『鉄人』と呼ばれた元ラグビー選手と恩師の絆エピソードが胸を打つ 提供:ニッポン放送 By - grape編集部 公開:2019-09-25 更新:2019-10-07 ラグビー Share Post LINE はてな 日々努力を重ねながら、目の前の壁に立ち向かい、世界にはばたくアスリートたち。競技を通して数々の人間ドラマを生み、記録だけではなく、記憶に残る感動を私たちに与えてくれます。 フリーアナウンサーの滝本沙奈さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『スポーツ伝説』(ニッポン放送)。 番組の中では、アスリートを中心に、スポーツに関わる人物の感動エピソードを紹介。華やかな舞台の裏側にある挫折や苦悩を乗り越える、彼らの"原動力"に迫ります。 ついに9月20日に開幕した、ラグビーワールドカップ2019日本大会。開幕にちなみ、9月17日に放送された、元ラグビー日本代表選手・元木由記雄さんの『伝説』をご紹介します。 "鉄人"と呼ばれた元ラグビー選手と恩師の絆 多少のケガなど物ともしない鋼の肉体で、世界に挑み続けた伝説のラガーマン・元木由記雄さん。 体格に恵まれ、子どものころから"怪物"とあだ名を付けられていたという元木さんは、中学時代に初めて出たラグビーの試合で、2回タックルすると、相手が負傷退場してしまったという逸話も。 明治大学に入ると、1年生の時からレギュラーに抜擢され、"名将"と謳われた恩師・北島忠治(ちゅうじ)監督から基本プレーの大切さを徹底的に叩き込まれたそうです。 「しっかり当たって、しっかりタックルする。目の前のことに全神経を集中させて、常に全力でプレーしろ!」 恩師の教えを胸に、在学中の4年間で3度の大学日本一に輝きました。 "Mr.ラグビー"平尾誠二さんとの出会い 明治大学を卒業後、神戸製鋼に入社した元木さん。そこで、彼にとってもう1人の恩師と出会います。神戸製鋼のセンターを務め、ラグビー日本代表でも絶対的な存在だった、平尾誠二さんです。 元木さんは、1991年、大学2年生の時に北米遠征のメンバーに選ばれます。ミネソタ州・ミネアポリスで行われたアメリカ戦で、試合中に負傷した平尾さんの代わりにセンターに入ったのが、彼の代表デビュー戦となりました。 大学4年生となって、どの実業団に進もうかを悩んでいたという元木さん。ある日、平尾さんから呼ばれて、こんな誘いを受けたのです。 「神戸製鋼に入って、神戸から世界へ出ていけ!」 元木さんは明治大学時代、平尾さんがいる神戸製鋼と日本ラグビーフットボール選手権大会で3回戦い、全敗していました。「神戸で、平尾さんと一緒にやりたい」という想いがあった元木さんは、神戸製鋼に入ることを決意。 平尾さんの背中を見ながら、世界でも勝てる実力を身に付けようと努力を重ね、神戸製鋼の7連覇達成に貢献しました。 2001年、全国社会人ラグビーフットボール大会のトヨタ自動車戦で、元木さんは味方選手とぶつかって、頬骨を6か所折るケガを負ったものの、1か月も経たないうちに復帰。 そんな"鉄人"ぶりを見せた元木さんですが、2010年3月に現役引退を発表。身体のケアに時間がかかるようになり、「いまより強い自分になる自信がなくなった」といいます。 強靭な肉体を限界まで追い込み、世界と戦った"鉄人"、元木さん。ラグビーワールドカップ4大会連続出場と、日本代表79試合出場という記録は、まさに『レジェンド』と呼ばれるにふさわしい勲章です。 2015年のワールドカップでは、強豪・南アフリカに逆転勝利するという伝説を残し、世界中に感動を与えてくれたラグビー日本代表。今大会ではどんな雄姿を見せてくれるのか…楽しみですね! スポーツ伝説:毎週月曜日~金曜日 21時50分~21時57分ごろ放送(ニッポン放送) [文・構成/grape編集部] Share Post LINE はてな
日々努力を重ねながら、目の前の壁に立ち向かい、世界にはばたくアスリートたち。競技を通して数々の人間ドラマを生み、記録だけではなく、記憶に残る感動を私たちに与えてくれます。
フリーアナウンサーの滝本沙奈さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『スポーツ伝説』(ニッポン放送)。
番組の中では、アスリートを中心に、スポーツに関わる人物の感動エピソードを紹介。華やかな舞台の裏側にある挫折や苦悩を乗り越える、彼らの"原動力"に迫ります。
ついに9月20日に開幕した、ラグビーワールドカップ2019日本大会。開幕にちなみ、9月17日に放送された、元ラグビー日本代表選手・元木由記雄さんの『伝説』をご紹介します。
"鉄人"と呼ばれた元ラグビー選手と恩師の絆
多少のケガなど物ともしない鋼の肉体で、世界に挑み続けた伝説のラガーマン・元木由記雄さん。
体格に恵まれ、子どものころから"怪物"とあだ名を付けられていたという元木さんは、中学時代に初めて出たラグビーの試合で、2回タックルすると、相手が負傷退場してしまったという逸話も。
明治大学に入ると、1年生の時からレギュラーに抜擢され、"名将"と謳われた恩師・北島忠治(ちゅうじ)監督から基本プレーの大切さを徹底的に叩き込まれたそうです。
「しっかり当たって、しっかりタックルする。目の前のことに全神経を集中させて、常に全力でプレーしろ!」
恩師の教えを胸に、在学中の4年間で3度の大学日本一に輝きました。
"Mr.ラグビー"平尾誠二さんとの出会い
明治大学を卒業後、神戸製鋼に入社した元木さん。そこで、彼にとってもう1人の恩師と出会います。神戸製鋼のセンターを務め、ラグビー日本代表でも絶対的な存在だった、平尾誠二さんです。
元木さんは、1991年、大学2年生の時に北米遠征のメンバーに選ばれます。ミネソタ州・ミネアポリスで行われたアメリカ戦で、試合中に負傷した平尾さんの代わりにセンターに入ったのが、彼の代表デビュー戦となりました。
大学4年生となって、どの実業団に進もうかを悩んでいたという元木さん。ある日、平尾さんから呼ばれて、こんな誘いを受けたのです。
「神戸製鋼に入って、神戸から世界へ出ていけ!」
元木さんは明治大学時代、平尾さんがいる神戸製鋼と日本ラグビーフットボール選手権大会で3回戦い、全敗していました。「神戸で、平尾さんと一緒にやりたい」という想いがあった元木さんは、神戸製鋼に入ることを決意。
平尾さんの背中を見ながら、世界でも勝てる実力を身に付けようと努力を重ね、神戸製鋼の7連覇達成に貢献しました。
2001年、全国社会人ラグビーフットボール大会のトヨタ自動車戦で、元木さんは味方選手とぶつかって、頬骨を6か所折るケガを負ったものの、1か月も経たないうちに復帰。
そんな"鉄人"ぶりを見せた元木さんですが、2010年3月に現役引退を発表。身体のケアに時間がかかるようになり、「いまより強い自分になる自信がなくなった」といいます。
強靭な肉体を限界まで追い込み、世界と戦った"鉄人"、元木さん。ラグビーワールドカップ4大会連続出場と、日本代表79試合出場という記録は、まさに『レジェンド』と呼ばれるにふさわしい勲章です。
2015年のワールドカップでは、強豪・南アフリカに逆転勝利するという伝説を残し、世界中に感動を与えてくれたラグビー日本代表。今大会ではどんな雄姿を見せてくれるのか…楽しみですね!
スポーツ伝説:毎週月曜日~金曜日 21時50分~21時57分ごろ放送(ニッポン放送)
[文・構成/grape編集部]