大震災にも負けなかった助産院 『2度の天災』に襲われても新しい命を助けたい By - grape編集部 公開:2016-02-16 更新:2017-07-18 病院 Share Post LINE はてな コメント 出典:READYFOR 全国的に「安心して子供を産める環境が少ない」と言われる現代。特にお産に直接対応している助産院の数は、減少しつつあります。 宮城県仙台市にある「とも子助産院」は、仙台市内にたった二つしかない助産院の一つ。 これまでに800人もの赤ちゃんの誕生を見守り、第2の実家とも呼ばれた助産院。2011年の東日本大震災では、被害を受けながらも地域の避難所兼お産の介助を行ってきました。 出典:READYFOR しかし、2015年に2度目の天災、東北豪雨で大きな被害を受け存続の危機に…。 これからも赤ちゃんの命を繋ぐため、「何とか復活させたい」と、多くの人の想いが院長の伊藤朋子さんを力強く支えています。 出産を控えている母親のためにも 助産院とは一体どんな施設なのか…あまり聞き慣れていないかもしれません。 出典:READYFOR 一般的な意味でいえば以下のような施設のことをいいます。 地域の医療連携のもとに、助産師が妊娠から育児まで継続的に健診やアドバイスを行ない、女性とその家族が安心して赤ちゃんを産み育てるサポートをするための施設 READYFOR ーより引用 助産師は医師ではないため医療行為はできませんが、妊娠・分娩の専門技術を持った国家資格を保有。決められた要件を満たし、助産師、産婦人科医師双方が助産所で分娩可能と判断した場合に限って、分娩出来るのが助産院なのです。 震災時に生まれた命も 東日本大震災では震度6と大きな地震に襲われた、仙台市。とも子助産院は倒壊を免れたものの、地盤が沈下。電気や水道など、ライフラインは断ち切られました。 しかし、伊藤さんは1983年に起きた日本海中部地震を経験していたため、倉庫に石油ストーブや灯油、水を入れる容器などを備えていました。 出典:READYFOR そのため震災時も、妊婦さんを受け入れることができました。ただ、あらゆるものが普段よりも不足している状況。 スタッフも少ない中、湯たんぽやランタンなど、数少ない道具を使っての出産は、神経をすり減らす程大変だったようです。 普段以上に制約が多く大変な出産。それでも赤ちゃんの産声を聞いた瞬間、「命の誕生にかかわる仕事をやってよかった」と、心から湧き上がる感動を受けたといいます。 出典:READYFOR 復興の最中も、妊婦さんや赤ちゃんを連れたお母さんが、助産院を頼り訪れました。そういった経験から、「もっと母親の支えになりたい、人の集まる場所にしたい」という想いを込め増築工事を行い、リニューアルオープン。 心機一転これからという時に、もう一つの天災が。 突然襲ってきた東北豪雨 2015年、東北を突如襲った東北豪雨。 大雨で車が流されたり、ボートで救助される方がいたりと、目の前に信じられないような光景が広がりました。 東北豪雨により浸水した助産院には、大雨が引いた後も大量の泥と瓦礫が残されていました。 出典:READYFOR 特に衛生面に気を使う助産院には、手痛い状況。それでも、さまざまな支援を受け助産院自体の運営は続けられたそうです。ただ、何かとストレスの多い妊婦さんを、より快適に心地よく受け入れるには、うけた被害があまりにも大きい…。 出産を控えた母親の安らげる場所を作るために。新しい命が無事に産声をあげられるように。 出典:READYFOR これからも助産院が、地域の母親たちの「第2の実家」として、安心して子育て・出産ができるよう応援していきたいものですね。 大切な役割を持った場所だからこそ、震災にや洪水に負けず、長くあり続けてほしいと願わずにはいられません。 仙台で800人の赤ちゃんの命を繋いだ”とも子助産院”を復旧したい 俳優・火野正平さんが逝去 腰痛の治療に励むも腰部骨折に火野正平さんが亡くなったことが分かりました。ご冥福をお祈りいたします。 元プロ野球選手 清原和博容疑者、逮捕される ファンは動揺…2016年2月2日、元プロ野球選手の清原和博容疑者が、覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕されました 出典 READYFOR Share Post LINE はてな コメント
全国的に「安心して子供を産める環境が少ない」と言われる現代。特にお産に直接対応している助産院の数は、減少しつつあります。
宮城県仙台市にある「とも子助産院」は、仙台市内にたった二つしかない助産院の一つ。
これまでに800人もの赤ちゃんの誕生を見守り、第2の実家とも呼ばれた助産院。2011年の東日本大震災では、被害を受けながらも地域の避難所兼お産の介助を行ってきました。
出典:READYFOR
しかし、2015年に2度目の天災、東北豪雨で大きな被害を受け存続の危機に…。
これからも赤ちゃんの命を繋ぐため、「何とか復活させたい」と、多くの人の想いが院長の伊藤朋子さんを力強く支えています。
出産を控えている母親のためにも
助産院とは一体どんな施設なのか…あまり聞き慣れていないかもしれません。
出典:READYFOR
一般的な意味でいえば以下のような施設のことをいいます。
助産師は医師ではないため医療行為はできませんが、妊娠・分娩の専門技術を持った国家資格を保有。決められた要件を満たし、助産師、産婦人科医師双方が助産所で分娩可能と判断した場合に限って、分娩出来るのが助産院なのです。
震災時に生まれた命も
東日本大震災では震度6と大きな地震に襲われた、仙台市。とも子助産院は倒壊を免れたものの、地盤が沈下。電気や水道など、ライフラインは断ち切られました。
しかし、伊藤さんは1983年に起きた日本海中部地震を経験していたため、倉庫に石油ストーブや灯油、水を入れる容器などを備えていました。
出典:READYFOR
そのため震災時も、妊婦さんを受け入れることができました。ただ、あらゆるものが普段よりも不足している状況。
スタッフも少ない中、湯たんぽやランタンなど、数少ない道具を使っての出産は、神経をすり減らす程大変だったようです。
普段以上に制約が多く大変な出産。それでも赤ちゃんの産声を聞いた瞬間、「命の誕生にかかわる仕事をやってよかった」と、心から湧き上がる感動を受けたといいます。
出典:READYFOR
復興の最中も、妊婦さんや赤ちゃんを連れたお母さんが、助産院を頼り訪れました。そういった経験から、「もっと母親の支えになりたい、人の集まる場所にしたい」という想いを込め増築工事を行い、リニューアルオープン。
心機一転これからという時に、もう一つの天災が。
突然襲ってきた東北豪雨
2015年、東北を突如襲った東北豪雨。
大雨で車が流されたり、ボートで救助される方がいたりと、目の前に信じられないような光景が広がりました。
東北豪雨により浸水した助産院には、大雨が引いた後も大量の泥と瓦礫が残されていました。
出典:READYFOR
特に衛生面に気を使う助産院には、手痛い状況。それでも、さまざまな支援を受け助産院自体の運営は続けられたそうです。ただ、何かとストレスの多い妊婦さんを、より快適に心地よく受け入れるには、うけた被害があまりにも大きい…。
出産を控えた母親の安らげる場所を作るために。新しい命が無事に産声をあげられるように。
出典:READYFOR
これからも助産院が、地域の母親たちの「第2の実家」として、安心して子育て・出産ができるよう応援していきたいものですね。
大切な役割を持った場所だからこそ、震災にや洪水に負けず、長くあり続けてほしいと願わずにはいられません。
仙台で800人の赤ちゃんの命を繋いだ”とも子助産院”を復旧したい