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ひとり暮らしを始めた日 忘れられないごはんの味は…

By - 吉元 由美  公開:  更新:

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吉元由美の『ひと・もの・こと』

作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。

たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。

忘れられないごはん

主宰している文章のクラス『言の葉塾』では、受講生の皆さんにA4の紙に1枚から2枚のエッセイを書いてきてもらいます。毎回『お題』を出すのですが、そこには決してひと色ではないさまざまな体験があり、みんなで作品を読みながら人生の機微を味わいます。

毎年、『忘れられないごはん』というお題を出します。運動会のお重のお弁当の思い出、母親と最後に食べた鰻のこと、家族で卓袱台を囲んだ朝ごはんの光景…。一人ひとりの尊い人生の一コマがそこにありました。ほろっとするような思い出を書いてみることで、もう一度手のひらにのせて味わうような。しみじみと味わいのある文章は、それぞれの心の深度を表しているのでした。

『忘れられないごはん』、大晦日、母と作ったお正月料理。黙々と根野菜の皮をむき、大きなお鍋で煮物を作り、母の十八番のカリフラワーのサラダのためにカリフラワーを薄く切り、白髪ねぎを作り…。私の『忘れられないごはん』の思い出は、そんな大晦日の台所の光景につながります。

両親の大反対を説得し、一人暮らしを始めたのは26歳のときでした。作詞家でデビューして2年目、生活のリズムが家族と違ってきたこと、誰の干渉も受けずに一人でいることが仕事をする上で重要になってきたこと…そんな理由で両親の説得にかかりました。東京に住んでいながら娘がひとりで暮らすなどもってのほかである。昭和一桁の両親の、それが『常識』だったのでしょう。大反対されましたが、少しずつ広がる仕事の実績を示し、1年かけてようやく許してもらいました。

都心の小さな1LDKのマンションに引っ越す日、率先して動いたのは「ひとり暮らしなんてダメだ!」と語気を荒げて反対していた父でした。このあたりのバランスというのか、気の変わり方にユニークなところがある父でしたが、その光景がなんだか妙に面白かったのを覚えています。

ベージュのカーペットに、スモーキーなピンクのソファ。黒のテーブル、チェスト。日本が好きな外国人の部屋、というコンセプトの小さな部屋。引越しが終わり、みんなが帰り、ひとりになりました。わくわくする気持ちとひとりで手持ち無沙汰な気持ちが入り混じり、しばらくソファに座りぼんやりしていたことを思い出します。

(そうだ、ごはんにしよう)

冷蔵庫を開けると、母が持たせてくれた梅干しの箱がひとつ。棚には、やはり母が荷物に入れた2㎏のお米の袋。晴れてひとり暮らしを始めた日の夕食は、炊きたてのごはんと梅干しでした。これから本当に自分の力で生きていくんだなあと、半分泣きたい気持ちで食べた梅干しごはん。26歳の門出でした。

※記事中の写真はすべてイメージ

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[文・構成/吉元由美]

吉元由美

作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。
吉元由美オフィシャルサイト
吉元由美Facebookページ
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