【日本初】琵琶湖の水中に没した江戸時代の遺跡が発見される! By - grape編集部 公開:2015-11-05 更新:2018-05-20 遺跡 Share Post LINE はてな コメント 日本最大級の湖「琵琶湖」の湖底で、江戸時代の祠とみられる建物跡が発見され、話題になっています。 建物跡を発見したのは「水没村伝承」などを研究する琵琶湖水中考古学研究会。湖底に立ったままの柱8本や石積みなど、水中遺跡で建物の跡が見つかったのは、国内では今回が初めてのこと! 「水没村伝承」や「湖の底の祠」のキーワードが好奇心をくすぐりますが、ネット上でも驚きに満ちた声が続出しているようです。 すげい! この調子で邪馬台国の移籍も出ませんか… (妹が邪馬台国は琵琶湖畔説を持っておる…) >RT— 沖田ぐに☆ (@gllico_koma) 2015, 11月 4 @livedoornews @chameleonman3 伝説や手記で知ってはいたがまさか今頃にびわこ湖底に静かに沈んでいた神社が見つかるとは。偶然だったら凄い発見でござる。— akb4800mk3 (@akb4800mk3) 2015, 11月 5 毎日見てる琵琶湖に、ロマン感じたwww— 蜜柑@1.17プリライ (@ayaloveinsnow) 2015, 11月 4 地盤沈下が原因? 発見場所は、豊臣秀吉が築城した長浜城の遺跡と呼ばれるあたりから、沖合100メートル、水深1.8メートルの湖底周辺。 【発見】琵琶湖湖底に江戸期の建物跡 日本の水中遺跡で建物跡は初 https://t.co/LTUEvS50BM 19世紀初頭に建てられた鎮守社とみられ、1819年の文政近江地震で湖底に沈んだ可能性があるという。 pic.twitter.com/3H1Yhl7feH— ライブドアニュース (@livedoornews) 2015, 11月 4 放射性炭素で柱の年代測定を行ったところ、江戸時代後期の1801年~1818年の建物ではないかと考えられています。 また、祠は1819年の文政近江地震が原因で、湖底に沈んだ可能性があるとのこと。当時、滋賀を震度6弱とかなり大きな地震が襲ったようです。 まだ発見されたばかりなので、詳しいことは今後の研究で明らかになっていくかもしれません。もしかしたら、面白い伝承や伝説が見つかるのかもしれない…、今からちょっとワクワクしてしまいますね。 出典 琵琶湖底に江戸期建物跡 水中遺跡で初、地震で水没か/@gllico_koma/@akb4800mk3/@ayaloveinsnow/@livedoornews Share Post LINE はてな コメント
日本最大級の湖「琵琶湖」の湖底で、江戸時代の祠とみられる建物跡が発見され、話題になっています。
建物跡を発見したのは「水没村伝承」などを研究する琵琶湖水中考古学研究会。湖底に立ったままの柱8本や石積みなど、水中遺跡で建物の跡が見つかったのは、国内では今回が初めてのこと!
「水没村伝承」や「湖の底の祠」のキーワードが好奇心をくすぐりますが、ネット上でも驚きに満ちた声が続出しているようです。
地盤沈下が原因?
発見場所は、豊臣秀吉が築城した長浜城の遺跡と呼ばれるあたりから、沖合100メートル、水深1.8メートルの湖底周辺。
放射性炭素で柱の年代測定を行ったところ、江戸時代後期の1801年~1818年の建物ではないかと考えられています。
また、祠は1819年の文政近江地震が原因で、湖底に沈んだ可能性があるとのこと。当時、滋賀を震度6弱とかなり大きな地震が襲ったようです。
まだ発見されたばかりなので、詳しいことは今後の研究で明らかになっていくかもしれません。もしかしたら、面白い伝承や伝説が見つかるのかもしれない…、今からちょっとワクワクしてしまいますね。