東洋の魔女 歓喜、感動の金メダル アナウンサー押阪忍の『美しいことば』
公開: 更新:


「帰りたくない」という10歳児 子供の言葉から考える『終わり』と『未来』X(Twitter)やnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。 連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育...

「嬉しくて泣きそうになる」 少しずつ言葉を覚えるロボット、癒し効果がすごすぎたパナソニックが販売する、弱いロボット『NICOBO(ニコボ)』。ロボットといえば、便利で私たちの生活をサポートしてくれるという印象がある人は多いでしょう。しかし、『ニコボ』は、特別な何かができるわけではありません。にもかかわらず、「ずっと一緒に暮らしたい」という人が続出しているといいます!
初めまして、こんにちは、フリーアナウンサーの元祖!?などと言われている押阪忍です。
今日からご縁を頂きまして、この欄で、お喋りをさせていただくことになりました。お目に留まれば、シニアアナウンサー(花ウンサー)の『独り言』にお付き合いいただければ幸いです。
いよいよリオでのオリンピックが始まります。
この大会は、4年後に東京オリンピックを控えているだけに、代表選手を応援する私達も力が入るのは当然のことですよね。出場選手は、猛練習、猛稽古で磨き上げられた自分の実力を、世界の檜舞台で悔いなく発揮して貰いたいと願っています。
そしてその結果が「日の丸」に結びついてくれれば最高に嬉しいのですが…。
ところで、1964年の東京オリンピック。ボクは民放テレビの代表アナウンサーの末席に選ばれ、女子バレーボール、金メダルの「東洋の魔女」の中継を担当しました。
写真提供:押阪忍
左が私です。
今でも東京駒沢屋内競技場で行われた決勝「日ソ戦」の魔女達の奮闘ぶりは、鮮烈に瞼に焼きついています。
写真提供:押阪忍
鬼といわれた大松監督率いる6人の魔女たち…河西、宮本、半田、谷田、松村、磯部…
歓喜、感動の、涙、涙の金メダルの「日の丸」でした。
写真提供:押阪忍
さてさて、リオでのオリンピック。期待を寄せる水泳、体操、柔道、レスリング、卓球、バドミントン…28種目に出場する300名を超える日本選手に精一杯の応援を致しましょう。
そして会場に掲げられる「日の丸」を是非見たいと願っております。「日の丸」は死力を尽して戦った選手崇高の金字塔です。地球の裏側のリオデジャネイロにまで届くような大大拍手を贈りたいと思います。
<2016年8月>
フリーアナウンサー 押阪 忍
1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。1965年には民放テレビ初のフリーアナウンサーとなる。以降テレビやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典なども行う。2016年現在、アナウンサー生活58年。
日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。