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【訃報】アナウンサー・押阪忍さんが逝去 『東洋の魔女』実況で感動届ける

By - grape編集部  公開:  更新:

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押阪忍の写真

写真提供:SOPromotion

2024年7月8日、芸能事務所である株式会社エス・オー・プロモーションがウェブサイトを更新。

同社の取締役会長であり、フリーアナウンサーの押阪忍さんが、同年6月29日に亡くなったことを報告しました。89歳でした。

1958年、現・テレビ朝日へ第1期生として入社し、1965年に民放テレビ初のフリーアナウンサーとなった、押阪さん。

フリー転身後もバラエティ番組『ベルトクイズQ&Q』(TBS系)を始め数多くのテレビ番組やラジオ番組に出演し、昭和を代表するアナウンサーの1人として、長きにわたって日本をけん引してきました。

また、grapeでは2016年より『残しておきたい日本語』をテーマに、コラム『美しいことばを連載。若者に向けて、言葉の大切さを伝えてきました。

押阪忍の写真

写真提供:SOPromotion

押阪さんの妻は、同じくフリーアナウンサーの栗原アヤ子さん。そして息子の押阪雅彦さんは株式会社エス・オー・プロモーションの代表を務めつつ、『DJ OSSHY』として『高齢者ディスコ』の企画を行うなど、音楽業界でも活躍しています。

過去には、トーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に一家そろって出演し、タレントの黒柳徹子さんとさまざまな話を繰り広げました。

押阪さんの活躍で特に有名なのは、1964年に開催された東京オリンピックでの、女子バレーボールの試合実況。

聞き取りやすい声と迫力の伝わる実況によって、その素晴らしい試合は全国の人へと届き、熱戦の末に見事金メダルを獲得した日本代表は『東洋の魔女』と呼ばれるようになりました。

当時について、押阪さんは連載で「魔女たちの奮闘ぶりは、鮮烈にまぶたに焼き付いている」と思い出をつづっています。

押阪忍の写真

写真提供:SOPromotion

たくさんの人に感動と笑顔を届けてきた、押阪さん。訃報に対し、ネットからは「押阪さんの声が大好きでした」「自分の中で『アナウンサー』といえばこの方だ」といった声が上がっています。

65年以上にわたって活躍し、生涯の大半を『アナウンサー人生』に捧げてきたその姿は、多くの後輩アナに、『アナウンサーとして大切なもの』を教えてくれたことでしょう。

押阪さんのご冥福をお祈りいたします。


[文・構成/grape編集部]

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