タモリは若い頃にボウリング場で働いていた!? 驚きの経歴に迫る
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お笑いタレントとして活躍している、『タモリ』こと森田一義(もりた・かずよし)さん。
数多くのテレビ番組で司会を務め、年齢を問わず多くの人から愛されています。
本記事では、そんなタモリさんの若い頃について見ていきましょう!
タモリの若い頃は?
タモリさんは、1945年に福岡県福岡市で生まれました。
子供の頃から好奇心が旺盛で、興味を持ったものには積極的に挑戦するような学生時代を送っていたのだとか。
中学生の頃は、剣道部と陸上部に所属。高校生になると剣道部と吹奏楽部を両立し、アマチュア無線クラブや居合道場でも活動していたといいます。
そんなタモリさんは高校卒業後、1年間の浪人生活を経て『早稲田大学第二文学部』に進学。
大学ではモダンジャズ研究会に入り、マネージャー兼司会を務めていましたが、学費未納のため、大学3年生の頃に抹籍処分となってしまいます。
その後、タモリさんは地元の福岡県に帰郷。保険外交員、ボウリング場の支配人、喫茶店のマスターなどを転々としていたそうです。
タモリの転機は赤塚不二夫との出会い
さまざまな仕事をしていたタモリさんはある日、知り合いのミュージシャンから「東京で『即興芸』をしないか」と誘われました。
タモリさんはその仕事を引き受け、月に一度だけ上京する生活にシフトします。
その頃、タモリさんにとっての転機が訪れました。漫画家の赤塚不二夫さんと出会い、テレビに出演することになったのです。
タモリさんは、赤塚不二夫さんが出演するテレビ番組に呼ばれ、一気に知名度を上げました。
タモリ 1981年
1976年、コメディ番組『チャンネル泥棒!快感ギャグ番組! 空飛ぶモンティ・パイソン』(東京12チャンネル・現テレビ東京系)で、本格的に芸能界デビュー。
1982年10月からはバラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)の放送がスタートし、2014年3月までの31年半にわたって司会を務めました。
タモリ(写真右) 1988年
タモリの現在は?
タモリさんは2025年3月現在『ブラタモリ』(NHK)、定期に放送される報道特別番組『タモリステーション』(テレビ朝日系)、音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)などに出演し、進行役として活躍しています。
2025年3月現在、タモリさんは79歳ですが、はっきりとした物いいと豊富な知識でファンを楽しませています。
そのパワフルな姿で、これからも芸能界をけん引してほしいですね!
タモリが愛され続ける理由は? 番組で飛び出した名言や『弔事』、ピーマン料理に称賛の声
[文・構成/grape編集部]