息子「ママの夢って何?」専業主婦だった妻の『意外な答え』に、夫は… 提供:ニッポン放送 By - grape編集部 公開:2019-09-26 更新:2019-09-26 Jリーグサッカー料理 Share Post LINE はてな ※写真はイメージ あなたは、誰かがかけてくれた『ひと言』で、いままでの人生がガラッと変わった、生きかたに影響を受けた…そんな経験はないでしょうか。 ※写真はイメージ スポーツライターの金子達仁(たつひと)さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『ことばのチカラ~成功へのターニングポイント~』(ニッポン放送)。 番組の中では、現役のアスリートやその挑戦を影で支える人たち、スポーツに情熱を注ぐ人たちをゲストに迎えて、彼らが人生の中で影響を受けた『言葉』に迫ります。 過去に放送された中から、Jリーグ・セレッソ大阪の寮母を務めるスポーツ料理研究家の村野明子さんをゲストに迎えた回をご紹介します。 料理初心者の新米ママから、『カリスマ寮母』へ ※写真はイメージ 高校を卒業後、大手化粧品会社の販売員として働いていた村野明子さん。ずっと実家暮らしで、料理とは無縁の生活を送っていたとか。でも、プロサッカークラブ・コンサドーレ札幌のスタッフだった村野晋さんとの結婚が、彼女の人生を大きく変えることになります。 34歳でコンサドーレ札幌の寮母に就任し、2009年から昨シーズンまでは、ヴィッセル神戸の選手寮で若手選手をはじめ、イニエスタらの食をサポートし『カリスマ寮母』と呼ばれるほどになるのです。新米ママから『カリスマ寮母』へ…村野さんの軌跡を辿ります。 ※写真はイメージ 金子さん:料理の腕前は?結婚してから料理のイロハを覚えた? 村野さん:家庭料理というところなので、まぁ…"ざっくり料理"という感じで乗り切っています!お米も結婚して初めて研ぎました(笑)。 金子さん:料理が楽しいと思うようになっていた? 村野さん:そうですね。その時はいったん仕事も辞めていて、やることも特になかったので…。「何を作ろうか」と考えるのは楽しかったです。料理は苦じゃありませんでした。 ※写真はイメージ 金子さん:でも、いきなり選手たちにご飯を作る役を任せようという、ご主人の発想がすごい! 村野さん:そのころ、「私には将来がない」と思っていて。結婚、出産して、改めて再就職することの難しさを感じたんです。行くところも公園とスーパーくらいで外部との接点がほとんどなくて…。 そんな時、息子から「ママの夢って何?」と聞かれて、ふと「定食屋をやってみたい」といったんです。それが夫の頭に残っていたのかもしれません。彼が札幌に行った時、選手たちの食事内容があまりよくなくて、私の言葉を思い出して「よし、やらせてみよう!」と。 金子さん:とはいえ、家族に作る時とは比較にならないほどのたくさんの料理を作るわけですよね。 村野さん:はじめは10人くらいで、少しずつ増えていきました。最初はもう泣きながら…「大丈夫かな」と不安に思いながら作っていました。 ※写真はイメージ 金子さん:そもそも"スポーツ料理"とは?一般のかたへ料理するのと何が違う? 村野さん:特に私が関わってるのは、サッカー選手向けのスポーツ料理です。肉の部位を選んだり、調味料によって体脂肪率を減らしたり、栄養バランスを考えるのが私の仕事です。 家庭料理なので、正直、一般の料理とあまり変わらないのですが、その中で揚げ物をしないとか。でも、やっぱりたまには作ってあげたいので、トップチームが休みの日などにから揚げを作ることもあります。サッカーは走る時間、瞬発力が必要なので、体脂肪率をあまり上げないように、揚げ物は月1回ほどに抑えています。 村野さんに大きな力をくれた『言葉』 ※写真はイメージ 金子さん:そんな村野さんが、いまでも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉はありますか? 村野さん:夫にいわれた「それが家庭料理のよさじゃない!」という言葉です。 ある日、食事を用意したけど選手たちが来ない時があって。何回も「辞めたい、もう本当に帰りたい」と思った時期があったんです。その時、夫に泣きながら抗議すると、彼はこういったんです。 「いろいろなレストランでカレーやハンバーグを食べるとおいしいけど、ある時、ピタッと食べに行かなくなるじゃない?そこに行けば毎回同じものが食べられるけど、家庭料理は毎回違う。だから飽きない。それがいいんだよ!レストランのような食事を作って欲しいわけじゃないんだよ」 その時、一気に肩の力が抜けました。「いつも同じ味を追求しようとしないでいいんだ」って、気が楽になったんです。 ※写真はイメージ 金子さん:コンサドーレ札幌時代に料理を食べさせてあげた選手の中には、成長していまやバリバリのJリーガーになった選手もいると聞きました。さまざまな選手たちと触れ合う中で、印象的だった『言葉』はありますか? 村野さん:コンサドーレ札幌で寮母になって1年目。激動の年が終わるころ、『戦力外通告』というものを、私はまったく知らなくて…。選手の契約がいつ終わるかも知らなかったんです。ただ冬が来たからオフになる、という感覚で。 薄々気付くようになっても、誰が戦力外になるかまでは知らなくて。いつも会っていた選手が、戦力外通告を受けて、ある日を境に来なくなる。そのまま来なくなった子もいたし、お世話になりましたと挨拶に来てくれた選手も何人もいて。その時の「サヨナラ」がすごく悲しかったんですよね。 そんな落ち込んでいた時にどこかで出会ったのが、「別れることが出来なければ、巡り合うこともできない」という言葉でした。 確かにずっと出会いだけがあるわけじゃないから、別れを経験しないと新しい出会いもないですし、なるほどなと。それからは悲しまないようになりました。それは人生の通過点なので、「その中にたまたま私がいたんだ」と思えるようになったんです。 今シーズンからはセレッソ大阪の寮母に就任した村野さん。サッカーだけでなく、メジャーリーグ・エンゼルスの大谷翔平選手にレシピを教えたり、食事アドバイスを送ったりと、スポーツ料理研究家として多くのアスリートを『食』でサポートしています。 歳を重ねるにつれて、未知の世界に飛び込むのはなかなか勇気がいるもの。村野さんがいままで出会ったアスリートたちの言葉に支えられてきたように、私たちも彼女の言葉に一歩踏み出す勇気をもらえますよね。 ことばのチカラ~成功へのターニングポイント~毎週月曜日 21時~21時半ごろ放送(ニッポン放送) [文・構成/grape編集部] Share Post LINE はてな
あなたは、誰かがかけてくれた『ひと言』で、いままでの人生がガラッと変わった、生きかたに影響を受けた…そんな経験はないでしょうか。
※写真はイメージ
スポーツライターの金子達仁(たつひと)さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『ことばのチカラ~成功へのターニングポイント~』(ニッポン放送)。
番組の中では、現役のアスリートやその挑戦を影で支える人たち、スポーツに情熱を注ぐ人たちをゲストに迎えて、彼らが人生の中で影響を受けた『言葉』に迫ります。
過去に放送された中から、Jリーグ・セレッソ大阪の寮母を務めるスポーツ料理研究家の村野明子さんをゲストに迎えた回をご紹介します。
料理初心者の新米ママから、『カリスマ寮母』へ
※写真はイメージ
高校を卒業後、大手化粧品会社の販売員として働いていた村野明子さん。ずっと実家暮らしで、料理とは無縁の生活を送っていたとか。でも、プロサッカークラブ・コンサドーレ札幌のスタッフだった村野晋さんとの結婚が、彼女の人生を大きく変えることになります。
34歳でコンサドーレ札幌の寮母に就任し、2009年から昨シーズンまでは、ヴィッセル神戸の選手寮で若手選手をはじめ、イニエスタらの食をサポートし『カリスマ寮母』と呼ばれるほどになるのです。新米ママから『カリスマ寮母』へ…村野さんの軌跡を辿ります。
※写真はイメージ
金子さん:
料理の腕前は?結婚してから料理のイロハを覚えた?
村野さん:
家庭料理というところなので、まぁ…"ざっくり料理"という感じで乗り切っています!お米も結婚して初めて研ぎました(笑)。
金子さん:
料理が楽しいと思うようになっていた?
村野さん:
そうですね。その時はいったん仕事も辞めていて、やることも特になかったので…。「何を作ろうか」と考えるのは楽しかったです。料理は苦じゃありませんでした。
※写真はイメージ
金子さん:
でも、いきなり選手たちにご飯を作る役を任せようという、ご主人の発想がすごい!
村野さん:
そのころ、「私には将来がない」と思っていて。結婚、出産して、改めて再就職することの難しさを感じたんです。行くところも公園とスーパーくらいで外部との接点がほとんどなくて…。
そんな時、息子から「ママの夢って何?」と聞かれて、ふと「定食屋をやってみたい」といったんです。それが夫の頭に残っていたのかもしれません。彼が札幌に行った時、選手たちの食事内容があまりよくなくて、私の言葉を思い出して「よし、やらせてみよう!」と。
金子さん:
とはいえ、家族に作る時とは比較にならないほどのたくさんの料理を作るわけですよね。
村野さん:
はじめは10人くらいで、少しずつ増えていきました。最初はもう泣きながら…「大丈夫かな」と不安に思いながら作っていました。
※写真はイメージ
金子さん:
そもそも"スポーツ料理"とは?一般のかたへ料理するのと何が違う?
村野さん:
特に私が関わってるのは、サッカー選手向けのスポーツ料理です。肉の部位を選んだり、調味料によって体脂肪率を減らしたり、栄養バランスを考えるのが私の仕事です。
家庭料理なので、正直、一般の料理とあまり変わらないのですが、その中で揚げ物をしないとか。でも、やっぱりたまには作ってあげたいので、トップチームが休みの日などにから揚げを作ることもあります。サッカーは走る時間、瞬発力が必要なので、体脂肪率をあまり上げないように、揚げ物は月1回ほどに抑えています。
村野さんに大きな力をくれた『言葉』
※写真はイメージ
金子さん:
そんな村野さんが、いまでも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉はありますか?
村野さん:
夫にいわれた「それが家庭料理のよさじゃない!」という言葉です。
ある日、食事を用意したけど選手たちが来ない時があって。何回も「辞めたい、もう本当に帰りたい」と思った時期があったんです。その時、夫に泣きながら抗議すると、彼はこういったんです。
「いろいろなレストランでカレーやハンバーグを食べるとおいしいけど、ある時、ピタッと食べに行かなくなるじゃない?そこに行けば毎回同じものが食べられるけど、家庭料理は毎回違う。だから飽きない。それがいいんだよ!レストランのような食事を作って欲しいわけじゃないんだよ」
その時、一気に肩の力が抜けました。「いつも同じ味を追求しようとしないでいいんだ」って、気が楽になったんです。
※写真はイメージ
金子さん:
コンサドーレ札幌時代に料理を食べさせてあげた選手の中には、成長していまやバリバリのJリーガーになった選手もいると聞きました。さまざまな選手たちと触れ合う中で、印象的だった『言葉』はありますか?
村野さん:
コンサドーレ札幌で寮母になって1年目。激動の年が終わるころ、『戦力外通告』というものを、私はまったく知らなくて…。選手の契約がいつ終わるかも知らなかったんです。ただ冬が来たからオフになる、という感覚で。
薄々気付くようになっても、誰が戦力外になるかまでは知らなくて。いつも会っていた選手が、戦力外通告を受けて、ある日を境に来なくなる。そのまま来なくなった子もいたし、お世話になりましたと挨拶に来てくれた選手も何人もいて。その時の「サヨナラ」がすごく悲しかったんですよね。
そんな落ち込んでいた時にどこかで出会ったのが、「別れることが出来なければ、巡り合うこともできない」という言葉でした。
確かにずっと出会いだけがあるわけじゃないから、別れを経験しないと新しい出会いもないですし、なるほどなと。それからは悲しまないようになりました。それは人生の通過点なので、「その中にたまたま私がいたんだ」と思えるようになったんです。
今シーズンからはセレッソ大阪の寮母に就任した村野さん。サッカーだけでなく、メジャーリーグ・エンゼルスの大谷翔平選手にレシピを教えたり、食事アドバイスを送ったりと、スポーツ料理研究家として多くのアスリートを『食』でサポートしています。
歳を重ねるにつれて、未知の世界に飛び込むのはなかなか勇気がいるもの。村野さんがいままで出会ったアスリートたちの言葉に支えられてきたように、私たちも彼女の言葉に一歩踏み出す勇気をもらえますよね。
ことばのチカラ~成功へのターニングポイント~
毎週月曜日 21時~21時半ごろ放送(ニッポン放送)
[文・構成/grape編集部]