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「写生のためなら生首すら拾う」江戸のパンク野郎・河鍋暁斎の人物像が強烈

By - grape編集部  公開:  更新:

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自宅が燃えても写生

小石川片町からの出火で発生した、大火事を写生していた暁斎。写生が興に乗ってしまったのか、なんと自宅が燃えているにもかかわらず、絵を描き続けていたといいます。

他にも女性の帯の柄が珍しく、写生しようとしているのを女の尻を追いかけていると勘違いされるなど、変わったエピソードには事欠かない人物でした。

とはいえ絵の実力は確かなもので、免状をもらうまでに10数年はかかる狩野派をわずか9年で卒業してしまいます。

河鍋暁斎 《地獄太夫と一休》 明治 4-22(1871-89)年 絹本着彩、金泥 イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター

19歳で独立してからも、絵への情熱はますます燃え上がり、土佐派、琳派、四条派、浮世絵など様々な画流を学んでいきます。

中でも戯画や風刺画で人気を博しました。しかし、明治3年に開催された書画会(リクエストに応えて絵を描く会)で、新政府役人を批判する風刺画を描き、運悪く居合わせた官吏の目に留まり投獄。

むち打ち50回に加え、三ヶ月ものあいだ拘束されてしまいます。これにはさすがに懲りたのか、その頃の号「狂斎」を「暁斎」へと改名したようです。

河鍋暁斎 《名鏡倭魂 新板》 明治 7(1874)年 大判錦絵三枚続 イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター

明治14年には鹿鳴館を設計した、かの有名なジョサイア・コンダーが暁斎の元へ入門。熱心に学ぶコンダーとは、絵画の技法だけでなく深い友情も築いていくほどでした。

この後も仏画、浮世絵、錦絵、戯画、春画など、あらゆるジャンルを圧倒的な画力で描き上げ、国外でもその評価は高まっていきます。

明治22年になり、暁斎は胃がんでこの世を去りますが、死の三日前まで筆をとっていたと言われています。

河鍋暁斎 《三味線を弾く洋装の骸骨と踊る妖怪》 明治 4-22(1871-89)年 紙本淡彩 イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター

江戸から明治への転換期を生きた暁斎。その圧倒的な画力は、ユーモアと独特の表現と合わさって、今も昔も多くの人々を魅了し続けています。

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されている『これぞ暁斎!』展では、そんな暁斎の作品コレクターであるイスラエル・ゴールドマン氏の所蔵品が数多く展示されます。しかも70点以上は、日本初公開の作品なのだとか…。

何故暁斎の絵を集めるのか?との質問に「暁斎は楽しいからですよ」と答えたゴールドマン氏。

今まで暁斎が好きだった方も、初めて知った方も『これぞ暁斎!』展で、ぜひ暁斎の描く絵の楽しさを感じてみくださいね!

ゴールドマン コレクション「これぞ暁斎!」 世界が認めたその画力

期間:2017年2月23日(木)~4月16日(日)
時間:10時 ~ 19時(入館は18:30まで)毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム


[文・構成/grape編集部]

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