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20歳でほぼ失明 ゴールボール・浦田理恵選手がみつけた 「生きる喜び」とは?

By - grape編集部  公開:  更新:

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「ゴールボール」を知っていますか?

ゴールボールは1チーム3名で対戦する視覚障がい者向けの競技。縦18m、横9mのコートで、視力の差が影響しないよう目隠しをして鈴の入ったボールを転がし、ゴールした得点を競います。

もともと第二次世界大戦で視覚障がい者となった傷痍軍人のリハビリプログラムとして始まり、1976年にパラリンピックの公開種目となったことをきっかけに、世界的に競技されるようになりました。

現在、日本のゴールボール代表チームでキャプテンを務めるのが、浦田理恵選手(39)です。

浦田選手は1977年熊本生まれ。幼いころからの夢である教師を目指して福岡の専門学校に通っていた20歳のころ、「網膜色素変性症」という病気のため急激に視力が低下。治療を受けたものの、左目を失明。右目も視野が95%欠損し、強いコンストラストのものしか判別できない状態に陥ってしまいました。

  

なんとか学校は卒業した浦田選手ですが、視覚を失ったショックで、卒業後1年半もの間、一人暮らしをしていた福岡のアパートに引きこもる生活を送ることに…。 しかも自分の弱みを人に見せられないタイプだった浦田選手、病気のことを熊本の家族にも打ち明けることができませんでした。

「病気のことを家族に話したら、家族を失望させてしまうんじゃないか。家族の重荷になってしまうんじゃないか」と悩み、「自分なんて何の役にも立たない人間で、生きていても仕方がない」とまで思い詰めるようになったそうです。

そんな彼女を救ったのは、病気のことを知ったお母さんの、「何か自分でできることを探さないとね」という言葉でした。

「見えないことを言い訳に、私はいろいろなことから逃げていました。なのに母は『まだ、あなたにもできることがあるはず』と私を信じてくれたんです。何があっても私を見捨てないでいてくれる母の愛情を実感したことで、やっと『今の自分にできることをしよう』という前向きな気持ちになることができました」と浦田選手。

その後、鍼灸・マッサージ師を目指して進学した専門学校でゴールボールと出会い、トレーニングを重ねて、見事に日本代表チーム入りを果たしました。

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「ゴールボールは全員が目隠しをして競技を行うので、『目が見えないこと』が言い訳にできません。ゴールボールを始めたことによって、『目が見えないんだから仕方ないよね』といって、いろいろなことから逃げていた人生と決別することができました」と語る浦田選手。

「ゴールボールをしている私を見て『元気をもらった』『勇気づけられた』と言ってもらえるのが、一番励みになります。視覚を失ってからの私は人に助けていただいてばかりでしたから、人の役に立てることが何よりうれしいのです」。

 

39歳となった今も日本代表チームのキャプテンとして活躍する傍ら、「私の経験が誰かにとって『一歩前に進むきっかけ』になれば…」と、各地で講演活動も積極的に行っている浦田選手。

これからもアスリートとして、そして一人の女性として、素敵な姿を私たちに見せてくれるに違いありません。

ダルビッシュ有選手の画像

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出典
2014ジャパンパラゴールボール競技大会 速報動画

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