つんく♂明かした『無名時代の思い出』 故・KANさんとのやり取りに「泣ける」の声
公開: 更新:
ロケで出会う人を「お母さん」と呼ぶのは気になる ウイカが決めている呼び方とは?タレントがロケで街中の人を呼ぶ時の「お母さん」「お父さん」に違和感…。ファーストサマーウイカさんが実践している呼び方とは。
「心臓止まりそう」「あまりにも素敵」 舘ひろしの花婿姿がこちら!結婚にまつわるトレンド情報やオシャレな付録が人気の、結婚情報誌『ゼクシィ』。2024年12月23日に発売される『ゼクシィ』2月号では、ある俳優が巻頭グラビアを務めることが発表されました。
2023年11月17日、シンガーソングライターのKANさんが、61歳で亡くなっていたことが分かりました。
代表曲である『愛は勝つ』をはじめ、さまざまな楽曲を届けてきた、KANさん。日本ではほとんど症例のないメッケル憩室がんを患っており、同年3月から闘病生活を送っていたといいます。
KANさんはミュージシャンとしてだけでなく、優れた人柄で、1人の人間として親しまれていた模様。訃報を受け、多くのミュージシャンが偲ぶメッセージを送っています。
KANさんの訃報受け、つんく♂が無名時代の思い出明かす
音楽プロデューサーの、つんく♂さんも、KANさんに人として好意を抱いていた1人。
逝去が明かされた同年11月17日、尊敬する先輩の1人であるKANさんにまつわる思い出を、ブログにつづりました。
つんく♂さんはデビュー時に、KANさんと同じプロダクションに所属していたのだとか。そのため、レコーディングスタジオや事務所でよく顔を合わせる機会があったといいます。
つんく♂さんは、バンド『シャ乱Q』のボーカルや、『ハロー!プロジェクト』のプロデューサーとして、今や日本を代表するミュージシャンの1人ですが、いわゆる『無名時代』もありました。
まだ新人だった頃、気軽に声をかけてくれたのが、先輩であるKANさん。きっと、緊張をほぐそうとしてくれたのでしょう。音楽についての話ではなく、笑わせてくれるような声掛けをしてくれたといいます。
KANさんの立派な背中を見て、音楽業界で働く人として、つんく♂さんはさまざまなことを学んだのだとか。
タレントの後藤真希さんの楽曲である『スッピンと涙。』は、つんく♂さんが作詞を担当し、KANさんが作曲を担当した合作。つんく♂さんは、「一緒に作った『スッピンと涙。』、これからも大切にします」と想いを明かしています。
KANさんのミュージシャンとしての魂は、きっとつんく♂さんら多くの人に受け継がれていくのでしょう。
[文・構成/grape編集部]