時間をやり過ごすことができたというのでしょう? あなたは幾度となく、僕が病室でローラの手に頭を当ててすすり泣いている姿を見たはずです。でもあなたはまるで透明人間のように静かに自分の仕事をこなしてくれましたね。 何度も私のリクライニング・チェアが、たとえわずか数センチでもローラのベッド・サイドの近くにいくように、ベッドの周りにある混線しているワイヤーやチューブを整えてくれましたね。 幾度も私のところへ来て、「食べたいものはないか」「洋服の替えはあるのか」「温かいシャワーを浴びますか」などの他に、「治療のことについて再度説明しましょうか?または誰かお話相手が必要でしたら言ってくださいね」などと気遣ってくれましたね。 私の心がバラバラになりそうになった時は私を抱きしめ慰めてくれましたね。そして、ローラの写真を見たり、私が書いた文章などを読みながら、ローラがどんな女性でどんな人生を送ってきたかなどを色々と尋ねてくれました。またローラの病状に関する悪い知らせも僕に伝える時も、悲しそうな表情で、思いやりのある言葉で伝えてくれましたね。 私が緊急のEメールを送る必要がある時は、それをできるようにしてくれました。また、私が秘密裏に、愛猫を連れて来たり、最後にどうしても一口舐めさせてあげたくてコーラを持ち込んだ時も見て見ぬふりをしてくれました。 Dressin' for the red carpet! (Though it's green in our living room)Peter DeMarcoさんの投稿 2016年2月28日 そしてあの別の夜のこと。50人を超えるローラの友達、同僚や学生時代の友人、家族が一堂に会してローラを見舞った日、あなたたちは、僕にICUへの案内役をまかせてくれました。 その日はギターを弾いたり、オペラを唄ったり、ダンスをしたりしながら、ローラがどのように人々と深く影響を与えたか知ることができた愛に満ち溢れた貴重なひと時でした。それは私たち夫婦にとって結婚生活最後の夜でした。あなたたちのサポートなしにこの夜は実現しませんでした。 Peter DeMarcoさんの投稿 2015年8月16日 もう一つ、私がどうしても忘れられない瞬間、時間があります。 次のページへ 1 2 3 『日本語なのに読めない』貼り紙 内容が?「もはや外国語」「なんて?」旅行中に立ち寄った温泉。貼り紙の内容に首を傾げた理由が? レジ店員「そのカバン…」 レジ店員が客に声をかけたワケが?「これは声かけちゃう」「最近、自信喪失していて、今日もとぼとぼと帰路についていたんだけど…」 出典 Peter DeMarco/NBC NEWS Share Post LINE はてな コメント
僕が友達や家族に、若くしてこの世を去った妻、ローラ・リーバイスにの最期の7日間について話すとき、病院でお世話になった15人の人たち…医者、看護婦、呼吸器専門医、ソーシャル・ワーカーや清掃スタッフなど…の話を始めると、彼らは必ず私の話をさえぎっって同じ質問をします。
「どうして彼らの名前を憶えているの?」と、友達や家族は尋ねます。
「どうしたら忘れられるというんだい?」と、僕は答えます。
ローラのことを世話してくれた一人ひとりすべての人がプロ意識を持ち、親切で尊厳を持って、意識不明の彼女の最期の治療を行ってくれました。
ローラが注射をしなくてはならない時、ローラには意識がないのに「ちょっと痛いわよ」と言葉をかけてくれましたね。また聴音器を通してローラの心音や肺機能を検査する際も、彼女の肌がはだけないように丁寧にガウンをずらして診察してくれました。毛布を掛ける時も、ローラの体温調節が必要だという理由だけでなく、部屋が少し寒いからと、少しでも彼女が快適に眠れるように気を配ってくれましたね。
あなたたちはローラの両親にも気を配ってくれました。部屋の中にある厄介なリクライニング・チェアをセットしてくれたり、ほぼ一時間おきにお水を持ってきてくれたり、診療、医療に関する質問の一つひとつに嫌な顔せずに答えてくれました。
僕自身にもとてもよくしていただきました。
あなたたちの存在なくして、どうやって僕はこのつらい時間をやり過ごすことができたというのでしょう?
あなたは幾度となく、僕が病室でローラの手に頭を当ててすすり泣いている姿を見たはずです。でもあなたはまるで透明人間のように静かに自分の仕事をこなしてくれましたね。
何度も私のリクライニング・チェアが、たとえわずか数センチでもローラのベッド・サイドの近くにいくように、ベッドの周りにある混線しているワイヤーやチューブを整えてくれましたね。
幾度も私のところへ来て、「食べたいものはないか」「洋服の替えはあるのか」「温かいシャワーを浴びますか」などの他に、「治療のことについて再度説明しましょうか?または誰かお話相手が必要でしたら言ってくださいね」などと気遣ってくれましたね。
私の心がバラバラになりそうになった時は私を抱きしめ慰めてくれましたね。そして、ローラの写真を見たり、私が書いた文章などを読みながら、ローラがどんな女性でどんな人生を送ってきたかなどを色々と尋ねてくれました。またローラの病状に関する悪い知らせも僕に伝える時も、悲しそうな表情で、思いやりのある言葉で伝えてくれましたね。
私が緊急のEメールを送る必要がある時は、それをできるようにしてくれました。また、私が秘密裏に、愛猫を連れて来たり、最後にどうしても一口舐めさせてあげたくてコーラを持ち込んだ時も見て見ぬふりをしてくれました。
そしてあの別の夜のこと。50人を超えるローラの友達、同僚や学生時代の友人、家族が一堂に会してローラを見舞った日、あなたたちは、僕にICUへの案内役をまかせてくれました。
その日はギターを弾いたり、オペラを唄ったり、ダンスをしたりしながら、ローラがどのように人々と深く影響を与えたか知ることができた愛に満ち溢れた貴重なひと時でした。それは私たち夫婦にとって結婚生活最後の夜でした。あなたたちのサポートなしにこの夜は実現しませんでした。
もう一つ、私がどうしても忘れられない瞬間、時間があります。