ラスベガスでレイプ被害者を救い続けたヒル・静江さん 日本の心を忘れなかった女性が逝く By - grape編集部 公開:2016-10-09 更新:2018-03-12 ラスベガス性犯罪訃報 Share Post LINE はてな コメント 2016年9月28日、アメリカ・ラスベガスのホスピスで一人の女性が肺がんのため亡くなりました。彼女の名前はヒル・静江さん。67歳でした。 ヒル・静江さんと聞いても、日本ではご存知ない方がほとんどでしょう。彼女は、アメリカ・ラスベガスにあるレイプ被害者の非営利救済団体で、被害に遭った人々を22年に渡って救い続けた偉大な人物です。 彼女によって救われた人、新しく人生をやり直すことができた人が、何千人もラスベガスには存在します。 シングルマザーとして、地域の子どももまるごと愛した静江さん 静江さんは1949年、東京生まれ。1979年にアメリカへ渡り、1982年、ラスベガスを定住の地に選びました。 離婚後、2人の実子と4人の継子をシングル・マザーとして育てあげました。子育て中は、6人の子どもを抱えながらも、近所の両親が忙しく働いている子どもたちのために家を解放して、誰でも温かく迎えて世話をする肝っ玉母さんのような存在だったそうです。 静江さんは教会の奉仕活動やボランティアにも積極的に参加。1994年にボランティア活動をきっかけにして、レイプ被害者の非営利救済団体The Rape Crises Center(RCC)の職員になりました。 息子のEvinさんと娘のEmaileさんとともに アメリカではの深刻なレイプ被害 2013年のアメリカ国内での統計によると、年間で173,610人(12歳以上の女性)がレイプ被害を受けたとされています。昨今ではレイプ被害の低年齢化も進んでおり、幼女の被害も少なくありません。 またレイプ被害は女性に限ったことではなく、男性や少年も被害に遭います。ラスベガスは世界有数の観光都市であることから、観光客が被害に遭うこともたびたびあります。救済団体RCCは年間、800件に及ぶ通報を受け、被害者の救済に当たっています。 静江さんはRCCのコーディネーターとして、どんな状況にも果敢に立ち向かい、被害者の救済に全力を尽くしました。 静江さんが力を尽くした、たくさんのこと 被害者の救済と一言でいっても色々な仕事があります。24時間体制のホットラインで、助けを求めている人のために現場へ向かい、警察へのリポート・病院への付き添い・その後の裁判やカウンセリングのコーディネートなど…被害者が安心して社会に復帰できるまで、静江さんは根気強く励まし、いつも寄り添いました。 静江さんの仕事はそれだけではありません。彼女は啓蒙活動にも力を入れました。アメリカではレイプは幼児虐待、人身売買(売春)やドラッグと密接に結びついているため、各団体と連携しながら啓蒙プログラムを作り、小学校~高校へ出向いて、レイプ被害を未然に防ぐ方法や起きてしまった後の対処についてのレクチャーをして回りました。 小学校などでは話が終わると、小さな女の子がもじもじと泣きながら、誰にも言えなかった話を静江さんにすることもありました。自分がレイプ被害に遭ったのだということすら知らなかった小さな女の子の苦しみに、静江さんは心が痛むことも多かったそうです。 ※写真はイメージです また、レイプの被害者は自暴自棄になってドラッグに走ったり犯罪に走る傾向も高いことから、刑務所への慰問も欠かしませんでした。刑務所内のレイプを防ぐ活動のプログラムにも積極的に参加しました。 静江さんは生前、このように語っていました。 「私の目標は誰も私を必要としなくなることなの。 究極の願いはレイプがなくなることだけど、そうでなくても、被害者の人がきちんと立ち直って、幸せになって私を頼らなくても生きていけること。どこかで元気でいてくれること。そういう人が一人でも増えれば私は幸せ」 また、静江さんはネバダ日米協会のディレクターとしても活躍、日本とアメリカの架け橋にもなりました。日本を飛び出してアメリカ市民になっても、日本人の真心は決して失わない方でした。 RCCのスタッフと共に。スタッフの誰からも愛される存在でした。 「葬儀の参列者は黄色の服を着て」 数年前にがんを克服した静江さんでしたが、8月に緊急入院。すでにステージ4の状態で、入院から間もなく天に召されてしまいました。彼女を知る誰もが呆然とし、深い悲しみに襲われたことは言うまでもありません。 静江さんの葬儀は、静江さんが通っていたDesert Harvest Missionary Churchで10月2日に行われ、、たくさんの方が参列しました。 さっぱりとしていて湿っぽいことが嫌いだった静江さんは「参列者は黄色の服を着て、楽しい話で笑顔で見送って欲しい」という遺言を残していました。 葬儀のセレモニーで配られたしおり アメリカの葬儀は亡くなった人の死を悲しむというよりは、その人の人生を称賛するという意味合いのセレモニーでもあります。おごそかな中にも、ユーモアのある大変心温まる式となりました。 家族や友人の他に、レイプ被害に遭って静江さんから救ってもらった人もスピーチに立ち、静江さんがいかにして被害者の方々に寄り添い、適切な助けをしたかが続々と語られました。最後に、牧師さんが告げました。 「静江は、小さな体、小さな足でラスベガスのコミュニティに大きな足跡を残した」 その言葉に、会場には大きな拍手が起こりました。 たくさんの花に囲まれて参列の人を待つ静江さんの遺影 @ Desert Harvest Missionary Church 日本を離れても、日本の真心を忘れなかった静江さん 世界規模のリサーチでは17人に1人がレイプ被害の経験があり、そのうち62%が身体的ダメージを受け、9%が虐待や外傷を受けているそうです。ただこれは通報された数字というだけで、被害を訴えることができずに心に深い傷を負った人もたくさんいるでしょう。 事実、日本では98%の人が被害届を出さないという数字も聞かれます。どんな状況であれ、レイプは最も卑劣な行為の一つです。静江さんはいつも孤独に陥りがちな被害者の方を「あなたは一人じゃない。あなたは必要な人なの」と励まし続けました。静江さんの願った、レイプのない世界が来ることを願ってやみません。 日本を遠く離れても、日本人の真心を忘れずに人々を救い続けた静江さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 ライター:アーカス リツコ(ラスベガス在住) Share Post LINE はてな コメント
2016年9月28日、アメリカ・ラスベガスのホスピスで一人の女性が肺がんのため亡くなりました。彼女の名前はヒル・静江さん。67歳でした。
ヒル・静江さんと聞いても、日本ではご存知ない方がほとんどでしょう。彼女は、アメリカ・ラスベガスにあるレイプ被害者の非営利救済団体で、被害に遭った人々を22年に渡って救い続けた偉大な人物です。
彼女によって救われた人、新しく人生をやり直すことができた人が、何千人もラスベガスには存在します。
シングルマザーとして、地域の子どももまるごと愛した静江さん
静江さんは1949年、東京生まれ。1979年にアメリカへ渡り、1982年、ラスベガスを定住の地に選びました。
離婚後、2人の実子と4人の継子をシングル・マザーとして育てあげました。子育て中は、6人の子どもを抱えながらも、近所の両親が忙しく働いている子どもたちのために家を解放して、誰でも温かく迎えて世話をする肝っ玉母さんのような存在だったそうです。
静江さんは教会の奉仕活動やボランティアにも積極的に参加。1994年にボランティア活動をきっかけにして、レイプ被害者の非営利救済団体The Rape Crises Center(RCC)の職員になりました。
息子のEvinさんと娘のEmaileさんとともに
アメリカではの深刻なレイプ被害
2013年のアメリカ国内での統計によると、年間で173,610人(12歳以上の女性)がレイプ被害を受けたとされています。昨今ではレイプ被害の低年齢化も進んでおり、幼女の被害も少なくありません。
またレイプ被害は女性に限ったことではなく、男性や少年も被害に遭います。ラスベガスは世界有数の観光都市であることから、観光客が被害に遭うこともたびたびあります。救済団体RCCは年間、800件に及ぶ通報を受け、被害者の救済に当たっています。
静江さんはRCCのコーディネーターとして、どんな状況にも果敢に立ち向かい、被害者の救済に全力を尽くしました。
静江さんが力を尽くした、たくさんのこと
被害者の救済と一言でいっても色々な仕事があります。24時間体制のホットラインで、助けを求めている人のために現場へ向かい、警察へのリポート・病院への付き添い・その後の裁判やカウンセリングのコーディネートなど…被害者が安心して社会に復帰できるまで、静江さんは根気強く励まし、いつも寄り添いました。
静江さんの仕事はそれだけではありません。彼女は啓蒙活動にも力を入れました。アメリカではレイプは幼児虐待、人身売買(売春)やドラッグと密接に結びついているため、各団体と連携しながら啓蒙プログラムを作り、小学校~高校へ出向いて、レイプ被害を未然に防ぐ方法や起きてしまった後の対処についてのレクチャーをして回りました。
小学校などでは話が終わると、小さな女の子がもじもじと泣きながら、誰にも言えなかった話を静江さんにすることもありました。自分がレイプ被害に遭ったのだということすら知らなかった小さな女の子の苦しみに、静江さんは心が痛むことも多かったそうです。
※写真はイメージです
また、レイプの被害者は自暴自棄になってドラッグに走ったり犯罪に走る傾向も高いことから、刑務所への慰問も欠かしませんでした。刑務所内のレイプを防ぐ活動のプログラムにも積極的に参加しました。
静江さんは生前、このように語っていました。
「私の目標は誰も私を必要としなくなることなの。
究極の願いはレイプがなくなることだけど、そうでなくても、被害者の人がきちんと立ち直って、幸せになって私を頼らなくても生きていけること。どこかで元気でいてくれること。そういう人が一人でも増えれば私は幸せ」
また、静江さんはネバダ日米協会のディレクターとしても活躍、日本とアメリカの架け橋にもなりました。日本を飛び出してアメリカ市民になっても、日本人の真心は決して失わない方でした。
RCCのスタッフと共に。スタッフの誰からも愛される存在でした。
「葬儀の参列者は黄色の服を着て」
数年前にがんを克服した静江さんでしたが、8月に緊急入院。すでにステージ4の状態で、入院から間もなく天に召されてしまいました。彼女を知る誰もが呆然とし、深い悲しみに襲われたことは言うまでもありません。
静江さんの葬儀は、静江さんが通っていたDesert Harvest Missionary Churchで10月2日に行われ、、たくさんの方が参列しました。
さっぱりとしていて湿っぽいことが嫌いだった静江さんは「参列者は黄色の服を着て、楽しい話で笑顔で見送って欲しい」という遺言を残していました。
葬儀のセレモニーで配られたしおり
アメリカの葬儀は亡くなった人の死を悲しむというよりは、その人の人生を称賛するという意味合いのセレモニーでもあります。おごそかな中にも、ユーモアのある大変心温まる式となりました。
家族や友人の他に、レイプ被害に遭って静江さんから救ってもらった人もスピーチに立ち、静江さんがいかにして被害者の方々に寄り添い、適切な助けをしたかが続々と語られました。最後に、牧師さんが告げました。
「静江は、小さな体、小さな足でラスベガスのコミュニティに大きな足跡を残した」
その言葉に、会場には大きな拍手が起こりました。
たくさんの花に囲まれて参列の人を待つ静江さんの遺影 @ Desert Harvest Missionary Church
日本を離れても、日本の真心を忘れなかった静江さん
世界規模のリサーチでは17人に1人がレイプ被害の経験があり、そのうち62%が身体的ダメージを受け、9%が虐待や外傷を受けているそうです。ただこれは通報された数字というだけで、被害を訴えることができずに心に深い傷を負った人もたくさんいるでしょう。
事実、日本では98%の人が被害届を出さないという数字も聞かれます。どんな状況であれ、レイプは最も卑劣な行為の一つです。静江さんはいつも孤独に陥りがちな被害者の方を「あなたは一人じゃない。あなたは必要な人なの」と励まし続けました。静江さんの願った、レイプのない世界が来ることを願ってやみません。
日本を遠く離れても、日本人の真心を忘れずに人々を救い続けた静江さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
ライター:アーカス リツコ(ラスベガス在住)