ウクライナに支援物資を直接輸送 デヴィ夫人のコメントに「説得力がありすぎる」「言葉の重みが違う」
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- 出典
- FNNプライムオンライン
2022年2月に始まった、ロシアによるウクライナへの侵攻。
もうすぐ1年が経とうとしている2023年1月26日現在も各地が戦地となり、建物が破壊されるほか、多くの死傷者が出ています。
そんな中、『デヴィ夫人』の愛称で親しまれているタレントのデヴィ・スカルノさんが、ウクライナの首都であるキーウを訪れていることが明らかになりました。
ウクライナを訪れたデヴィ夫人の言葉に反響
およそ60年前の1962年にウクライナを訪れたことがあり、さまざまな経験からウクライナには『特別な思い』があるというデヴィ夫人。
国際慈善家として活動するデヴィ夫人は、ウクライナで苦境に立たされている人たちに支援物資を届けるため、立ち上がったといいます。
駐日ウクライナ大使館に相談した結果、大使館側はデヴィ夫人の運営する慈善団体に支援物資の輸送を依頼。
デヴィ夫人は自ら手渡しできる支援物資を運ぶと、民間人の虐殺が起こった病院などを訪問し、直接それらを届けました。
戦地では、いつ誰が命を落とすかが分かりません。危険を承知でこうして行動に移した理由について、デヴィ夫人はこのように想いを明かしました。
2023年現在はタレントとしての知名度が高いデヴィ夫人ですが、インドネシアのスカルノ元大統領の夫人でもあります。
1965年に軍事クーデターが起こり、スカルノ大統領が失脚したため、身を守るために日本へ帰国した経験もありました。
終戦から77年が経過し、戦争を体験していない世代が大半になった日本。そんな中、デヴィ夫人はさまざまな場で命の危機にひんしてきたのです。
デヴィ夫人は同様の思いを自身のブログでも明かしており、ネットでは経験者だからこそ持つことのできる強い意志に、続々と反響が上がりました。
・デヴィ夫人の生い立ちや人生経験だからこそいえる言葉だ。頭が下がる思いです。
・説得力がすごい…。デヴィ夫人ってタレントの印象が強いけど、スカルノ夫人なんだよね。
・言葉の重みが違う。本当に、いてもたってもいられなくなったんだろうな。
ブログで「ウクライナの方々の勇気を讃え、できる限りの助力をしてまいります」と述べている、デヴィ夫人。
その想いは、自らが苦境に立たされた経験があるからこその、優しさと強さなのかもしれません。
デヴィ夫人の行動は、多くの日本人に「自分の力では、平和のために何ができるだろうか」と考えるきっかけを与えてくれたようです。
[文・構成/grape編集部]