2か月で5千曲!? 一世風靡した『着メロ』 当時の舞台裏を徹底取材
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若い世代の人はほとんど知らないと思いますが、その昔『着メロ』が大流行した時代がありました。
『着メロ』とは、着信メロディーの略で、携帯電話に着信があると流れる音楽のことです。
かつて幅広い世代に大ブームを巻き起こした『着メロ』。その舞台裏について、当時を知る人に取材しました!
『着メロ』は…耳コピで作っていた!?
『着メロ』は着信した際に流れる音楽です。これを自分好みの楽曲に設定できるようになったことで、みんなが自分なりの個性を出そうと、さまざまな音源を求めていました。
NTTドコモによる通信サービス『iモード』が1999年2月から開始したことに端を発する、一大ムーブメントになったのが『着メロ』なのです。
※写真はイメージ
現在ならメモリーも十分あり、音声データを切り取って貼り付けるなども個人で簡単に行えますが、当時はそうはいきませんでした。
ユーザーは着メロ配信サイトから、データをダウンロードして使用するという流れでした。
ユーザーはダウンロードするだけですが、『着メロ』を提供する側は大変だったようです。
例えば、Aという歌が流行していて、そのサウンドをユーザーから求められたら、規格に合わせて自分たちでサウンドデータを1から作っていたといいます。
つまり、Aという曲を耳コピして楽譜に起こすという、音楽的素養がないと作れなかったのです!
その上、新しい楽曲が次々と世に送り出され、ユーザーからはアレもコレもと、着メロ化してほしい楽曲がリクエストされます。
配信サイト側は、大車輪で仕事をしないといけない状況だったと想像できますよね。
『着メロ』はどのように作られていたのか?
当時、配信サイト側ではどのようにデータを作っていたのでしょうか。『music.jp』を運営する株式会社エムティーアイに話を伺いました。
『music.jp』は当時から着うた、着うたフル、着メロ、歌詞などの配信を手掛け、現在では音楽をはじめ、漫画や動画などを配信する老舗コンテンツ配信サイトです。
――当時の『着メロ』は、本当に耳コピでデータを作っていた?
『着メロ』は基本的には、本当に耳コピで作っていました。作成の工程としては、大きく2つに分けられます。
1つはMIDI(ミディ)の制作。耳コピをして楽譜に起こすような作業で、当時4~5人程度の体制で行っていました。
2つ目はコンバート。MIDI規格に起こしたデータを機種に合わせて最適化する作業で、簡単にいうと着メロにする作業のことですね。当時は20人程度の体制で行っていました。
MIDIとは、Musical Instruments Digital Interfaceの略で、電子楽器同士を接続するための世界共通規格のことです。
――耳コピを行う専属チームがあったとは。
はい。どちらかというと耳コピチームによってMIDIというソースコードを制作するほうが手間でしたが、こちらは外注して実施していました。
コンバートチーム(MIDIによって作成されたデータを着メロにする作業)は、携帯電話の機種に合わせて最適化しなければいけないという面があり、体制的には社内で実施しており、20人ほどのメンバーがいました。
※写真はイメージ
――作業の自動化は難しかった?
コンバートの作業は、社内では秘密兵器と呼ばれ、今でいうAIのような機械学習の機能によってだいぶ自動化していました。
耳コピも自動化できないかと、その分野の大学教授と何か月もやり取りをしたこともありましたが、結局は使えるものはできなかったですね。
――耳コピの自動化はできなかったとは…。
品質に関しては、外注して海外で作成したものには、実質使えないものもたくさんあり、すべて日本で作り直したこともありました。
海外から納品されたMIDIデータは、社内のチームで検収を行っていて「これはちゃんとコピーできている」「これはギターを全部直してください」などの指示を出していました。
新曲の場合はスケジュールもかなりタイトで、発売2~3日で提供できるように実施していました。
新曲は水曜日に発売されていたので、発売されるとすぐにCDを買いに行きましたね。新曲はMIDI制作を外注に出す時間がないので社内の4~5人で分担して耳コピし、2~3日で作り上げていました。
「2か月で5千曲をそろえよ!」のミッションに挑んだ
――着メロの作成で苦労した点は?
ガラケーのコンテンツはすべてキャリアが入口だったので、そこで採用されなければならない状況でした。
特に大変だったことといえば、キャリアの公式サービスになるために、一定のクオリティーの作品5千曲を2か月ほどでそろえなくてはいけない状況になった時です。
――2か月…?
海外にMIDIを大量発注したのですが、その品質があまりよくなくて、国内の外部クリエイター20~30人に外注して作り直し、それを社内の数人で全部チェックした時は相当大変でした。
『music.jp』の着メロは競合との差別化要素として、90秒の尺で流せるロング着メロという存在が非常に大きかったです。
90秒だとイントロからAメロ、Bメロ、サビまで構成を変えずにワンコーラス流せるため、ニーズも高くヒットしました。ただ、尺が長い分、制作が非常に大変でした。
加えて、『原音忠実再生』を目指していたこともあり、難しい曲の場合はその再現にも非常に苦労しましたね。
ただ、数ある競合サービスと戦っていく中での差別化戦略として、それがとてもマッチしていたので、会員数の伸びも非常に好調で、当時は着メロ事業が弊社の売り上げや利益に相当貢献していました。
――当時の着メロブームはすごかったが、配信側は大変だったのでは?
当時はもちろんスマホもなく、ガラケーで音を楽しむというと着メロくらいしかなかったということもあって、本当に多くの人が着メロを使っていましたね。
それだけニーズがあるので、配信した途端にダウンロードされていました。
月額取り放題というのが基本の使い方だったこともあり、少しでも興味があるものはとりあえずどんどんダウンロードされていたような状況でした。
そのため、新曲もいかに早く出せるかが勝負という面はあったと思います。
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――ユーザーからのニーズに応える苦労があった?
各サービスが配信曲数を競い合う状態にあったので、いわゆるロングテールになっていて、「そんな曲があったの?」 「どのサイトから落としたの?」というコアな楽曲や編曲にも力を入れていましたね。また、曲の最初からではなくサビバージョンを作ることもありました。
電話をかけてくる人によって着メロを変えている人も多く、みんなが新しい着メロを待っていたという時代だったのでしょう。
そんな状況だったので、新曲が出たら朝からCDを買いに行き、スタッフ総出で着メロを作成し、1時間でも早く配信しようと努力していました。
人気の歌手グループとのコラボ企画で着メロを配信すれば、それだけで何万人という会員が入会して問い合わせも増加するので、そのような時は着メロ制作の部隊もコールセンターの手伝いをすることも。
当時はそれくらい着メロは人気で、多くの人が利用していましたね。
着メロの一大ブームが起こっていた舞台裏では、配信サイトのスタッフが大わらわで働いていたわけです。
また、配信サイトの頑張りがなければコンテンツが充実せず、『着メロ』はあれほど流行しなかったかもしれませんね。
今は昔ですが、『着メロ』という面白い文化があったことは忘れてほしくないものです。
今回の取材では、株式会社エムティーアイさんに大変お世話になりました。
テクノロジーが進歩するにつれて制作現場での対応はどんどん変化します。
当時現場で大車輪の活躍をされていた人は、現在では別の部門へ異動しているなどの状況にもかかわらず、今回の取材対応にご協力いただきました。
記事末ではありますが株式会社エムティーアイさん、および『music.jp』に深く感謝申し上げます。
[文/デジタル・コンテンツ・パブリッシング・構成/grape編集部]