旅先のホテルで、固い表情のままたたずむ高齢女性 添乗員が声をかけると?
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買った花束を店に置いていった女性 その後の展開に「鳥肌が立った」買った花束を店に置いていった女性 その後の展開に「鳥肌が立った」
2021年10月現在、ウェブメディア『grape』では、エッセイコンテスト『grape Award 2021』を開催しています。
今年の作品募集テーマは、コロナ禍によりこれまでと変わった生活スタイルが続くなか、『身の周りであった心温まるエピソード』や、『心が癒されるような体験談』です。
『grape Award 2021』心に響くエッセイを募集! 10月31日(日)まで
今回は、昨年の受賞作品の中から『リンツァートルテの想い出』をご紹介します。
ツアーコンダクターの職について30年。あっという間に時が流れた。溢れんばかりの想い出が心に刻まれているが、中でも特に忘れられない出来事がある。
オーストリアを巡るツアーで私はひとりの女性と出会った。彼女は80歳を過ぎていて、同行者はいなかった。
その旅はすこぶる順調に進んでいたが、後半に差し掛かった5日目の午後、高速道路の事故渋滞で大幅に予定が狂ってしまった。オーストリア第3の都市・リンツでの観光は断念せざるを得なくなり、まっすぐホテルに入った。
チェックインを済ませたあともロビーに佇んだままの女性の姿に気がついた私は、彼女のもとに近づき「どうかされましたか?」と声をかけた。
彼女は固い表情のまま「無理を承知でお願いしたいことがあります…。リンツのお菓子であるリンツァートルテをどうしても買いたいのです…。私の長年の夢でした。どうかお願いします…」と言った。
すぐさまフロントに行くと、「近くにパティスリーがあってそこで買えるけど、間もなく閉店時間だから間に合わないかもしれない…」と言われた。
外はすでに真っ暗で小雪が舞い始めていた。あと、3分…、彼女の足では到底間に合わない。ヨーロッパではこういう場合、時間オーバーして対応してくれることは、まず無い。残念だけど諦めてもらうしかないか…。
振り返った瞬間、まっすぐに向けられた彼女の瞳が私の心を別の方向に突き動かした。
「約束は出来ませんが…いってきます」と告げると私は一目散に駆け出した。
店に着いたのは、正に店員が鍵をかけようとしていた時だった。「リンツァートルテをください。お願いします」大声で叫ぶ私に、店員は無情にも首を横にふると「また明日」と言った。
「明日はないんです。今しか…今しかチャンスはないんです。お願い、リンツァートルテを!お願いです…」
すると店の奥から店主らしき年配の女性が顔を覗かせ「こんなことは初めてよ」と肩をすくめて笑いながら私を店に招き入れた。
ホテルの外で私の帰りを待っていた彼女は、両手にかかえた大きな箱を見つけると満面の笑みで私を抱き寄せ「ありがとう。本当にありがとう」と何度も繰り返した。
言うまでもなくリンツは彼女にとって特別な場所だった。不慮の事故により、30歳という若さでこの世を去った夫とリンツでリンツァートルテを食べる旅を計画していたことを、あとで聞いた。
「50年かかったけど漸く叶ったわ」とガラスが割れたままの遺品の腕時計をいとおしそうに見つめていた。
バスドライバーに頼み込み、翌朝30分早くホテルを出てリンツの街並みを車窓から眺めた。前日の雪がウソのようにスッキリと晴れた青い空がどこまでも広がっていた。
帰国して数日後、私は思いがけず彼女から配達物を受け取った。
「旅のお礼に、プロのパティシエとして心を込めて焼きました。プロの添乗員さんへ」というメッセージが添えられたリンツァートルテは、本当に美しく、そして、美味しかった。
現在私の仕事は新型コロナの影響で100%止まってしまい、先も読めない状況下にある。世の中のシステムも大きく変化した。アフターコロナでは、ツアーの形態も大きく様変わりするかもしれない。
それでも私は旅の仕事を続けていきたい。人が人を思う気持ちの尊さは決して色褪せないと信じている。
時間がある今こそ、リンツァートルテを焼いてみようと思う。20年前の記憶を呼び起こしながら…。
grape Award 2020 応募作品
テーマ:『心に響いた接客エッセイ』
タイトル:『リンツァートルテの想い出』
作者名:一期一会
エッセイコンテスト『grape Award 2021』開催中!
2017年から続く、一般公募による記事コンテスト『grape Award』。
第5回目となる2021年は、『身の周りであった心温まるエピソード』や、『心が癒されるような体験談』をテーマに作品を募集しています。
今回も、みなさんにとって「誰かに伝えたい」と思う素敵なエピソードをお待ちしております。
『grape Award 2021』詳細はこちら
[文・構成/grape編集部]