震災前より良い町にしてやる! 女川人が突き進む強く、着実な「復幸」への歩み 提供:復興応援 キリン絆プロジェクト By - grape編集部 公開:2016-03-19 更新:2016-03-28 宮城東日本大震災 Share Post LINE はてな 2011年3月11日。東日本大震災とその後に起こった大きな津波は、東北各地に甚大な被害を及ぼしました。 宮城県牡鹿郡にある女川町もその一つ。日本有数の水揚げ量を誇る女川漁港は、大きな被害を受け、町の建物の8割を津波によって失われました。 しかし、女川は、一歩ずつではありますが、力強く、確実に歩み続けています。被災する前よりも、もっと魅力的な街に。女川の「今」を撮影した力みなぎる映像、ご覧ください。 この映像のように、女川は今、パワフルに発展し続けています。それは「復興」というコトバだけでは、表現し切れないほどエネルギッシュなものです。 地元の人たちは、それを「復幸(ふっこう)」と呼んでいます。 「津波で家や店は全部流されてしまった。そして、自分達はこれからどうするのがいいのか。そう思った時、町が元の形に戻るとか、建物が新しくできるというのが復興じゃなくて、女川人の一人ひとりが心から幸せを感じることが本当の意味での復興ではないかと考えました」 復興応援 キリン絆プロジェクト ーより引用 そう語るのは、復幸まちづくり女川合同会社の代表社員・阿部さん。女川の復幸は、阿部さんのように女川に根を張る人々のあふれんばかりのエネルギーからスタートしました。 女川の財産をどう生かすか? 元々、女川は北上山地と太平洋が交わるリアス式海岸が特徴で、鮮度の高い魚が集まることで知られていました。「目利きの町」とも呼ばれていたそうです。 女川が本来持っていた魅力を、より広く、より多くの人に知ってももらうための試みが、水産加工物のブランド化です。 「女川の食材を使った『あがいん(again)おながわ』のブランディングは、女川の海、女川の人、女川の空、女川そのものを、よりたくさんの方に感じてもらうためのコンテンツづくりだと思っています」 「 『あがいん』は女川弁で『召し上がれ』を意味する言葉。 女川人のおもてなしの気持ちも伝わる。さらに、英語で書くと『again』。 幸せを取り戻すという意味もあるんです」 復興応援 キリン絆プロジェクト ーより引用 津波で祖父を亡くしつつも、いち早く工場を再開させた老舗かまぼこ店「高政」の高橋さんは語ります。 阿部さんや高橋さんだけではありません。女川に住むあらゆる人たちが、下を向くのではなく、前を向いて動き続けたことが大きなムーヴメントへとつながっていきます。 共に歩む応援という形 企業として東北の復興応援に、継続的に取り組んできたキリンは、常に顔が見える関係づくりを意識しているそうです。女川はそんな「キリン絆プロジェクト」がサポートする町の1つ。 「水産加工品のブランド化と販路拡大」と「水産業体験プログラムの構築」を目指し、阿部さんたちは「キリン絆プロジェクト」担当者に事業計画書を提出します。しかし、簡単にはいかなかったといいます。 「提出した事業計画の精度や今後の売上計画のチェックなどはかなり厳しく審査され、キリンの担当者の本気を感じました。これは『支援』ではなく事業への『投資』に近い、中途半端なことはできないなと(笑)」 「担当の方々には何度も女川に足を運んでいただいていますが、企業というより一人の人として、それぞれが女川のことを想って提案してくれているなと感じます」(阿部さん) 復興応援 キリン絆プロジェクト ーより引用 復興支援にはさまざまなカタチがあります。キリンは、常に向き合い、真剣に語り合い、時にはお酒を酌み交わしながら共に歩んでいく「復興応援」というカタチを選び、それを継続しています。 女川の人々にとっても、キリンにとっても、これは未来のまちづくりに向けた新しいチャレンジです。 そして、担当者が現地に赴くという姿勢は、お互いの想いを知る上で、決して省略できない大切な時間の共有なのではないでしょうか。 女川ハイボールを共同開発 3月26日(土)には「女川町復幸祭2016」も行われます。 2012年3月18日。町の若者たちが中心となり、女川が発展するための狼煙を上げるべく、第1回目の復幸祭が開催されました。 当時、人口8500人だった女川に、1万人以上の人が訪れ、伝説となったイベントです。 5回目を迎える今年も、「津波伝承 女川復幸男」や「女川自慢の炭火焼きサンマ無料配布」など多くのイベントが行われます。 さらに、キリンと女川の人々がコンセプト作りから共に考えた新しいハイボールがお披露目される予定です。 女川の漁師が昔から愛したという「ジョニーウォーカーブラック」を使った新たなハイボール。いったいどのような仕上がりなのか楽しみですね。 復幸へと歩み続ける女川 新しい試みやイベントなどを次々に仕掛ける女川。 自分たちはチャレンジャーだと言う高橋さんのコトバが、女川が「復幸」に向けて歩み続ける理由を端的に表しているような気がします。 「まだまだ女川のまちづくりは続くし、乗り越えないといけない壁は多いと思います。その時に一緒に乗り越える仲間がいることは本当にありがたいです」 「女川人以外でも誰かが何かをスタートする時に一緒にやろう!楽しもうぜ!といえる街、選ばれる街になりたいです」(高橋さん) 復興応援 キリン絆プロジェクト ーより引用 ちょっと行ってみたいな、と思ったのは僕だけではないですよね? Share Post LINE はてな
2011年3月11日。東日本大震災とその後に起こった大きな津波は、東北各地に甚大な被害を及ぼしました。
宮城県牡鹿郡にある女川町もその一つ。日本有数の水揚げ量を誇る女川漁港は、大きな被害を受け、町の建物の8割を津波によって失われました。
しかし、女川は、一歩ずつではありますが、力強く、確実に歩み続けています。被災する前よりも、もっと魅力的な街に。女川の「今」を撮影した力みなぎる映像、ご覧ください。
この映像のように、女川は今、パワフルに発展し続けています。それは「復興」というコトバだけでは、表現し切れないほどエネルギッシュなものです。
地元の人たちは、それを「復幸(ふっこう)」と呼んでいます。
そう語るのは、復幸まちづくり女川合同会社の代表社員・阿部さん。女川の復幸は、阿部さんのように女川に根を張る人々のあふれんばかりのエネルギーからスタートしました。
女川の財産をどう生かすか?
元々、女川は北上山地と太平洋が交わるリアス式海岸が特徴で、鮮度の高い魚が集まることで知られていました。「目利きの町」とも呼ばれていたそうです。
女川が本来持っていた魅力を、より広く、より多くの人に知ってももらうための試みが、水産加工物のブランド化です。
津波で祖父を亡くしつつも、いち早く工場を再開させた老舗かまぼこ店「高政」の高橋さんは語ります。
阿部さんや高橋さんだけではありません。女川に住むあらゆる人たちが、下を向くのではなく、前を向いて動き続けたことが大きなムーヴメントへとつながっていきます。
共に歩む応援という形
企業として東北の復興応援に、継続的に取り組んできたキリンは、常に顔が見える関係づくりを意識しているそうです。女川はそんな「キリン絆プロジェクト」がサポートする町の1つ。
「水産加工品のブランド化と販路拡大」と「水産業体験プログラムの構築」を目指し、阿部さんたちは「キリン絆プロジェクト」担当者に事業計画書を提出します。しかし、簡単にはいかなかったといいます。
復興支援にはさまざまなカタチがあります。キリンは、常に向き合い、真剣に語り合い、時にはお酒を酌み交わしながら共に歩んでいく「復興応援」というカタチを選び、それを継続しています。
女川の人々にとっても、キリンにとっても、これは未来のまちづくりに向けた新しいチャレンジです。
そして、担当者が現地に赴くという姿勢は、お互いの想いを知る上で、決して省略できない大切な時間の共有なのではないでしょうか。
女川ハイボールを共同開発
3月26日(土)には「女川町復幸祭2016」も行われます。
2012年3月18日。町の若者たちが中心となり、女川が発展するための狼煙を上げるべく、第1回目の復幸祭が開催されました。
当時、人口8500人だった女川に、1万人以上の人が訪れ、伝説となったイベントです。
5回目を迎える今年も、「津波伝承 女川復幸男」や「女川自慢の炭火焼きサンマ無料配布」など多くのイベントが行われます。
さらに、キリンと女川の人々がコンセプト作りから共に考えた新しいハイボールがお披露目される予定です。
女川の漁師が昔から愛したという「ジョニーウォーカーブラック」を使った新たなハイボール。いったいどのような仕上がりなのか楽しみですね。
復幸へと歩み続ける女川
新しい試みやイベントなどを次々に仕掛ける女川。
自分たちはチャレンジャーだと言う高橋さんのコトバが、女川が「復幸」に向けて歩み続ける理由を端的に表しているような気がします。
ちょっと行ってみたいな、と思ったのは僕だけではないですよね?