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アニソン界のプリンス・影山ヒロノブの『人生を変えたひと言』 ナウシカの言動に心打たれた理由は

By - grape編集部  公開:  更新:

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本記事は、2021年11月1日にgrape Japan編集部の外国人記者により掲載されたインタビューの内容を、日本語に再編集してお届けするものです。

grapeの英語版である『grape Japan』では、新しい取材記事のシリーズを開始しました。その名も『人生を変えたひと言』です。

このシリーズでは、漫画やアニメ、音楽、俳優、声優、コスプレ、プロレスなど、いろいろな分野で活躍する人に、インタビューを実施。

人生に大きな影響を与えた漫画やアニメ、ゲーム、特撮などのセリフや一場面について、お聞きします。

第1回目は、なんと『アニソン界のプリンス』こと影山ヒロノブさんにお話をうかがいました!

『人生を変えたひと言』第1回:影山ヒロノブさん

影山さんが選んだのは、1982~1994年に連載された、宮崎駿監督の漫画『風の谷のナウシカ(以下、ナウシカ)』のセリフ。

全7巻で構成されたこの大作は、1~2巻の部分が1984年に公開されたアニメ映画の原作となり、かの有名なアニメ制作会社『スタジオジブリ』が設立されるきっかけにもなりました。

今回のインタビューでは、影山さんが漫画とアニメの両方に触れ、選んだセリフが影山さんの人生にどのような影響を与えたかについて、grape JapanのライターであるBen Kが、お話をうかがいました。

『風の谷のナウシカ』への最初の印象

――まずお聞きしたいのですが、影山さんが『ナウシカ』を一番最初に読んだのはいつでしたか?

漫画を読む数年前に、映画を観たんですよ。でも、「漫画は映画と同じ感じの内容だろう」と思っていたので、読んでいなかったんです。

漫画は全7巻ですけど、一番最初に読んだ時は6巻まで発刊していましたね。

それで、7巻が発売されるまでの間に初めて読んで、めっちゃ感動して…「早く7巻が出ないかな~」って思っていたのをすごく覚えているんですね。いつだったかな…1993年?

――おっしゃる通り、第6巻が出たのは1993年ですね。漫画より映画が先だったとのことですが、観た時の印象はいかがでしたか?

『ナウシカ』で、宮崎監督の作品に初めて触れました。

キャラクターやストーリーが自分の好きなタイプで、宮崎監督が伝えたい人間の強さと優しさがダイレクトに伝わってきて…アニメや漫画で、ここまで深い感動を受けたのは初めてだったかもしれないですね。

――影山さんは幼少期から、いろいろな漫画とアニメも観ていたんですよね。

はい、日本人なので(笑)。

――それらの感動と『ナウシカ』の映画を観た感動の度合いが、やはり段違いだったということでしょうか。

ええ、現代社会に対して宮崎監督が「本来、人間はこうあるべきではないか」ということとかを伝えてくる感じが、すごく感動したんですよね。

まあ、子供の頃にあった作品は、例えば『宇宙戦艦ヤマト』とかもすごく感動したんですけど、それとはまたタイプが違うというか…宮崎監督の作品の現代社会への風刺とか、メッセージが込められている部分がとても感動しました。

――その後『ナウシカ』の漫画にも触れて、どのように思いましたか?

『ナウシカ』の映画って、漫画版のほんの一部が映像化されているんですよ。

なので、やっぱり漫画版のストーリーがどんどん進んで行って、最後の第7巻は一番いろいろな部分で感動しました。

一部を映像化した映画版と比べると、スケールの大きさやストーリーの長さ、そしてメッセージ性は全部、段違いだと思います。

影山ヒロノブさんの『人生を変えたひと言』

――では、影山さんが選んだ『人生を変えたひと言』の話題に移ります。

私達は / 血を吐きつつ / くり返し / くり返し / その朝をこえて / とぶ鳥だ!!

『風の谷のナウシカ』アニメージュ・コミックス・ワイド判(徳間書店、1995年初版、7巻198ページ) ーより引用

――影山さんは、このナウシカの台詞に対して「清濁(せいだく)併せて受け入れ、その中で最大限の努力をして生きていこうというナウシカの強い心に胸を打たれた」とのことですが、その思いについて聞かせてください。

環境にしても社会にしても、私たちが今生きている世界は問題だらけです。人類は、その文明のために多くの犠牲を払ってきました。

宮崎監督は、そういう問題について「人間として真剣に考えなければならない」と伝えたいのだと思います。

『ナウシカ』では、生物が住めなくなった『酸の海』に、古代の宇宙船の跡が見えるシーンがあります。これらの船は、『火の七日間』と呼ばれる終末戦争の時のものです。

作中で、おじいさんたちがこういうんです。「あの宇宙船は昔、月まで行っていたんだぞ」…と。このシーンは、人類の思い上がりによって一度は滅びた世界を再生しようとする、ナウシカの物語を象徴していると思います。

すでに90年代からいわれていたことですが、現代の人間社会は思い上がった結果、悪い方向に向かい続けています。このままでは核戦争になってしまう。現存する核弾頭の数を考えると、世界を簡単に消し去ることができる。

毎朝ニュースを見ているだけでも、アフガニスタンなど、世界にはさまざまな紛争があふれていることが分かります。人々はそれを知っていながら、「手に負えない」という態度をとっているのではないか…。

これからいうことは、宮崎監督が『ナウシカ』に込めたメッセージと、私が選んだセリフにもつながると思います。

漫画の終盤で神のような存在が、ナウシカに「悪いことをしがちな、従来の人間はもう必要ない」と告げるんです。「戦争や環境破壊をしない、優しい人間を新たに作って、この星に住まわせたい」と。

しかし、ナウシカはそうは思いません。人間を人間たらしめているのは、自分の中に善と悪の両方を持っていることであり、完全に純粋な人間は存在し得ないと彼女はいいました。

それに対し人工知能は、「浄化された地球では、以前の種族の人間は生きていけないだろう」という。そして、ここでナウシカは、「私たちは鳥のように、永遠にあの朝を超えて、血を吐きながら飛んでいくのだ!」というのです。

つまり、新しい世界に立ち向かおうとすることで、自分や自分のような人間たちが血を吐いて死ぬことになっても、何度も何度もそれを繰り返していくのです。この言葉に私はとても感動しました。

『風の谷のナウシカ』からインスピレーションを受けて

――世界の話をされましたが、でも、ご自身の人生を歩んできた中で、音楽生活あるいは私生活で、そういう苦境があった時に、この台詞を思い出したことがありますでしょうか?

今の若い人たちは、歌手のLiSAさんのような人を見て「アニソン歌手になりたい!」というんです。それが、アニソン歌手という職業が今得られたステータスです。

アニソン歌手が社会的に評価され続けることは素晴らしいことだと思いますが、一方で、私たちアニソン歌手が忘れてはならないことがあります。それは、アニメと連動して人々を元気にすることです。

その想いが自分の人生の根幹にあることに気付いてから、例えば『JAM Project』で曲を作っている時などは、使命感に燃えています。

きっと、ナウシカがいった言葉と同じ精神だと思います。何気ないことでも、「世界の人々にポジティブなエネルギーを送らなければならない」と思うようになりました。

コロナ禍を超え、人々にインスピレーションを与える

――人間誰しもそういう暗い部分や明るい部分を持ち合わせているので、苦境の中でも元気をみんなに与えることが大切なんですね。

しかし、コロナ禍の影響で、そのような精神が弱まっているのが残念です。J-POPもそうですが、私たちアニソン歌手が音楽を作って発表することで、人々を元気づけることができると思うんです。

日本では昔から、お祭りや地域のイベントをすることで前向きな気持ちになっていましたが、今はそれができません。

コンサートもほとんどできず、大きなイベントもほとんど中止になってしまったこの状況で、私たちミュージシャンは何ができるのかを考えなければなりません。

何かに試されているような感覚があります。「このコロナ禍の中で、あなたには何ができるのか?」…と。

私はナウシカではありませんが、ナウシカが自分の言葉でいったように、私もいいたいことがあるのです。「どんな状況であっても、私たちは未来への道を切り開く努力をすることができる」ということを。

最近は家でしか音楽を作れなくなりました。バンド全員で出かけていって、あちこちでリハーサルをするようなことはできないのです。

娘はミュージシャンを目指していて、今はアレンジの勉強で忙しいんです。そこで、1年ほど前から、彼女と一緒に月に一度、新曲を作って、オンラインでライブをするんです。

それが、今の私にできることの答えだと考えています。そして、私が『ナウシカ』や宮崎監督から学んだことでもあると思います。

――そうですね。娘さんの話のように、やはり次の世代に引き継ぐのは大事なことですよね…。

若い人たちがかわいそうだと思うんですよね。特に10~20代の、例えばこのエンタメの世界で何かやりたいという人が世界中にたくさんいるんだけど、今はもうコロナ禍のせいで頭から潰されるようなことになっているじゃないですか。

で、そういう中で僕らはなんとかこれを乗り切って、みんなに「ずっと持ち続けている夢を諦めないでいてほしいな」と強く思っていますね。

国境を超えた会話のきっかけ

――最後に質問があります。よく海外公演をされていますが、日本人以外の方とナウシカについて話す機会はありましたか?

僕はよく英会話教室に通っていたんですが、いろいろな先生と、「日本の漫画やアニメで何が好きか」という話をすることが多かったんですよ。

先生たちや友達のセリーナもそうですけど、日本のアニメとかそういうものが大好きで「日本で生活しようかな」と思って来てくれた先生たちがすごく多かったので、やっぱりそういうアニメまわりのカルチャーのことを話すとすごく盛り上がるんです。

で、『ナウシカ』の映画は知っているけど、漫画版は読んだことないという先生たちが結構多かったので、「絶対読んで!」ってめっちゃ宣伝しまくっていました。「英語版もあるので、絶対読んで!」って何度も先生たちにいいましたね。

――影山さんは『ナウシカ』の英語版も購入したとのことですが、英会話教室の先生たちの言葉を受けたからなのでしょうか?

そうですね。「好きな題材だと、ただ勉強のためにテキストを読むよりも楽しいかな」と思ったんですけど…『ナウシカ』の場合、単語がめっちゃ難しくて。だから、いつかは読めるようになりたいと思っています。

『風の谷のナウシカ』と環境問題

英会話教室で1つ気になったのは、一般の日本人に比べて、先生たちが環境問題に対する危機感を持っていることです。

日本は工業国、先進国と言われていますが、自然環境を守るためにもっとできることがあるということを、政府のスローガンだけでなく、私たち一人ひとりが認識する必要があるのではないでしょうか。

それを意識しないと、事態は悪化の一途をたどるでしょう。これは、私がその先生たちから学んだことでもあると思います。

――『ナウシカ』も環境問題について、すごく取り上げていますね。影山さんは英会話教室の先生たちに出会う前からも、『ナウシカ』を読まれてから環境に対する意識が変わったのでしょうか?

はい、『ナウシカ』は環境問題について描いていると思います。例えば車にしても、ほかのものにしても、現代文明の便利な部分は私たちの生活を楽にしてくれますし、ある意味では楽しいものでもあります。

今、2030年までにすべての自動車を電気で走らせようという動きがあります。車に限った話ではありませんが、人々は頭では意識していても、何かをしようという気には、なかなかなれないことがあります。

でも今は、小さなことでもいいので、明るい未来のために変えていきたいと思っています。

――今日はお忙しいところ、ありがとうございました!


■影山ヒロノブ

1977年に16歳でロックバンド『LAZY』からプロデビューし、『赤頭巾ちゃん御用心』や『DREAMER』などのヒット曲を生み出す。1981年に『LAZY』が解散した後は、ソロ歌手として活動していた。

1985年には、スーパー戦隊シリーズ『電撃戦隊チェンジマン』の主題歌でアニメ・特撮歌手としてデビュー。その後、世界的に有名なアニメソングや特撮ソングを歌い続ける。

代表的なヒット曲は、『聖闘士星矢』の主題歌『聖闘士神話~ソルジャー・ドリーム』、130万枚のセールスを記録した『ドラゴンボールZ』のオープニング曲『CHA-LA HEAD-CHA-LA』など。

これまで1000曲以上のアニメソングを担当しており、ソロ活動に加えて、2000年に結成されたアニソン界の歌手グループ『JAM Project』のリーダーでもある。

近年では、ロサンゼルスやパリ、アブダビなど、海外のアニメイベントにも多数出演。また、作詞・作曲・編曲・プロデュースを行うアニソンアーティストとして、J-POPアーティストやバーチャルライバーへの楽曲提供など、精力的に活動を行っている。


[文・構成/grape編集部]

出典
スタジオジブリ

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