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明石家さんまの『つらすぎる生い立ち』 あの笑顔からはとても想像できない…

By - grape編集部  公開:  更新:

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可愛がっていた弟ですが、19歳の時に火事が原因で亡くなってしまいます。

さんまさんは大好きな弟さんの死について、こう語ったそうです。

ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。

自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。ぼくもサッカーやったけど、チビのほうがすごいんですよ。サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ……。

去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……。

まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……。

Facebook ーより引用

さんまさんはお笑い芸人として、すでに冠番組を持つほど人気がありました。

しかし溺愛していた弟を失ったショックに、番組でも笑いがとれなくなってしまったそう。本気で芸人を辞めようと考えたこともありました。

そんな窮地を救ってくれたのが、同期であるオール巨人さん。

提供:産経新聞社

共演した舞台の上でさんまさんに「お前んち、兄弟焼いたらしいな」と際どいボケ。本来なら怒ってもおかしくないこのボケですが、さんまさんはこれがオール巨人さんの励ましだということに気づき、

そや、材木きれたから代わりに焼いたんや

と、そのボケに乗りました。舞台はそれまでにない一番の盛り上がりを見せたのだそう。

さんまさんは、後に「ありがとう。これで芸人やめんで済むわ」とオール巨人さんに感謝したそうです。

墜落事故で死ぬかもしれなかった

1985年8月12日に起きた『日本航空JAL123便墜落事故』。「上を向いて歩こう」の坂本九さんをはじめとした520名の方が犠牲になった痛ましい事故です。

さんまさんは当日、フジテレビで『オレたちひょうきん族』の収録後、JAL123便で大阪へ移動し、毎日放送『ヤングタウン』に出演予定でした。

しかし、たまたま「ひょうきん族」の収録が予定よりも早く終わったために、JAL123便をキャンセルして一つ前の便で大阪に向かい、この墜落事故を逃れたのです。

墜落事故の情報を受け、大きなショックを受けたさんまさんは、出演した事故当日の生放送ラジオ番組を報道特番に切り替えました。

この事故をきっかけに、さんまさんは新幹線で行ける場所へは飛行機ではなく新幹線を利用するようになったそうです。

娘「IMALU」に込められた想い

さんまさんの娘、IMALU(本名 大竹いまる)さんの名前の由来である「生きているだけで丸もうけ」。

提供:産経新聞社

3歳のときにお母さんが亡くなり、大切にしていた弟を失い、自分が事故で命を落とすかも知れなかった壮絶な過去。さんまさんの過去を知ると娘の名前に込めた本当の想いが、より一層感じられます。

これだけの過去を背負いつつ、笑顔を絶やさないさんまさん。つらい過去を微塵も感じさせず、私たちに笑いを与えてくれる姿、心から尊敬します。

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出典
無限の可能性

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