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江戸時代の人の平均寿命は30歳?短命といわれる理由は?

By - grape編集部  公開:  更新:

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江戸時代の風景

※写真はイメージ

昨今は、人生100年時代といわれています。

しかし150年以上前の江戸時代には今ほどの医療技術がなく、平均寿命も短かったようです。とはいえ、かの徳川将軍の中には長命な人もいたともいわれています。

では実際に、江戸時代の平均寿命は何歳くらいだったのでしょうか。

当記事では、江戸時代の平均寿命と当時の寿命が短かった理由、江戸時代の医療についてご紹介します。

江戸時代の人の平均寿命は30歳!?

砂時計

※写真はイメージ

江戸時代の人の平均寿命は、30歳程度という説を聞いたことがあるかもしれません。江戸時代の人の平均寿命については諸説あり、20代後半から40代までと、かなり差があるようです。

江戸時代には今のように統計もとっておらず、はっきりした寿命が算出されていないため、さまざまな説が出るのでしょう。

とはいえ、どの説でもおおよそ30歳前後から40代前半に収まるため、おそらく30代くらいが平均寿命だと推測できます。

一方、令和5年の平均寿命は、厚生労働省のウェブサイトにある『令和5年簡易生命表の概況』によると、男性が81.09歳、女性が87.14歳となっており、江戸時代とはかなり差があるようです。

本当に、江戸時代の平均寿命は30代だったのでしょうか。

江戸時代の平均寿命とは

赤ちゃんと大人の手

※写真はイメージ

平均寿命とは『平均寿命が80歳の場合、現在40歳の人の余命は40年』という計算ではありません。

厚生労働省の統計では、平均寿命を『0歳時の平均余命』で表しています。つまり、40歳の人が、後何年生きるかを計算したものではないのです。

厚生労働省では、毎年平均寿命を発表していますが、同時に主な年齢の平均余命も発表しています。

令和5年のデータでは、40歳時の平均余命は男性42.06年、女性は47.85年でした。また、80歳時の平均余命は男性8.98年、女性が11.81年です。

江戸時代の人の平均寿命が短い理由

積み木と虫眼鏡

※写真はイメージ

平均寿命の定義が分かったところで、もう一度、江戸時代の平均寿命について考えてみましょう。

平均寿命とは、0歳の人が、後何年生きるのかを表した数字です。乳幼児の死亡率が高ければ、そのぶん平均寿命は短くなります。

はっきりしたことは分かっていませんが、江戸時代には今ほど医療技術が確立されていなかったため、天然痘やインフルエンザ、赤痢、梅毒などの感染症によって、生後間もない乳児の多くが亡くなったようです。

このような事情により乳幼児の死亡率が高く算出され、結果的に平均寿命が短くなってしまったのではないかといわれています。

そのため、平均寿命が30代だったとしても、実際には長く生きた人もいると考えられるでしょう。

江戸時代の医療

様々な薬草、漢方

※写真はイメージ

江戸時代にはさまざまな感染症が流行りましたが、一体どのような治療が行われていたのでしょうか。

具体的には、脈を取ったり腹部に触れたりといった診察が行われ、症状に合わせた薬を処方していたようです。漢方や薬草が、薬として使われていました。

また、当時は、現代のように医師の資格があったわけではないようです。

そのため、医師に弟子入りしてしっかりと医療を学んだ医師もいれば、独学で医師になった人もいます。さらには、一切未経験の医師もいました。

都市部に比べると、農村部には医師が少なかったようです。そのため、風邪や生活習慣病の予防として、日頃から健康に気を付けており、食事療法を取り入れることも一般的だったといわれています。

江戸時代に長生きした人物

銅像

※写真はイメージ

平均寿命が30代といわれる中で、現在の平均寿命並みに長生きした人物もいます。彼らの存在によって、江戸時代にも長生きをした人がいると証明できるでしょう。

例えば、冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)の作者として有名な葛飾北斎は、90歳まで生きたといわれています。

また、徳川家にも長命な人がおり、初代将軍の徳川家康は70代半ばまで生きました。諸説ありますが、家康は、タイのてんぷらを食べて体調を崩したといわれています。

さらに、解体新書の発行者として有名な杉田玄白が亡くなったのは、80代半ばでした。

なぜここまで長生きできたのかは、はっきりしませんが、これらの人たちは当時の平均寿命の倍以上を生きたことになります。

江戸時代以降の平均寿命の変遷

グラフを現した積み木

※写真はイメージ

江戸時代以降、日本人の平均寿命は延び続けており、昨今のデータによると、男性が81.09歳、女性は87.14歳となっています。

江戸時代以降、どのように平均寿命が変化してきたのかを確認してみましょう。

以下は、厚生労働省が明治時代より5年ごとに発表している完全生命表の『0歳児の平均余命』を、第1回から第20回まで5回刻みで抜き出し、最新版の第23回分と合わせて表にしたものです。

元号 男性 女性
第1回 明治24年~31年 42.8歳 44.3歳
第5回 大正15年~昭和5年 44.82歳 46.54歳
第10回 昭和30年 63.6歳 67.75歳
第15回 昭和55年 73.35歳 78.76歳
第20回 平成17年 78.56歳 85.52歳
第23回 令和2年 81.56歳 87.71歳

平均寿命が一気に延びたのは昭和30年(西暦:1955年)前後のため、戦後であることが分かるでしょう。戦前は50歳にも満たなかった平均寿命が、戦後には一気に延びています。

江戸時代の人の平均寿命は30代と推測できる!

江戸時代の平均寿命は30代だと推測できました。ただしこの年齢は、0歳児が後何年生きるかを表した数値です。

江戸時代には乳幼児の死亡率が高かったと予想されるため、実際は30歳より長く生きた人もいたと考えられるでしょう。

医療の発展もあり、平均寿命は年々延び続けています。江戸時代の人々のように健康に気を使い、元気に過ごしたいものです。


[文・構成/grape編集部]

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