亡くなった渡哲也の『人柄』が、心に響く 中華料理店の店主が忘れられない『言葉』とは? By - grape編集部 公開:2020-08-17 更新:2020-08-17 渡哲也 Share Post LINE はてな コメント 2020年8月10日、俳優の渡哲也さんが肺炎により78歳で逝去。テレビドラマ『西部警察』(テレビ朝日系)はじめ、数々の作品で一世を風靡した俳優の訃報に、多くの人から悲しみの声が上がっています。 俳優の渡哲也が逝去 10日に肺炎で ネットで「涙が止まらない」の声 渡哲也 『炊き出し』で見せた温かな人柄 同月17日の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)では、渡さんの訃報を報道。その人柄について関係者が語りました。 生前、ボランティア活動に力を入れていた渡さん。特に、阪神淡路大震災や東日本大震災で行っていた『炊き出し』は石原軍団の名物になっていました。 番組では東日本大震災の際、渡さんと一緒に炊き出しを行った中華料理店の店主に取材。 店主は渡さんについて「ものすごく気さくで優しい方だった」と述べ、当時の思い出を次のように語っていました。 「明日、焼きそば焼かれるんですよね。大丈夫ですか?」と聞いたら、「阪神淡路大震災でね、数千どころか何万人に焼きそばを振る舞ったんだよ。だから大丈夫だから、おいしいから絶対食べてね」って。 そういう風にいってくださって。かっこいい方でした。 愛を感じたというか、一人ひとりの目を見て顔を見て、「頑張ってね。食べておいしいから、元気になってね」ってみんなに声をかけていて。 すごく来場者が多かったものですから。それでも近付けない方には目で追って、手を振ってあげたりとか。大変疲れる状態の中でも目配り心配りが素晴らしい方でした。 渡さんはみんなに愛を与える方。本当に感動しました。 スッキリ ーより引用 1995年1月に起きた阪神淡路大震災では、発生から1か月後にはトラックに食材を積んで駆けつけ、テント生活を送りながら被災地を回っていたという渡さん。 また、2011年3月に発生した東日本大震災の際は、津波被害が特に大きかった宮城県石巻市を訪問し、大勢の被災者に食料を届けたといいます。 ネット上では、数々のコメントが寄せられていました。 ・阪神大震災の時の炊き出しありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。 ・渡哲也さんって、気取らない優しい人だったんだなぁ。 ・震災の時、知人がお世話になりました。炊き出しは涙が出るほどおいしかったそうです。 情に厚く、温かな人柄でみんなに愛された渡さん。その功績とともに、心のこもった炊き出しの光景を多くの人が忘れないでしょう。 [文・構成/grape編集部] 出典 スッキリ Share Post LINE はてな コメント
2020年8月10日、俳優の渡哲也さんが肺炎により78歳で逝去。テレビドラマ『西部警察』(テレビ朝日系)はじめ、数々の作品で一世を風靡した俳優の訃報に、多くの人から悲しみの声が上がっています。
俳優の渡哲也が逝去 10日に肺炎で ネットで「涙が止まらない」の声
渡哲也 『炊き出し』で見せた温かな人柄
同月17日の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)では、渡さんの訃報を報道。その人柄について関係者が語りました。
生前、ボランティア活動に力を入れていた渡さん。特に、阪神淡路大震災や東日本大震災で行っていた『炊き出し』は石原軍団の名物になっていました。
番組では東日本大震災の際、渡さんと一緒に炊き出しを行った中華料理店の店主に取材。
店主は渡さんについて「ものすごく気さくで優しい方だった」と述べ、当時の思い出を次のように語っていました。
1995年1月に起きた阪神淡路大震災では、発生から1か月後にはトラックに食材を積んで駆けつけ、テント生活を送りながら被災地を回っていたという渡さん。
また、2011年3月に発生した東日本大震災の際は、津波被害が特に大きかった宮城県石巻市を訪問し、大勢の被災者に食料を届けたといいます。
ネット上では、数々のコメントが寄せられていました。
・阪神大震災の時の炊き出しありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
・渡哲也さんって、気取らない優しい人だったんだなぁ。
・震災の時、知人がお世話になりました。炊き出しは涙が出るほどおいしかったそうです。
情に厚く、温かな人柄でみんなに愛された渡さん。その功績とともに、心のこもった炊き出しの光景を多くの人が忘れないでしょう。
[文・構成/grape編集部]