WWEのスーパースター・中邑真輔の米国移籍の経緯は?
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この記事では、今やWWEのスーパースターとなった中邑真輔(なかむらしんすけ)さんについて紹介しています。
WWE移籍の経緯や、中邑真輔さんの得意技なども見ていきましょう。
中邑真輔の幼少期
中邑真輔さんは、1980年2月24日に京都府で生まれました。幼少期は「とても泣き虫だった」といわれており、現在のたくましい印象から見るとかなり違ったイメージに驚くかもしれません。
小・中学校は真面目な少年といった感じの印象だったようで、高校時代からアマレスを始めたことがきっかけでプロレスへの興味がさらに深まっていったそうです。
大学は青山学院大学に進学し、2002年に新日本プロレスに入門しました。
中邑真輔の年齢
中邑真輔さんは1980年2月24日生まれなので、2020年現在、40歳です。
40歳という、プロレス界においてはベテランに位置づけられる年齢にもかかわらず、さらに精力的に活躍しているところを見ると、今後の活躍への期待がさらに高まります。
ファンも中邑真輔さんの挑戦心旺盛なところに魅力を感じていることでしょう。
中邑真輔の身長
高校時代から急激に身長が伸びたという中邑真輔さんの公称身長は、188cmです。
プロレス界では175cm以下の身長は小柄とされる傾向もあるため、中邑真輔さんのようにもとから大柄かつスマートな体型であれば、それだけでファンの人気を集められる十分な要素にもなるでしょう。
外国人と比べると同じ身長でも胴長短足のずんぐり体型に見える日本人レスラーが多い中、中邑真輔さんは脚の長さも外国人レスラーと遜色なく、とてもリング映えしています。
中邑真輔の性格
幼少の頃は泣き虫だったという中邑真輔さんですが、その後は弱い者を見ると放っておけないといった、とても正義感の強い性格に成長したようです。
その正義感の強さが、そのまま『プロレスラー・中邑真輔』の魅力になったといっても過言でない部分もあるでしょう。こまごましたことはあまり気にしない、ワイルド・豪快な気質も併せ持つさっぱりとした性格であることでも人気を呼んでいます。
とても男性的な気質・性格の持ち主であることは、中邑真輔さんの自叙伝からもうかがえます。
中邑真輔の両親と兄弟
中邑真輔さんの活躍ぶりは大々的に公表されていますが、中邑真輔さんのプライベートに関する情報、特に両親や兄弟といった家庭事情については、ほとんど公にはされていません。
姉が2人おり、末っ子だといわれています。
中邑真輔のデビューは?
中邑真輔さんがプロレス界にデビューしたのは、2002年8月29日に行われた安田忠夫戦です。
アマレス時代の活躍を経た上でのなかなか華々しいデビューだったようで、デビュー戦は多くのレスラーにとって記念すべき一戦となると同時に、緊張して実力を出しにくいとされますが、中邑真輔さんはその中でも十分な力を発揮したといわれています。
デビュー戦後も中邑真輔さん独自のパフォーマンスやプロレスラーとしての実力を高め、さらに飛躍していきます。
中邑真輔の新日本プロレス入団
中邑真輔さんは、2002年3月に新日本プロレスに入団し、同年8月29日には、日本武道館での安田忠夫戦でデビューしています。
レスリングでの実績とデビュー前に総合格闘技のトレーニングを積み、当時の新日本プロレスが推し進めていた格闘技路線の申し子として期待を受けつつ、デビュー戦後はシリーズには帯同せず、LA道場で総合格闘技のトレーニングを重ねています。
それほどの大物新人として期待を受けていました。
中邑真輔は最年少戴冠記録保持者
中邑真輔さんは2003年12月9日に、天山広吉さんの所持するIWGPヘビー級王座に初挑戦しました。
この試合で、腕ひしぎ逆十字固めで天山広吉さんに勝利し、デビュー最速かつ最年少での同王座戴冠を果たしました。
中邑真輔の移籍
2016年1月にアメリカのプロレス業界紙が中邑真輔さんの移籍のウワサを報じましたが、 2016年1月8日の日刊スポーツによると、新日本プロレス側は「まだ何の話もしていない」と移籍を否定していたことが分かっています。
しかし、同年1月12日には、新日本プロレスより「正式に退団」と発表されました。
そして同年2月22日に、正式にアメリカへの移籍が発表されます。
WWEに移籍してファーム団体となるNXTで、デビューすることが決まりました。
中邑真輔の得意技
中邑真輔さんは、関節技を主体とした総合格闘技系に強い一面がありました。
その後は肉体改造を重ねて体格そのものを大きくし、さらにパワーファイト型の選手として活躍していきます。
近年では、入場時や試合中に随所で体をくねって脱力させるという独自のムーブで会場を沸かせています。
フィニッシュ・ホールド
中邑真輔さんのフィニッシュ・ホールドで有名なのが『ボマイェ』という技で、ニー・キック、ニー・リフトといった主に膝蹴りを併せたような柔軟性の高い蹴り技です。
ボマイェにはさまざまなバージョンがあり、『ジャンピング式』や、トップロープから放たれる『スワンダイブ式』が挙げられるでしょう。
WWEに移籍してからは、中邑真輔さんの放つボマイェは『キンシャサ』という技名で呼ばれています。
打撃技
中邑真輔さんの荒業・特技といえばこの『打撃系』の技がとても多く、先述の蹴り技と合わせる形で、その試合ごとにさまざまなバージョンによって使い分けています。
打撃合戦中では主にナックル・パートと呼ばれる乱打を得意とし、また、同じく顔面へ跳び蹴りするライダーキック、さらにはダウンした相手にとどめを刺す膝蹴りなどがあります。
打撃技は中邑真輔さんにとって、フィニッシュ・ホールドのキンシャサへ移行する重要な繋ぎ技になっています。
ナックル・パート
ナックル・パートは、握り拳を曲げた指側(掌の下方)の辺りで相手を殴打する技です。
ボクシングや武道でのパンチングの応用として、ナックル・パートは現在のプロレスでたくさんの選手に使用されています。
ライダーキック
『仮面ライダー』の技でもあるこの『ライダーキック』は、別名『カンフーキック』とも呼ばれており、相手の顔面への跳び蹴りを加えるべく助走をつけて相手に飛び掛かり、そのまま相手の助走を利用することで破壊力が倍増する大技です。
『ジャンピング・カラテキック』ともいわれ、2014年8月4日に愛知県で行われた『バディファイトPresents G1 CLIMAX 24』で、中邑真輔さんは小島聡選手に向けて使っています。
膝蹴り
膝蹴りからフィニッシュ・ホールドへ持ち込むバリエーションも多く見られます。
従来得意としてきたフロント・ネックロックの状態から、相手の腹部めがけて膝小僧を叩きこむ、シンプルですがダメージの大きな技です。
バック・クラッカー
バック・クラッカーは、有名どころの技でいえば『バックブリーカー(バックブリッジ)』と似た姿勢を取り、相手の体を大きく反転させる形で(自分の)後方へ投げ飛ばす大技です。
相手の背後からアゴをつかむ姿勢を取り、その姿勢から自分の両膝を相手の背中にあてがうようにして一緒にジャンプしつつ、相手をそのまま引き倒す変形型のバックブリーカーのことです。
中邑真輔さんは2017年のスマックダウン大会で、ランディ・オートン選手に使用しました。
ストンピング
ストンピングは、相手を足でいくども踏みつける技です。
中邑真輔の怪我
中邑真輔さんは2018年6月25日の朝にベーカーズフィールドで、警察犬に足を噛みつかれ怪我を負ったことを明かしています。
これがその後の負傷欠場の原因になったとのことです。
中邑真輔の髪型
中邑真輔さんはデビュー当初から現在までに、実にさまざまなヘアスタイルにチャレンジしています。
現在でも共通していえる特徴としては、『筋肉少女帯』で絶頂期だった頃の大槻ケンヂさんのような髪型で、パーマがかかった長髪を横に流していたり、左右一方の側頭を刈り上げの状態にしていたりするなど、いろいろな特徴が見て取れます。
中邑真輔はイケメン
中邑真輔さんは、デビュー当時からとても多くのファンから人気を集めていました。
若い頃から現在にかけて、あまりそのイケメン度が変わっていないところも驚異的なもので、若々しいルックス、ダンディなイケメンとして、現在でも高い人気を獲得しています。
選ばれし神の子中邑真輔
中邑真輔さんはデビュー当時から華々しい快挙を成し遂げた、有名かつ人気の高いプロレスラーであり、現在でも中邑真輔さんの名前を聞けばそれだけで、中邑真輔さんにまつわるエピソードがいろいろと浮かびます。
プロレス界の最高峰・WWEでチャレンジを続ける中邑真輔さんの活躍に期待しましょう。
[文・構成/grape編集部]