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16万人の敵に包囲された町の人々 城の『最強』っぷりに、驚きの反応!

By - grape編集部  公開:  更新:

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近年、観光地としての人気が高まっている神奈川県小田原市。

歴史的な街並みや、豊かな自然が現在も残る、魅力にあふれた街であり、多くの人が訪れています。

歴史から分かる小田原市の魅力とは

小田原市のシンボルといえば『小田原城』。

戦国時代、関東のほぼ全域を支配していた北条氏が拠点としていたこともあり、当時の小田原は関東の中心として栄えていました。

1500年頃に北条早雲(伊勢宗瑞)が、小田原に進出して以降、5代に渡って約100年間、関東を席巻した北条氏。

その理由の1つは、『難攻不落の城』とされていた、小田原城にあったといいます。

小田原城はなぜ『難攻不落』?

小田原城が『難攻不落』と称されていた理由や、謎が多かったという北条一族については、こちらの動画で語られています。

動画によると、小田原城はほかに類を見ない『とんでもない城』だったようですよ。

1590年、小田原城は北条氏が豊臣秀吉に降伏したことにより開城しましたが、一度も合戦で攻め落とされたことはありませんでした。

16万もの大軍に囲まれていても、城の中では普段通りの生活を送れていたのだとか。

北条氏が築いていた『総構(そうがまえ)』は、それほどまでに偉大なものだったのですね。

江戸時代以降の小田原は?

それでは、北条氏滅亡後の小田原はどうなったのでしょうか。

小田原は、江戸時代に入ると、江戸の日本橋から京の三条大橋を結んだ、東海道の宿場町として栄えていきます。

現在の『十字町商店会』がある、国道1号線沿いには、約4kmに渡って商家が軒を連ねていたようですよ。

そして明治以降には、多くの政治家や財界人、文化人などが移り住むようになりました。

なぜこれほど、多くの著名人たちが小田原を選んだのかは、こちらの動画をご覧ください!

気候が温暖な小田原は、避寒地としても愛されていました

十字町商店会にある資料館『十字町ヒストリア』には、小田原に居住していた著名人たちが200人以上も紹介されています。

特に、童謡『あめふり』や『待ちぼうけ』などを作詞した詩人の北原白秋は、生涯で作った1200編もの童謡詩のうち、その半数を小田原にいた8年間で作成したそうです。

日々、自然豊かな小田原の街を散策しながら、詩の構想を練っていたようですよ。

そして、政治家の大隈重信が別荘を建築したことがきっかけで、小田原は別荘地や観光地として開発が進むことに。

復元された小田原城に加え、宿場町、著名人たちの別荘跡など、当時の面影を残しつつ街は発展し、現在の小田原市の姿につながっていったといいます。

小田原市のPR動画は、このほかにも順次公開されていく予定です。

相模湾で獲れる海の幸を生かしたおいしいグルメなど、地域のさまざな情報が発信されます。

動画を見て、気になったものがあれば小田原市に足を運んでみてはいかがでしょうか。


[文・構成/grape編集部]

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