萩本欽一は駒澤大学に73歳で入学! 息子への名言とは?
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コメディアンとして活躍している萩本欽一(はぎもときんいち)さん。すぐれた笑いの才能と他人から好かれる人柄で、男女問わず多くの人から支持されています。
そんな萩本欽一さんの関わった番組やツイッターの名言、これからの活躍といったさまざまな情報をご紹介します!
萩本欽一の出演作 『欽ドン』はラジオから生まれた?
萩本欽一さんは1941年に東京市下谷区稲荷町、現在では東京都台東区にある稲荷町駅の付近で生まれています。戦争が激しくなったため、埼玉県浦和市に疎開しました。
駒込高校を卒業後、浅草の東洋劇場に入り、コメディアンとしてスタートを切ります。若い頃は浅草のフランス座にも出演しました。フランス座は後にビートたけしさんも登場しています。
萩本欽一さんの人気が爆発したのは、コメディアンの坂上二郎さんとコンビ『コント55号』を結成してからでした。『コント55号』の冠番組が多く作られ人気は絶頂に。
左から坂上二郎、萩本欽一 1970年
坂上二郎さんの俳優活動が多くなるに従い、萩本欽一さんも1人での出演が増えます。1972年には、ラジオ番組『欽ちゃんのドンといってみよう!』(ニッポン放送)が始まりました。
同番組の発想は、バラエティ番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!(以下、欽ドン)』(フジテレビ系)へ活かされています。
『欽ドン』は、視聴者に笑いを提供しただけでなく、『よい子悪い子普通の子』から始まったアイドルグループ『イモ欽トリオ』や『わらべ』を生み出しています。『わらべ』が歌う『めだかの兄妹』は長く子供たちに愛される名曲となりました。
『イモ欽トリオ』や『わらべ』は、萩本欽一さんのプロデュース力を表すものでしょう。意外なところでは、お笑いコンビ『ダウンタウン』が東京へ進出するきっかけを作ったのも萩本欽一さんでした。
萩本欽一さんの弟子としては、『欽ちゃんファミリー』といわれる風見しんごさんや山口良一さん、松居直美さんを始めとして、関根勤さん、勝俣州和さんなど多数が挙げられます。
左から松居直美、見栄晴、生田悦子、萩本欽一、小柳みゆき、風見しんご 1982年
『欽ドン』だけでなく、バラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)でも人気となり、視聴率は2番組合わせて100%に!萩本欽一さんは、『視聴率100%男』と呼ばれるようになりました。
欽ちゃん流!英単語暗記術!
萩本欽一さんは、神奈川県二宮町に自宅を持っています。3人の息子を妻と二宮町で育てたそう。萩本欽一さんは、自身のツイッターで「親は子供に勉強の方法を教えることが大切」とツイート。子供に英単語の覚えかたを伝授したといいます。
「英単語を覚える時は、文字ではなく、体で覚える」という萩本欽一さんは、息子のために英単語へ動きをつけた話を投稿しました。
欽ちゃん流英単語暗記術 実践編
萩本欽一さんはさらに「文法には動きがないので、文法はしっかり先生のいうことを聞いておきなさい」と教えたといいます。
また、萩本欽一さんは、ハッシュタグ『#欽言』で、ためになる言葉を投稿しています。
萩本欽一が大学に行った理由は『ミュージックソン』
萩本欽一さんは、2015年4月に73歳で駒澤大学仏教学部に入学し、周囲を驚かせました。萩本欽一さんは、70歳をすぎて大学で仏教を学ぶ理由を「『仏様の教え』を聞いてみたかった」と語っています。
萩本欽一さんは、2017年11月3日にオンエアされたラジオ番組『垣花正あなたとハッピー!』(ニッポン放送)に出演して、学ぶ理由を次のように語っています。
笑いの種類っていろいろあって、これまで『アッハッハ』って(爆笑するような)笑うコントを作ったりしてきたけど、ニッポン放送で初めてチャリティー番組『ミュージックソン』をやった時に、『幸せ』という気持ちだけで『笑う』という『笑いの形』があるんだと思ったんだ。
『ミュージックソン』こと『ラジオ・チャリティ・ミュージックソン』は、1975年に始まったチャリティ番組です。萩本欽一さんは第1回のメインパーソナリティーを頼まれた時、引き受けるか悩んだといいます。萩本欽一さんは仕事を受けると決め、24時間の番組が終わった後、次のようにつぶやいたといいます。
よかった…こんな素晴らしい仕事を断らなくて、本当によかった…。
『ラジオ・チャリティ・ミュージックソン』は、大反響となり、2年後にチャリティ番組『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)が放送されるようになりました。
萩本欽一さんは『24時間テレビ 愛は地球を救う』の第1回メイン司会を務めています。萩本欽一さんが選ばれた理由は、放送局を越えたチャリティへのリスペクトからでした。日本テレビからチャリティ番組の放送と萩本欽一さんの司会起用を打診されたニッポン放送側も、心よく送り出しています。
萩本欽一の現在・これから
萩本欽一さんは、毎月第3月曜日にラジオ番組『ラジオ深夜便』(NHKラジオ第1)で『萩本欽一の人間塾』をオンエアしています。
また、2019年5月に駒澤大学を中退しました。萩本欽一さんは理由を「80歳になるともう動けないから、あと2年、お笑いを一生懸命やろうって」と語っています。
萩本欽一さんがお笑いに励む姿は、バラエティ番組『欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)』(BSプレミアム)で放送されています。台本もリハーサルもないアドリブの舞台は、8月3日から4日、また11日と18日の日曜日にオンエアされることに。
萩本欽一さんは、日本のお笑い界に足跡を残すだけでなく、後進を育て、またチャリティ番組を日本に定着させるという素晴らしい功績を上げています。80歳を前に、SNSや自撮りも行うなど新しいことに挑戦しつづける萩本欽一さんに、注目が集まっています。
萩本欽一 プロフィール
生年月日:1941年5月7日
出身地:東京都東京市下谷区稲荷町(現・東京都台東区 稲荷町駅付近)
血液型:A型
身長:164㎝
所属事務所:浅井企画
1941年、東京都台東区に生まれる。戦争のため浦和に疎開して育つが、父親の事業が失敗。「母のために金持ちになりたい」と、駒込高校卒業後にコメディアンとして東洋劇場に入る。坂上二郎と『コント55号』を結成してから大ブレイクし、その後坂上二郎が俳優業に進んでもコメディアンとして活動。『欽ちゃんのドンとやってみよう!』を始めとした『欽ドン』シリーズで一世を風靡した。『24時間テレビ』や『ミュージックソン』といったチャリティ番組の成り立ちにも関わっている。2015年に駒澤大学に入学、2019年に中退。80歳を前にスマホでツイッターを始めるなど、さかんに活躍している。
[文・構成/grape編集部]