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鈴木一朗からIchiroへ 地元の野球少年がメジャー3000安打を放つまでの歩み

By - grape編集部  公開:  更新:

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提供:産経新聞社

メジャーリーグ史上30人目となる通算3000本安打を達成したマーリンズのイチロー選手。

日米通算では前人未到の4278安打を放った、世界が認めるスーパースターです。

しかし、そんなイチロー選手も、常に陽の当たる道ばかりを歩いて来たわけではありませんでした。

バッティングセンターに通い詰めた小学校時代

小学生の時に野球を始めたイチロー選手(本名:鈴木一朗)はすぐにのめり込みます。チームの練習だけでは飽き足らず、近所にあったバッティングセンターに毎日のように通い詰めていたというのは有名な話。

小学校3年生の時には時速100キロのボールを簡単に打ち返していたという逸話もあり、この頃から地元愛知では有名な選手だったそうです。

中学に上がり、部活動でも野球部を選んだイチロー選手は全国大会で3位になるなど、選手として順調に成長していきます。

名古屋の名門「名電」で1年からレギュラーに

イチロー選手が進学したのは「愛知工業大学名電高等学校」。愛工大名電と呼ばれる愛知の強豪校です。

現ソフトバンクホークスの工藤公康監督ら、名選手を多く輩出してきた甲子園常連校で、イチロー選手は1年生からレギュラーを獲得します。

2年生の夏と3年生の春には甲子園に出場するも、共に初戦敗退。地方大会での打率が7割を超えるなど、愛知の野球関係者の中では「良い選手」という評判でしたが、決して全国区の選手ではなかったようです。

ちなみに、3年生の時のポジションは投手でした。

また、当時、中日ドラゴンズに所属し、三冠王に3度輝いた落合博満さんは、地方大会に出場していたイチロー選手を偶然見て、こうつぶやいたと言われています。

「コイツは将来とんでもないバッターになる」

ドラフト4位でオリックスへ入団

甲子園での目立った成績もなかったことからイチロー選手のプロ入りは、大きな注目を集めるものではありませんでした。

ファンだった中日ドラゴンズではなく、神戸に本拠地を置くオリックス・ブルーウェーブ(当時)にドラフト4位で指名されて入団。1、2年目は主に2軍での出場にとどまります。

イチロー選手にとっての飛躍の年は、プロ3年目となる1994年。この年、オリックスにやって来た仰木彬監督(故)はイチロー選手の類い稀な打撃センスを見抜き、開幕から1軍の試合に抜擢します。

仰木監督の信頼に応えるべくイチロー選手はヒットを打ちまくる大活躍。シーズン210安打の日本記録まで樹立してしまいます。

提供:産経新聞社

1995年にはリーグ優勝、1996年には日本一に輝き、メジャーリーグに移籍するまでの7年間、毎年首位打者を獲得する大活躍を見せました。

そして、日本のイチローから世界のIchiroへと飛躍すべく、2001年から活躍の舞台をアメリカ・メジャーリーグへと移します。

実は期待されていなかったイチロー選手のメジャーデビュー。しかし、そんな逆境にイチロー選手は…

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出典
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